第一章『白崎アカネは悲嘆する』1

 今日の朝は、最悪と称するのに相応しかった。いや、最悪なのは前の晩からか。

 昨日の夜遅く、唾棄すべきデバガメにより乙女の秘密が白日の下に晒されたのである。いや、夜だから『月下に晒された』と言うべきなのだろうか?その響きだと情景的に素晴らしい気がする。

「違う!秘密がバレタことが問題なの」

 秘密がバレた以上、口止めが必要だと映画で言っていた。小さなミスのせいで余計な仕事が増えてしまったぜ、というヤツである。

 一応、面倒事の早期解決を図って彼を追い掛けたのだが、まんまと巻かれてしまった。デバガメに連絡も入れてみたが、それも全て無視されている。

 仕方ないので、今日は早めに登校して彼と話を付けようと決めていたのに、泣き寝したせいで寝坊をし、化粧のノリが悪くて時間を食い、前髪の位置が決まらなくて遅い登校時間になってしまったのである。

「アオ、とっくに登校しちゃってるよ!」

 私の秘密を見た相手……彼はなんと言ったか?

 そうだ、黒鉄葵という男の子だ。皆が彼をアオと呼んでいるので、私もそれに倣っている。

 アオはお喋りな方ではないが、昨日の出来事を零さないとも限らない。いや、乙女の秘密を知った男子生徒は、不可抗力的にそれを口にすると漫画で言っていた。

 恐らく私の秘密は既に学校中に広められ、恰好のゴシップとなっているだろう。

「寝ないで学校でアオを待ってれば良かったかな?でも、夜は寝るものだって、漫画で言ってたし」

 私の通う私立小夜高校は特筆すべき実績もない学校で、偏差値も中位公立とだいたい一緒。部活動に力を入れているという割に、陸上部以外はまともに動いていない。

 私はその平々凡々な学校の一年生。学業も赤点を回避する程度に抑え、運動のレベルも周りに合わせて目立たないようにしている。そこそこ友達もおり、変哲のない生活を送れている。

「ここまで続けてきた人間らしい学生生活、なんとか守らないと」

 人生は『人間らしい生活』を送るためにあると、漫画で言っていた。目的にして手段だ。些細なミスで脅かされる訳にはいかない。

 アオの問題は今日中に片付ける!と決めた所で、道の向こうに学校が見えてきた。言うべき事もない、絵に描いたザ・校舎である。周りには同時刻に登校したらしい、レベルが高くも低くもない生徒達が合流してきている。

 私は顔を隠すように伏せ、当り障りない速度で校門を通過する。校舎に入る生徒の流れから外れないように玄関に行き、靴を履き替えて教室へと向かった。

 この学校では一階が職員室などの特別教室で、一年生の教室は二階になる。

 教室の扉を潜ると、既に多くの生徒が登校を済ませており、アオの姿も確認できた。

「失敗したなあ…」

 きっとアオは、昨日見た事を広めているだろう。私はクラスメイト達に白い目で見られ、異分子だと罵られるのだ。

「あれ?」

 しかし、入り口で待っていても罵倒は飛んでこない。私の秘密はまだ広まっていないのだろうか?私に主人公補正というヤツが掛かっていて、助かったのか?

「……は!まさか!?」

 思えば、私はアオだけに秘密を握られている状態だ。そう言うシチュエーションでは、私の立場は弱く、私はアオの言いなりにならなければならないと漫画で言っていた。

「なんとかしないといけないヤツだ」

 私は、アオに近寄っていく。

 問題が在ればそれを取り除くべきだと映画で言っていた。人間の申し子たる私がその訓示に従わない理由はない。

「お、おはよう!アオ」

「おはよう。なに?」

 さりげなく声を掛けるが、アオは座ったまま体の向きも変えず、顔だけをこちらに向けた。

 スリ硝子の様な瞳が、面倒そうな私を映していた。

「何って聞かれても……」

「普通に話し掛けてくるなんて、君は一体どういう神経をしてるのさ?」

「どういうこと?」

「いや、分からないなら良いよ。そういや、アカネはそういうヤツだった」

「何を言いたいのか分からないけど。アオ、ちょっと話していい?」

「良くないけど、こうして、逃げないで言葉を待ってるじゃないか」

「そうじゃなくて、廊下出よう?」

「……表に出ろ的な?」

 漫画でよく言ってたセリフだけど、それじゃない。

「違う!2人きりになれないかって事」

「なれない。どうして同じ意味なのに『違う』とか言うのさ」

「すぐ済むから。ね!」

「恐ろしいこと言わないでよ。『済む』って何がさ……」

「話し合い」

「なんの?」

「……なんの?」

 なんの?

「なんで不思議そうなのさ……」

「……?」

「……もういいよ。ここで話し合えばいいじゃない」

 アオが溜息吐き、とんでもない脅迫をしてくる。

 やはり、アオは私の秘密を皆に聞かせるつもりらしい。

「ここは人が居るし、話せない」

「俺は、人が居ないと話せないよ」

「人が居たら、話せないでしょ!分かるでしょ?」

「分からないから、説明くれよ」

 罪は確定していないけど、アオは半分犯罪者だ。だから、きっと嘘を吐いている。

「説明って……バカなの!?説明できないから、2人になろうって言ってるのに」

「……嘘でしょ、こいつ」

「嘘って何が?」

 嘘を吐くのは、私じゃなくてアオの筈だ。

「なんでもない。とにかく、朝っぱらから2人になりたいとか、サカルの止めてよ」

「サカル?」

「分からないなら、いいよ」

「そう?少し2人きりになる位、良いでしょ?」

「良いでしょ♪って、馬鹿なの、アカネは?」

「馬鹿じゃないもん!」

「じゃあ、一度周りを見てみなよ」

「周り?」

 アオに指摘されて教室を見回す。理由は分からないが、教室中の好奇に目に出くわした。

「あわわ……」

 これはよくない。これはよくない!

