第九話――漆黒の番人(ホームセキュリティ)

 第一世界――すなわち堕天男ルシファーがかつていた現代地球〈第三世界〉とは異なる異世界のどこか。

 地の果てまでも続きそうな茫漠な荒野を飛ぶこと数十分。

 剣山の如き岩山が連なる巨大な峡谷に、堕天男とシーは、降り立った。

「ここはギュレネ峡谷。荒野のど真ん中に位置する無人地帯――

「どういう意味だ」

 シーの難解な説明に対し、読者の代わりに訊ねる堕天男ルシファー

「簡単に言えば、この峡谷全域に幻惑魔法がかけられています。幻惑魔法の強度と迫真リアルさは使用者の精神力と魔力量に依存しますが――」

 親を自慢する娘のように、シーは得意げに笑う。

「私の師匠――伝説の大魔道士〈万魔典パンデモニアム〉ブリーゼ・フヴェルゲルミルのかけた魔法ですので、たとえ高位の天使でも我々のアジトを発見するのは不可能と言っていいでしょう」

 何だかすごそうな名前が出てきた……、と、堕天男は思った。

「もっとも師匠は表向き死んだことになっていますので、くれぐれもご内密に。まあ彼女が生きていると言ったところであなたの頭がおかしいと思われるだけでしょうが」

 そしてシーはひとり歩きだし。

「とはいえ……私も師匠に会うのは十年ぶりくらいです。ちょっと、緊張しますね」

 不自然なまでの無表情、抑揚に欠けた声で、付け加えた。


 ――とても厳しい方なので、あなたの命の保障はいたしかねます。


 シーは、たしかにそう言った。

 あの天使バケモノどもを欺いて逃げ切ったシーですら、震えるほどの〈生きた伝説〉。

 果たしてどんな人間なのか……

 あるいはシーと同じ〈魔族〉とやらなのか。

 またはそれすらも超越した怪物か。

 宵闇で黒くそびえ立つ尖った無数の岩山が生みだす物々しい雰囲気も手伝って、魔王城に少人数で乗りこむ勇者一行のような気分だった。

 が――そんな堕天男の懸念は、意外な形で裏切られる。


「何だこりゃ……ラブホ……?」


 そう――それは、まるで現代のラヴ・ホテルだった。

 ほぼ原色の赤やピンクを主とした外壁に、派手なイルミネーション。

 どこかメルヘンチックな装飾の施された柱に、弓矢を持った愛の天使キューピッドおぼしき愛らしい銅像。

「な、何なんだここは」

 異世界とは思いがたいその光景に、堕天男は言葉を失っていた。

 そして、思った。

 何だ――なぜ俺は、見ず知らずの女とラブホに来ているんだ――と。

「趣味の悪さは相変わらずのようで……」

 シーが辟易へきえきとした様子でそう言った。

 入口には分厚い金属製の扉に、これまた可愛らしい銅製の熊の顔が添えつけられていた。

 堕天男たちが近づくと、大きなふたつのまん丸い眼玉がギョロリと動き、まるで射殺すような視線を向けてきた。


『合言葉ヲ言エ』


 直後、シーの顔から表情が消え、数瞬沈黙する。

「言わなきゃだめなのですか。私です。あなたのマスターの弟子、シーマリアですよ」

『関係ナイ……合言葉言ウ……ソレガ当館ノ掟デアリ、マスターノ御意志。合言葉ヲ言エヌ者ハ全テ敵ト看做ミナシ排除スル。アト五秒ダケ待ツ。言ウナラハヨ言エ』

 あくまで規則を重んじる熊に、シーは困り顔で大きなため息をついた。

 心なしか、その頬が少しだけ赤くなっているような気がする。

「おい何だ。知ってるなら早く言ったらどうなんだ」

 そう急かす堕天男に。

「いや。これ規約に引っかかるんじゃないかなと」

 意味不明の返答をするシー。

「何だ。いったい何を言っているんだ」

 そして迫る、タイムリミット。

「ええい、ままよ――〈セッ○ス〉」

 一瞬だけ「ピー」という謎の電子音が聴こえた気がした堕天男であった。

『正解。オ前タチ、仲間。サア入ルガ良イ』

 ゴゴゴ、と、低く唸るような音とともに開く、鉄製の扉。


「中までラブホ仕様なのか」

 外装同様赤やピンクを基調とした派手な内装に、堕天男はげんなりした。

 魔王城に攻め入るような先ほどのむせ返るような緊張感は一体何だったんだ――と。

「油断はしないでくださいね。あの人のことなので、思わぬ魔法トラップが仕掛けられているかもしれません」

「何で自分の家にそんなもの仕掛けてるんだ。ここは教団とやらには見つからないんじゃなかったのか」

「教団対策ではありません。師匠の趣味ですよ。私も弟子をしていた頃は何度死にかけたか……それをあの人は『この程度の魔法トラップも見抜けない方が悪い。自己責任』などと正当化し……ぶつぶつ……」

