第25話


 そこは戦争も何もない平和な世界だった。人々は今日もあくせくと働き、小金を稼ぎ、少し豪華な食材を買い、家族と楽しく過ごす、そんな日常がこの世界にはあった。

 ここには戦争、いや争いすらもなく、小鳥がさえずり、妖精が舞い踊るような澄んだ静けさがあった。


 そんな世界に住んでいる。


 それはとても幸運なことだ。何でも、この世界ではない所では日々、争いが耐えないようだ。それでは家畜や野菜は育たず、荒れた荒野と人間の感情があるだけだろう。


 それはとても尊いことだ。

 感謝しなければならない。

 感謝の中には愛情がある。愛情は人を幸せにし、心を穏やかにしてくれる。愛情がもっと深まればより信頼や未来の希望が産まれてくるし、芽生えれば人間の和というものが今よりももっとずっと広まっていく。


 夢の中でさえそう思ってしまうあたり彼は骨の髄から神父なのだろう。

 神父と言うからには宗教が存在するのだろうと思うかもしれないが、そんなにメジャーなものではなく地域に根付いている程度の教えだ。名前を“神教”といった。

 彼は神の使いらしく人前で声を荒らげること、いや、そういった感情を表に出すことを好まず、絶対にしなかった。だが、彼も神の使いの前に人間である。神と人間に挟まれた者として、これまで約10年ほど全く変わらない夢を見ている。


 それはこの世界の崩壊の夢。


 突如として降り注ぐ“灰”によって、世界は崩壊し、消滅していく、まさに悪夢といえるもの。

 色鮮やかな風景は全て灰色一色に染まり、澄んだ静けさはたちまち悲壮の静けさへと変わる。

 泣く者、喚く者、絶望する者……。楽しむや明るいなどの感情以外の人間としても魂の叫びが世界の到るところで聞こえてくる。

 しかし、神父は黙って目を塞いだ。そして手を合わせ、祈ることしか出来なかった。


 無力な自分を許してくれ、何も出来なかった自分を許してくれ。


 そう願うように祈るしかできなかった。

 神父はまだ五体満足であったが他の人々は次々と身体がボロボロと崩れ落ち“灰”へと変わっていく。昨日まで元気に会話していた子供達が寄り添ってきて「助けて……」とせがんで来る姿にはもう我慢も限界に達し思い切り抱きしめ号泣した。


 心優しい神父には拷問にも等しかったといっても過言ではないだろう。


 そして、子供達が消滅し、灰になると今度こそやっと神父も“灰”になろうとしていた。


 そこに生への執着はなかった。無力を感じ絶望を体感し、神へ恨みを持った今の神父には生への執着など、無駄なものとしか思えなかった。

 そして、身体が崩れさる瞬間、叫ぶ。


「神なんてクソ喰らえだぁああああああああああああああああああああああああ!!」




 神父にはこの夢は記憶として残っていない。衝撃が大き過ぎて記憶として覚えることを拒否しているのか、ともかく彼は目覚めるとこの悪夢を一片たりとも覚えていないのだ。


 そのことを残念に思うこともなければ、どうにかしようと思い立つわけでもなかった。覚えていないのだから無理からぬことではあったのだが。


 だが、断片的に記憶ではなく定着した知識がある。通常の人間にはないある種、特殊能力と呼べるもの。


 それを彼は“神様のおせっかい”と呼んだ。人間から神へと近づくための神様からの贈物。


 それを受け取ることができるのは砂粒ほどの人数だ。


 神父はその内の一人。自分でおせっかいの能力は理解している。ただ、彼はそれを公表しようとは思っていないどころか、むしろ隠そう隠そうとしてきた。


 争いの耐えない場所では自分だけの特殊能力、というのは信仰や尊敬の対象なのかもしれないが、この平和な世界ではそんな力は侮蔑の対象でしかないのだ。人とは違った力を持つことはそれだけで異端児扱いされてしまい蔑みになる。


 彼には教会の神父という仕事の責務の一環と自己解釈をして孤児を預かり育てていた。


 そんな彼が侮蔑の対象となってしまえば?


 教会は教会としての機能を失い神父がいなくなったことで食事のツールがなくなった孤児達は餓死してしまう。


 そんなことは絶対にさせてはならない。神父は自分が“神様のおせっかい”を受けた人間だと知った時にそう誓った。


 いつか、けれど必ず訪れる世界の崩壊。それを知るものは誰もいない。


 そして、止める方法も分かっていない。

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