商売の鉄則その二・遠慮なくもらえ

 さて世界初、旅の奴隷商人として独り立ちの決まったコルナタは早速旅支度を始めました。


 そりゃいきなり店閉めるって言われたので感慨にふける暇もありません。


 十年近く暮らしてきた街を出る。


 しかも、国による差はあれど闇の住人である奴隷商人として。


 計り知れない苦難の旅となるでしょう。でもコルナタの表情は明るい。


 良き師に学び、認められての年季明け。


 唐突ではありましたが一人前の認定をもらうのは全ての見習いの念願です。彼の見る先行きはどこまでも明るいものでした。





 準備はまず師匠から店の全てを継ぐところから。


「全部合わせたって大したもんじゃないけどね。えーっとお金は私の旅費だけ抜いて」


「待ってください師匠!いくらなんでも少な過ぎます!」


「へーきへーき、旅には慣れてるから」


「その金額では旅費ではなく旅のおやつ代ですよ…せめてこれくらいは」


「いや多いって。これだけあったら北の端っこまで行けるじゃん」


「移住先が決まれば先立つものも必要でしょう。この予備費も持って行ってください」


「多いって」


 そんな風にああだこおだと言い合っているうちに日が暮れ次の朝が来ましたが…とにかく金の引き継ぎが終われば次は備品。


「って言っても元々あったもんばっかりだから店ごと置いとけばいいよ。旅商人には拠点がないとね」


「そうですね。実は売りに出すのもしのびないと思っていました」


「情けないなぁ。商人なら家売ってでも商機は逃したらだめ。前の店長が言ってた」


「肝に銘じます。…なるべく、最後に回します」


「甘ったれだなぁ」


「…では、備品はそういうことで」


「あー待って。もう一つある」


「?」


 首を傾げる弟子を置いて師は店の外へ。


 はて、このような商売に看板でもあっただろうかと弟子が出て行ってみれば、通りの向こうから変わったものが歩いてくるところでした。


 一見するとそれはただの馬車に見える。幌ではなく屋根がついた木製の車を一頭の馬が曳く、時たま見かける旅馬車。しかし、何か違和感がある。


 御者がいなかった。


 馬の方はと言えば何も不思議なことはないと言わんばかりに憮然とした態度でゆっくり歩を進め、やがて店の前に来るとぴたりとその足を止めた。


 ご近所がざわつくのをよそに師は馬の鼻面を撫でる。


「これも備品だから、お前にあげる」


「師匠…」


「驚くのはまだ早いよ?これは、魔法の馬車なんだから」


 師は弟子を伴って車の後ろへ回り、扉を開け放つ。


 するとそこには、空間が広がっていました。


 そりゃ空間くらいあるだろと思うでしょうがただの空間ではありません、魔法の馬車なので。


 そこに広がっていたのは、明らかに馬車の見た目より広い空間。床は板張りですが清潔で絨毯まで引いてあり、天井の明かりが温かに灯る。


 奥を見ればまっすぐ廊下があり、窓はありませんが左右にそれぞれ三つずつ、奥に一つ扉がありました。


「これは…」


「面白いでしょ?旅は快適な方がいいからね」


「確かに…奴隷の管理もしやすそうです」


「はは。荷物は一番手前の右の部屋に。馬や人の食糧は左ね。後の部屋は人間用」


「奴隷は四人まで、ですか。都合上それが限度でしょうね」


「そ。よくできてるでしょ」


 感嘆する弟子に、にんまり満足げに笑った師が説明の続きをしようとすると、それより先に声が返ってきました。


「…師匠」


「ん?」


「途中まででも、一緒に行きませんか」


 それは、目を見るまでもなく真剣な言葉。


 真摯で、しかしなんとか絞り出した一言。


 それを聞いて、師は。


「だめ。私には私の旅の予定がある」


 弟子に対して、突き放すように言いました。


「…残念です」






 荷物を積み込み、各部屋を点検し、馬に草と水、塊塩をやれば準備完了。


 最後に受け継ぐのは、商品。


 奴隷です。


 売れ残りの。


「…どうなってるの?これ」


「魔法だそうです」


「魔法…」


 師から弟子へ継がれた奴隷は一人。


 野暮ったい癖つきの髪で作りの良い顔と無気力な表情を隠す、細身の若い女奴隷。


 名前はエナ。コルナタにとっては身内と師の次に付き合いの長い女でした。


 つまり、長く売れ残ってる困った女。


「エナさんにも必ず居場所を見つけてみせます」


「そ…」


 少ない荷物を抱えた女奴隷が馬車へ乗るのを確認したコルナタは優しく扉を閉め、自分は馬車の御者台へ。


 馬車の重さは「魔法」によって普通よりさらに軽くなっているとのことで、馬の負担は少なく、主人としても気持ちが軽い。


 服装はいつもの前掛け店員から外套と帽子の旅装へ。


「似合ってるじゃん」


 茶化すような調子の師匠に帽子を挙げて応える。


 がらんどうになった店の前で、二人は見つめ合う。


 それだけで充分だった。


 十年一緒に過ごした師弟に、もはや尽くす言葉はない。


 ただ、行ってきます、とだけ。


 言葉を残していった弟子を、師はいつまでも見送っているのでした。

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