「書く/描く」と言う事に関して
さて、一通りのエクスキューズを読み終えていただいた処で、『カルナヴァル』の注釈や解剖の前に、先ずは私の創作手順を大まかに述べておく。
と云っても、何か特殊な事をしている訳ではなく、凡そ一般的な作り方をしているのだが、この「一般的な」と云うのが厄介なもので、用語の運用一つ取っても既にその意味する処の事が異なる等、「一般化されていない一般」が世に氾濫している事態である。なので、私が意味する処のものを記しておこう、と云う次第である。
1—主題を決める
これが無ければ始まらない、と云うより私は始めようが無い。「主題・テーマ」と云うと大仰に聞こえるが、要は「その物語全体の
これを云うと「何を当たり前の事を」と思われるかも知れないが、存外世の中には「自分でも訳が判らないが書いたら書けた」とかそう云う書き方も存在するし、詩や俳句等の様な「感じた事を言葉に変換した」と云う作り方も有り、それ等は有効に機能している。
ただ、私はこれが苦手なのである。
で、如何するかと云うと「無自覚な差別主義者が自滅する話を描こう」とか「ゴシックロマンを描こう」と云うのを決めるのである。これは書き物に限らず、絵画でもデザインでも、或はプラモデルでも、私はこの「指針」が決まらないと作れない性分なのである。
2—構造を決める
さて、主題が決まったら、今度はその主題を構成する為の骨組みである構造を決める事にする。この構造の段階で、お話全体の凡その筋書きも決めてしまう。ただ、筋は決まるが、それは飽く迄ワイヤで繋いだ積み木の様な物で、その筋を辿らせるには如何なる展開にするか、等は未だ決まっていないか、決まっていてもそれを如何に表そうか、自分でも分っていないのがこの段階である。
1を引き継ぐなら「差別主義者は何故自滅するのか?—自分を支えているモノを自ら搾取・破壊するから—ではそれを表すには?」や「そもさん『ゴシックロマン』とは何ぞ?—頽廃と耽美の交錯か—」等の流れである。
そして、構造が決まると、凡その登場人物達やその関係性も段々見えて来る。ただ、この段階ではまだ石を置いただけで、それを繋げるにはまだ
また、構造を決定した段階で、文体や人称・観点が大体決まる。ただし、これは後にプロットとドラマ・ストーリーを組む段階で操作する事は有る。
3—プロットを決める
構造が見えたならば、次に考えるのはプロットである。
この「プロット」と云う単語が厄介で、世間一般では「あらすじ」や「ストーリー」と同義の様に扱われていたりもするが、私はこの言葉を「その世界/現象/個人の因果関係とその動機の組合せ」と云う様に考えている。
如何云う事かと云うと、例えば人物Aと人物Bを登場させ、このAとBが葛藤するドラマを作るとする。すると、AにはベクトルAと云う行動理念が有り、他方BにもベクトルBの行動規範が有り、これが衝突関係にある、となる。で、このAがそのvAを獲得する至った背景には共同体Aとの歴史的関連が在り、他方のBもvBを得るに至る共同体Aとの関係を持っているとする。すると例えばAは祖国Aの英雄であり英雄としての行動理念を持つ一方、Bは祖国Aの裏切り者であり、裏切った理由は祖国Aに迫害された過去を持つと云う様な形になる。ここに更に祖国Aの成立ちや何故Bを迫害したのか、と云う祖国A自体の因果があり、祖国Aのその世界Mでの在り方等が生じる。で、AとBが衝突した結果を受けて、祖国Aには変化が生じ、それが世界Mでの動きを変える。と云う様に様々に連動し錯綜する因果関係を一通り考えた後、その因果の絡まる一部を切り出し、並び替える事でドラマツルギーを組み立てるのである。
こう難しい言葉を並べると大仰に聞こえるが、そう大した事ではなく、例えば人形遊びをする時に、その舞台設定や人形達の性格や立ち位置を決める様なモノである。前述した様に、私は物語の流れを「視覚的」に捉える傾向があるので、ここでも関数空間上でのベクトルの向きや相関によるベクトルの変化を時系列に捉えている、と考えて頂けると分り易いかも知れない。
ここで一つ注意点としては、登場人物達は必ずしも自分自身の動機や、世界や現象の構造や因果関係を「正しく」把握して居る訳では無い、と云う事である。登場人物達には各々の視点や立場から無意識に誤解する事もあれば、当然嘘をついたり誤摩化したりする事もある。故に、彼/彼女達の台詞は作者自身からは疎か、作中の事実や本人の実体からすら乖離している事がある。私の書き物は説明的な台詞も多いが、それが常に「説明」であると云う事も無いのである。
更に云えば、私はこの時組んだプロットを全て説明する事は無く、「物語」に必要な部分だけトリミングし、後は「開き」っぱなしにしている。例えば月による地球からの独立戦争での投石作戦下の世界を舞台とした話では、何故月が地球から独立しようとしたのか、はある登場人物が同情的な部分だけ台詞で語るが細かい部分はドラマのノイズになると思ったので出さなかったし、また、登場人物達の生立ちも、部分的に漏らす事はあるが、当人達にとって自明の事をわざわざ語ったりはしない。だが、それぞれに登場人物やその周囲の共同体や世界が、何故そこで語られている様な形になっているのか等はこのプロット段階では或る程度決めていたりする。
私の話が、登場人物が死んで(詰まりメインプロットの視点が閉じて)終わりになる話が多いのもこの為かもしれない。
4—ストーリーを決める
大分長くなって来たが、もう少しでこの章は終わりなので辛抱して頂きたい。
プロットが決まれば、後はそれを如何に語るかの「カメラワーク」を決めて、台詞で繋ぐだけである。私はこの「語り口」を「ストーリー」だと思っており、こここそが「物語」だと思っている。
「プロット」の段階で決まった因果関係を、如何に「主題」に則した形で読み手に届けるか、場面や語り口の順番を入れ替えたり、伏線を張るのは如何するか、それを考え、読者を待ち構えて手ぐすね引くのはこの段階である。「プロット」の段階で登場人物の立ち位置や因果関係は決めたが、他に小道具や服装、舞台美術にどんでん返し等を決めたり、フレーバーを散らしたり調整するのがこの段階である。
5—書く
さて、一通り材料が揃ったら、後は台詞や描写の糊でくっ付け、組み立て、肉付けするだけである。
組み立てるだけ、であるのだが、少なくとも私は材料を揃えた段階で大分満足してしまう癖があるので、この組み立て作業が最もシンドク、それでいて最も必要な時間が多いと云う困った事になる。口述筆記とかできたら楽なのになぁ、とも。
なので、書く前に踏ん切りを付ける為にアルコールを呷る事も多い。良くない癖なのは分っているのだが、心理的引っかかりを低減してくれるせいで、ついやってしまう。
Just, do it!
以上に推敲を添えると私の凡その書き方になる。
随分と冗長な文になってしまったが、ここ迄おつきあい頂き、感謝します。
さて、次章では上を踏まえ、『カルナヴァル』について述べて行こうと思う。
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