第5話

 神父は少年達を談話室に招き入れた。少年が己の名前はない、と答えたときから彼らに会話はなく、ようやく神父が口を開いたのは暖炉で部屋が暖まり、少女が容れてくれた珈琲を一口飲んだ後だった。


「こうした落ち着いた時間に珈琲を飲むのは実に気持ちがいい。そうは思わないかい?」

「いえ……はぁ、悪くは無いです」


 少年は歯切れを悪くして答えた。神父が言ったようにこの時間はとても気持ちが落ち着いて安らかになれる心地良いものだ。だが、少年はこの感じを初めて味わったため素直に言うことが出来なかったのだ。


「今日の出来はまぁまぁかしら」

「いつも美味しいよ、ありがとう」

「そのお礼も兼ねて私としては許して欲しいのだけれど……。それとこれとは話が別なのよね……」

「私も迎え入れることは何の問題もない。ただやはり、あの子達もいる手前、名前もない子を同じ場所に住まわせるわけにはいかない」


 神父は難しそうに唸った。

 少年はどこか難しく考えているような気がしてならなかったが、それを指摘できるほど確信もなかった。

 代わりに珈琲を啜る。

 少年が腰かけていたソファの隣に少女が座る。淹れたての容器を大事そうに両手で抱え、暖まっていた。


「あの子達……?」

「あぁ、キミのように行き場をなくした子供達のことだ。好奇心旺盛で行動力があって少し保護者としては困っているが……」

「神父様より私の方が大変よ」


 少女が口を挟む。

 ふーふー、と冷ましながらちびちび飲む姿に少年と神父は表情が柔らかくなった。


「山の麓にまで買い出しを頼んでいるから無理もない……。私が行ってもいいんだよ?」

「私の仕事だから取らないでよー!」

「めんどくさいな……」


 ごすっ、と少年の脇腹に衝撃が走った。そんなことをする人は少女以外有り得ないため、少年は少女を睨んだが、どこ吹くかぜだと流されてしまった。


「随分と仲がいいことだ」

「バカ言わないでくださいよ……」

「そうよ。私は可哀想だから連れ来てあげただけで、仲がいいから連れてきたのではないわ」

「まぁ、そういうことにしておこうか」


 納得がいかなかったが、掘り返すつもりもなかった。


「それで?話を戻すけど。神父様は名前がないからここには住めないって言ってるのよね」

「あぁ」

「だったらここじゃなかったらいい?」

「ここじゃないというと……あそこか」


 神父は少女の言いたいことを読み取ったようだ。

 少年はちらりと少女を見やった。

 目は合わなかったが、彼女からは黙って見てなさい、と伝わってきた。

 故に、少年は黙って成り行きを見守っている。


「だがあそこは長年人がいなかった為、とてもじゃないがすぐに住めるような場所ではない」

「私が汚いところは掃除するし、修理が必要ならここの子達に頼んで手伝ってもらうわ」

「……そうか」


 暖炉の火がばちばちと音を立てて燃えている。

 少女の案は神父にとって思いもよらないものだった。


 山の麓にある街と、山の上にある教会のちょうど間に位置する場所に一軒の古びた小屋がある。その所有権はとりあえず教会のもの、と定義されており、撤去するのも活用するのも教会の自由である。それはつまり唯一の大人として認められている神父の自由であることに等しい。


 今までは教会の建物内で満足に足りていたし、老朽化した建物を使うという気にはならなかったため、いつかはどうにかしようと思っていたがそのまま流れてしまっていた。


「どうしてそこまで?」


 少年は献身的過ぎる程に世話を焼いてくれようとする少女に訊ねた。

 すると、少女は少年のボサボサの髪の毛を弄りながら、


「助けたいって思ったからだよ」


 なんて言って柔らかく笑った。

 ただ助けたいから助ける。

 その助けたい人の中に自分が入っていることに少年は単純に嬉しいと感じた。


「それでどうかな?あそこに住むなら許してくれる?」

「……そこまで決意があるのならばやってみなさい。ただし、責任をもって取り組むんだよ」

「やった!!」


 少女は少年の手を掴んだ。

 ほんのり温かい少女の体温が伝わってくる。不覚にもドキッとさせられたのを感じながらそれでも許されたことに少年自身も喜びを感じていた。


 まさか、認められるとは思ってもいなかった。


 正体不明の人間かどうかも怪しい少年の見た目をした生命体。


 全てを話したわけではないが、それでも何かを察しられたのは分かっていた。そこでもう少年は諦めかけていた。

 問題の種となるような奴を手元に置いておくはずがない、と。


 ふと、神父と目が合った。

 そして確信した。

 やはり、まだ問題は終わっていない、と。正確に言えばまだ少年は神父と話さなければならないことがある、と。


「ということで、明日は掃除よ!!キミも手伝ってよね」

「も、もちろん」

「教会よりも綺麗にしてあげるわ!!」


 少女は珈琲を一気に飲み干した。

 いい飲みっぷりだった。

 それこそ、神父が驚いて目が大きくなる程に。


「珈琲は苦手だったはず……よく飲めたね……」

「神父様〜それは言ってはダメなことです」

「僕は神父様じゃないぞ」


 べしべし、と叩いてくる少女に少年は訂正を入れる。

 どうやら瞼同士が仲良くなったらしくどちらが少年でどちらが神父なのかわかっていないようだ。


 珈琲は本来カフェイン摂取の基本である飲み物なのだが、暖炉による温室と、温かい飲み物を飲んだせいで急に眠気が来てしまったらしい。


「神父様〜小さくなりましたね〜」

「僕だからな」

「口も悪くなりましたかぁ〜?」

「実は起きてるだろ」

「……」


 ぱたん、と少年の太腿に頭を乗せた少女はすやすやと可愛い寝息を立て始めた。予期せぬ膝枕に(しかもする方)少年は動揺したが少女のあどけない寝顔をみて、そのままにしておいてやろう、と思った。


「いつもと比べて一時間程の徹夜だ。そろそろ来るだろうとは思っていたが……まさかここでとは」

「分かっていたなら寝させてあげてくださいよ……」

「キミもなかなか難しいことを言うな。彼女が黙って素直に言うことを聞くと思うかい?」


 まぁ、無理だろうなぁ。と思う。


「そういうことさ。まぁ、これはこれでちょうどいい。……キミはもう私の言いたいことはわかっているね?」

「それは僕の過去のことでしょう?何があってどうなったから今ここにいるのかを話して欲しいってことでしょう?」

「キミがあまり話したくないのも重々承知している。だが、私が保護者となる以上、私が教会の神父である以上、そして何より私がキミと同じような人間である以上、話して欲しいんだ」

「あなたが……?僕と同じ……?」

「この深い話をするには彼女はまだ未熟だ。だから眠るのを待っていたんだ」


 この時ようやく少年は境遇を共にする仲間を見つけた。

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