現実との対話Ⅳ

「なにか私に秘密にしていることはないか」


 部屋に入ってきた僕を見るなり先生が言った。僕はぎくりと身を固くして、その場に立ち尽くした。先生がその様子にため息をつき、とにかく座れと椅子を示した。


 全身の関節を接着剤でくっつけられたようにぎこちのない動きで腰掛ける。先生には僕のしでかしたことを正直に話そうとは思っていた。だが、こうもあっさりと看破されるとは。


「で、なにをした。まさかこの間言っていたアレを実行に移したんじゃあるまいな」


 思わず息を呑んだ。反応から察したのだろう、先生が頭を抱えた。動揺しているらしく、取り出したタバコを逆さに咥える。


「なんてことをした、馬鹿者が」


 ぷっ、とタバコを吐き飛ばして先生が眉間に深い縦皺を作った。僕が謝ろうと腕を動かすと、それを苛立たし気に遮る。


「謝罪はあとでいくらでも聞く。いまは七色だ。様子は?」


 僕はこの一週間の先輩を余すことなく伝える。進むにつれて先生の貧乏ゆすりが激しくなり、話し終えたときには咥えなおしたタバコを噛みちぎっていた。


「なぜ私の言葉を無視した。素人が下手に手を出すな。あれだけ殺した殺したと騒いでおいて、今度こそ本当に殺すつもりか。それで満足か」


 先生は矢継ぎ早に言葉を放つ。そのすべては僕の浅慮が招いた最悪の事態を嫌悪していた。


「三年だぞ。まだたったの三年だ。七色は七つの人格を作り出している。七つだぞ。一筋縄でいくものか。時間が必要なんだよ、彼女には。誰よりも時間が。だというのに、なにを焦っているんだ、お前は」


 焦り。先生の指摘通りに僕は焦っていた。このままでは本当に初架先輩が消えてしまうのではないか。もし、そうなってしまえば、それは間違いなく僕のせいだ。


 七つの人格。それはあの悪夢の中で彼女に求められた偶像。


 ――すべてを許す母。

 ――闇を照らす快活さ。

 ――従順なる人形。

 ――穢れを知らぬ無垢。

 ――嗜虐のための反発。

 ――積極的な性。


 そして、七つ目は僕が求めた。彼女を消してしまうことだとは思いもしないで、最後の席を埋めてしまった。


 ――罪すら見えぬ盲目の愛。


「こんにちは」


 突然扉が開いた。ふたりして視線を向けると眩しい光を背に受けて、人影がそこに立っていた。


「七色、か?」


 先生の問いに影が答える。


「はい、お久しぶりです、先生」


 


「後輩、お前に会いにきたんだ」


 


「すぐ、終わるから」


 


「私、わからなくなっちゃったから」


 


「もう悩むのもバカバカしくなったのよ」


 


「だから、お願いがあるのよ」


 


「私はあなたを愛してる。だからね」


 


 


「一緒に死んでくれる?」


 彼女の身体が闇の中に滑り込んできたかと思うと、僕へとぶつかっていた。もつれ合い、椅子から転げ落ちる。不思議と痛みはなかった。腹部には包丁が深々と刺さっているというのに。


「なんて不埒な真似を! 私が医者だということを忘れたか!」


 珍しく取り乱した先生の声が聞こえる。ほんの数センチ先、僕の目の前には先輩の顔がある。ぽたりぽたりと雫が落ちてくる。泣いているのだ。


 ああ、泣かないでくださいよ、先輩。


 そんなことを思いながら、僕は黙って、瞼を閉じた。

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