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「……」
「綺麗だね、アオくん」
「綺麗だけどさ、朝っぱらからこのチョイスなんなの?こういうのは、場が盛り上がってから、おまけの一押しに使うものでしょ?」
「まあ、最初に2人きりになって、距離を確かめようと思ったんじゃないかな?」
「マキは、トキオがそんな所まで考えてると思う?」
「いや……目に付いたモノに乗ってみただけだと思う」
現在、アオとマキが居るのは湖の上である。勿論、泳いでいる訳ではなく、スワンボートに搭乗中。ボートは2人乗りで、来て早々にトキオ、アカネ組とアオ、マキ組に分かれる事となった。
湖は呆れる程大きく、張り切って漕いでいたトキオ組は、さっさと何処かへ行ってしまった。
「いいけどね。俺はマキとのデートを楽しむから」
「デ、デートって……!」
「嫌?」
「嫌じゃない!嫌じゃない!アオくんこそ、嫌じゃないの?私みたいな地味な子」
「地味かな?」
「アカネちゃんが凄く人気あるから、私なんて自信持てないよ。今回トキオくんが告白したのだって、当然だって思うし」
「でも、アカネはあんまり浮いた話なかったよね」
「美人過ぎて高嶺の花だろうし、『恋愛興味ないです』オーラもあるからじゃない?」
「それは確かにあるね。家が探偵事務所らしくて、手伝いで忙しいらしいから、今は遠慮なのかな」
「後、なんというか、好意を理解しにくい的な印象もあるの。上手く言えないけど、ちょっと子供というか……基本的には、私より全然しっかりしてるんだけどね」
「言いたい事は分かるよ。無痛症っていうの?普通の人は、怪我をしたら痛みを感じて『痛い』って口にするけど、アカネの場合は怪我をして、血が出てるのを目視して、そしたら、痛いって言うべきだから『痛い』と口にしてる。そんな感じ」
「直接的じゃないって事?」
「うん。同様に、好意を受けたから反応するんじゃなくて、好意に反応すべきだから反応するタイプ。だから、好意に気付かない限りはノーリアクションなんだ、アカネは」
「落ち着いてて、大人な感じだと思うけど」
「もう少し根が深い問題だと思うよ」
いや、根が深いとか変わってるとか、そう言うレベルの話ではない。
――アオは見ているのだ。
アカネが同級生を喰っているところを。
鬼の形相で目撃者である自分を追ってくるのを。
――殺されると思った。
いや、捕まっていれば殺されていただろう。しかも、あの追跡は『見られたくないモノを見られたなら、目撃者は消さなくてはならない』という規範だけの口封じだった。
(映画でそう言ってた……そんなアホな理由が、あの化け物を動かしてる)
あの行動力は理解不能で、同時に機械的に理解できてしまう。
やらねばならないから、アカネは動くのだ。そこに執念や打算は存在せず、理念や指標なんてとんでもない。
学校では人を襲わないルールがあるから、学校ではアオを襲わない。放課後は襲っていいルールだから、アオを襲う。根拠なんて存在しない、アカネだけが知るアカネの環境。
真に恐ろしいのは、夜に出会えば確実な殺意を示すのに、学校では笑い掛けてくる歪さ。
アカネを形作る無邪気さの集合系こそが、人間らしさの欠如だ。
今時は子供だって嘘を吐く。なんだったら犬だって人を謀る。天真爛漫な生き物なんて存在しない。全ては知性を以て未熟な偏見を形作り、世界から流れ来る感情に、過去からの連続性という補正を掛ける。
全くの先入観無しにケース・オア・ケースで行動するアカネは、恐怖を湧き立たせる異形だ。環境が変われば前の環境の事など我知らずと次の行動を始める。
恐らく昨日の中庭での会話で、アオとアカネの環境は変わっているだろう。『アオが自分の秘密を目撃していない環境』への反応として、夜の襲撃は無くなっている筈なのである。
実に無邪気な生物。その在り方には、命を狙われるより強い不快感を覚える。
「あまり関わるべきでない人種だよ。アカネは」
「そ…そういう言い方は良くないと思うよ」
「マキも、友達面する事ないよ。知ってるでしょ?最近アカネが虐められた……というか、嫌がらせを受けたの」
「ああ、あれ酷いよね」
「……アカネの下着が盗まれたらしいね」
「下着?そんな……」
「そんな指示はしてないよね。やったのは制服に牛乳掛けろって程度のことでしょ。下着はあいつ等が勝手にやっただけ」
「……」
アオが口にすると、マキは形容しがたい表情になった。
「別に俺が怒る事じゃないし。止めてやれとも思わないよ。止めときなとは思うけど。分からないのは、なんで嫌がらせをしたのかだよ」
「言い繕っても無駄だよね」
「無駄。印象が悪くなるだけ」
マキは、そっかと呟いて、湖面に視線を流した。
「マキはアカネとトキオを付き合わせたいみたいな言動だけど、嫌がらせなんて、どうして逆の事をしたのさ?」
「逆じゃないよ。『トキオくんのファンから嫉妬されてるよ』って事にして、トキオくんの価値を高めて。二人を付き合わせようとしたの」