 愚痴が長引きそうだったので、途中で堕天男の聴覚がシーの声を強制排除シャットアウトした。

 そしてシーの忠告で、ラブホ内装で緩んでいた堕天男の緊張感が蘇る。

 何せ相手は趣味あそびで自分の弟子を殺すような異常者なのだ、と。

 気を抜いたらられるぞ――と、堕天男は自分を戒めた。


『オ前タチ……コンナトコロデ何ヲシテイル』


 唐突に人のものとは思えぬ不気味な極低音ヴォイスに、背後から呼び止められる。

 振り向けばそこにはいつの間にか――身長三メートルはあろうかという巨大な鎧男が、そびえ立っていた。

 兜の隙間、その奥から覗くはずの人間の眼はなく。

 代わりに得体の知れないふたつの赤い光が、不気味に輝いていた。

『ほーむせきゅりてぃダ。オ前タチ怪シイ奴ダナ。マスターカラハ何モ聞イテイナイ。住居不法侵入ハ犯罪ダゾ』

暗黒騎士ダークナイト……ですか。お師匠、これはまた厄介なのを仕掛けてくれましたね」

 シーの頬を伝う冷や汗を、堕天男は見逃さなかった。

「私が時間を稼ぎます。堕天男さんは、とりあえず全力で走ってください」

「まじか……」

 右も左もわからぬ、しかもどんなトラップが仕掛けられているかもわからない魔王城を、何も考えず全力で走れ、と。

 死の危険な気がプンプンする堕天男だったが、「動かなければ百パーセントられるぞ」と、シーの顔に書いてあった。


「『弾けよバルステン』!」


 巨大な暗黒騎士ホームセキュリティが、いきなり大型トラックにでもねられたかの如く後ろへとふっ飛んだ。

 何だ楽勝じゃないか、と安堵あんど日和ひよっていた堕天男に、「さっさと走れ」とシーが眼で促す。

 それもそのはず、勢いよくふっとばされた暗黒騎士は空中で華麗に態勢を立て直し、着地。

 どすどすどすどすどすどす。

 直後猛烈な勢いで、シーに向かって駆け出した。

 三メートルを超す巨体がウサイン・ボルトも裸足で逃げ出す高速で走ってくるその迫力は、全速力で突っこんでくるダンプカーの如し。

 通路は狭く、暗黒騎士の得物は刃渡り二メートルはある巨大剣グレートソード

 後退以外に逃げ場はなし。

「『爆ぜよエルペーゲ』!」

 シーの右腕より放たれし光の榴弾グレネードが、暗黒騎士に直撃――

 凄まじい爆炎と轟音を巻き起こし、外壁や天井、床の一部を崩落させた。


『何ダァ、今ノハー?』


 しかしまるで効いた様子はなく、爆炎の向こう側から現れたその巨体は。

 振りあげた数十キロはありそうな鉄塊を。

 シーに向かって思いきり、振りおろす!


「く――『浮遊せよフローテ』」

 とっさに宙に浮いて死を回避するシー。

 だが――


 巨大剣によって粉砕された床の破片が、弾丸となってシーに襲いかかる!


「ああっ!」

 無数の破片に全身を打たれたシーは、短い悲鳴をあげてそのまま無残に地面に墜落した。


『馬ァ鹿メェー。ソレガ狙イダ。シネェ!』

 全身から血を流し、もがき苦しむシーに。

 しかし暗黒騎士は、無慈悲にも巨大剣を振りあげ。

 シーの体重よりも重いであろう、その鉄塊を。

 まるでハエたたきの如く、振りおろす。


 ごしゃッ――!!


 思わず耳を塞ぎたくなるいやな音が、城内に響き渡った……

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