「あ、後で良いから!じゃあ、いいから!」

 アオにと言うより、周りに言い訳をして自分の席に逃げ出した。

 離れる時にアオが何か言っていたが、聞きそびれてしまった。

「おはよう、アカネちゃん。朝から仲良いね」

「おはよう、マキ。仲良くないよ。話がしたいから2人になりたかっただけなのに、なんなのあの反応」

「そうなんだ……まあ、雰囲気あったし」

「雰囲気?」

 席に着くと前の席のマキに声を掛けられた。

 マキは飾りっ気がないが、可愛い外見をしているらしい。化粧とか髪形とか色々すればモテると思う!と、漫画で言っていた。

「ううん、いいの。雰囲気なんて、周りの勘違いだし」

「分かんない!」

「ところで、アオくんへの大事な話って、何?この前話してたゲームとか?」

「ああ、ゲームのことも聞かないとダメだった」

 そう言えば、ゲームを借りたから、クリアして返さないといけない。

「ゲームだったのね、良かった」

「良かった?」

「ううん!何でもないの。アカネちゃん、ゲーム好きなんだね」

「好きというより、借りたからにはクリアしないとダメなの。漫画で言ってた。でも、詰まっちゃったんだよね」

「2人きりにならなくても、普通に聞いたらいいのに。それに携帯で聞いたらダメなの?」

「携帯は昨日から、無視されてるの」

「そ、そうなんだ……」

「マキは、『ジョナサンの冒険』っていうゲーム、詳しい?」

「私、バカだから、ゲームとか苦手なの」

「ゲームは、クリアできるように作られてるから、頭は頭関係ないんじゃない?」

「そうかな?でも、操作とか覚えられないし」

「操作を覚えるのは、運動神経の問題だって漫画で言ってた」

「運動神経かー。確かに無いかも。アカネちゃんは、運動神経も良いよね」

「運動神経は女の子には、大事なスキルじゃないって、漫画で言ってた。目立っちゃうし、要らないよ」

「あはは。トキオくんとか、アカネちゃんに対抗心バリバリだよね」

「目立ったらいけないのに。運動能力なんて、あげられるなら、あげるよ」

「くれるなら、欲しいかも。でも、今欲しいのは、運動スキルより料理スキルかな。中でもお菓子スキル!」

 マキは、笑顔のようなモノを顔に貼り付けて言った。

「お菓子スキル?」

「ほら、もうすぐバレンタインじゃない。手作り出来たらいいなって、毎年思うもの。アカネチャンは、バレンタインどうするの?」

「本命いないし、参加しない」

「本命じゃなくても、義理チョコとか友チョコとかあるでしょ?」

「本命チョコ以外は邪道だって、漫画で言ってた」

「真面目ね。乙女レベルが高過ぎるのかな?」

「分かんない!」

「アカネちゃんは、料理とかする?」

「出来ない!料理してる筈なのに、土木作業になっちゃうし」

「なにそれ?」

「ノコギリ使ってギーコギーコのやつ」

「ふ~ん。でも、アカネちゃんは、食事全般が好きじゃない感あるよね。そのクセ、いつもお腹減ってるイメージ」

「……」

 マキも、私の秘密を知っているのだろうか?

「照れない、照れない。分かってるよ。ダイエットしてれば、お腹空くもんね。でも、アカネちゃんは、ダイエットは必要ないと思うけどな」

「そ、想像にお任せします」

 こういった質問の時は、こう返せばいいと漫画で言っていた。

 マキは何それと笑いながら、前を向く。見ると、既に担任の先生が教壇に立ち、ホームルームを始めるところだった。

「何でバレたんだろ?」

 指摘された通り、私は常にお腹が減っている。しかし、マキがデバガメしているとは考えていなかった。

 けど、マキは空腹の理由を……なんだっけ?覚えていないけど、私の秘密とは別のことを言っていた。だから、マキは対処しなくてもいい筈だ。

 そう言う訳で、今対処しないといけないのはアオだ。

 秘密を知ったアオは、早急に死なないといけないと母親が言っていた。しかし、アオが罪を犯した訳ではないのが問題だ。

 デバガメはあくまでも個人的な厄介で、法を犯した訳ではないのだから。

「どうすればいいんだろ?まあ、行動に移す前に『まずは話し合いから』っていうのをしてみたらいいよね」

『死んでくれ』

 そう頼んでみるべきなのだろう。

 どうにかして2人きりになり、天気の話なりで導入をして、その後アイスブレイクの冗談で場を和ませ、折を見て核心の要求を提示する。

 この黄金パターンさえこなせば、話し合いは九割方上手くいくと漫画で言っていた。

 まあ、願いが叶えられないなら、それはそれで問題ない。女の頼みを断る男は処断されるべきだと映画で言っていたから、アオは私の頼みを断った時点で裁かれるべきなのだ。

「うん。計画は完璧!なら、次の休み時間に2人きりにならなきゃ。時間が経つ程状況は悪くなるって漫画で言ってたしね」

 私は計画を練り上げて、アオの方を見た。ただ、アオを眺める姿は、漫画で言っていた恋する乙女に見えるかもしれないので、慌てて目を逸らした。

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