「ややこしい事するね」
「そうでもしないとトキオくんに、彼氏としての価値ないし」
「酷い言われようだね。否定は…どうしよっかな」
「あはは。否定してあげなよ」
マキは吹っ切れた様に笑った。
「でも、冷静に考えたら、嫉妬してたのは私の方かな」
「トキオに告白されてるのが?」
「トキオくんは、関係ないの。皆の目の前で告白されるなんて、ドラマチックじゃない。アカネちゃんだけそういう事があるのが羨ましかった……んだと思う」
「分かるけどね。俺も地味だし、女子になんてモテないし」
「そ、そんなことないよ!アオくんはカッコいいし、人気あるよ!」
このマキの反応は恐怖を感じさせるモノであり、同時にアオを落胆させるものであった。
アオの持論は、『人間は哲学的なゾンビにして、世界からの反応だけで動いている』というモノである。つまり、人間の内に感情は存在しないと考える。
蒼を見たら蒼だと思い、悲しい映画を見たら悲しみが胸の内に浮かんでくる。それは感情が内側ではなく、外側にこそ存在すると解釈する。
悲しい映画を見て悲しむ人間もいれば悲しまない人間もいるじゃないかと言われようが、そこに感情を認めはしない。十年二十年生きてきた連続した環境は人それぞれ違い、同じ映画を見ても、それが悲劇になるか喜劇になるかが変わってくる。決して人間側の事情ではない。
逆に言えば、環境さえ整えてやれば人は操れる。盗難癖のある奴の目の前に、無防備に財布を置いてやれば、そいつはまんまと財布を盗むだろうと言う話。
同じ様にして環境を整えてマキを操ろうと画策していたが、マキの環境はアオが予想していた以上に拗れているらしい。
(残念だね。マキもアカネ程じゃないけど十分狂ってるから、慎重にやればもっと使えると思ったけど。これは無理そうだね)
アオは、狂気は2種類存在すると豪語する。マキのように人と同じモノを目にしても、人と同じ反応が出来ない狂気と、アカネの様に環境に連続性が無く、目の前の場面に反射のみで動く狂気。
つまりはマキとアカネは真逆の狂気と言えよう。環境の物理的連続性の両端を狂気と呼ぶのならば、正気は何処にあるのだろうか?
その問いに対するアオの返答は『存在しない』である。
物事に拘りがあれば発達障害と言われ、拘りがなければ学習障害と呼ばれるこの世の中。全てのモノは病気と判断され得るし、狂気と診断される可能性を持つ。
故に両極の中間範囲に必死に留まって受診を後回しにし、診断を受けぬままに人生を終えた者のみを正気と呼ぶのだ。
(なんて、現実逃避は止めよう。マキと2人きりは怖いし、あの2人を探さないと)
「トキオ達はどこかな?このまま合流しないっていうのは、どうかと思うんだ」
話を振るが、マキは、聞いてはいけない内容の愚痴を、ただただ垂れ流していた。
アオは顔を引き攣らせ、マキから離れたい一心でトキオ達を探す。
「居た!あいつら、岸に上がってるじゃないか………え?」
それらしい人影を、遠くの岸に見付けたが、目にした光景は信じがたいモノであった。
岸辺に立つ男女の内、礼服を着た男が、ジャージの女を蹴り飛ばしたのだ。そして、転んだ女をこれでもかと殴り続けていた。
「何がどうなってるのさ!」
アオは気が付いたらボートを近くの岸に着け、現場に向かって走り始めていた。
しかし、現場に着くには湖を大回りしなければならない。アカネが殴られ続けている光景と、騒ぎになり始めている現状を遠くに見ながら、辿り着けない歯痒さに唇を噛む。
と、衆目を集める黒い二人の間に、白い誰かが割って入るのが見えた。
「あの白いスーツは……白崎ハガネ?」
何故彼がここに現れたのか?
追跡している事件の犯人だと疑っているアオを監視していたのか?
それとも、化け物であるアカネを監督していたのか?
どちらの理由も間違いでないだろうが、核心ではない事を昨日スイに教わっている。
「……俺だって死にたくないんだよ」
スイからの提案は、『秘密兵器』を使ってハガネを脅迫しろというものだった。その効果には疑念の余地があったが、ハガネの異常な行動を目の当りにした以上は無下にできない。
むしろ、より効果的に使うべきだと思えた。
「ごめんよ、俺の正義感。自分自身で過大評価してたみたいだ」
アカネとトキオを助けようと、アオが走り出したのは嘘ではなかった。今も早く現場に着いて、2人のためにも事態を収めたい気持ちはある。
ただ、閉ざされた未来が、他人の不幸によって開くなら。人を慮る気持ちを、無関心の炉に放り投げてしまいたくなる。
「これは決して道徳への裏切りじゃない。そういう環境が整ったと言うだけの話だ」
呪文のように自分に言い聞かせ、、誰かを助けようと言う気概を消して、望む未来を、道筋を描く。
懐からスイに預かったモノを取り出すと、揉み合う二人に近付いていった。
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