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「ミトカワさん。カメラが置き忘れられていますよ」
雨粒が水面を跳ねる姿を眺めて時間の遡及について意味もなく――本当にそこには意味などなく――思いを馳せていると、僕に対して冷ややかな視線を向けてきた上に「つまらないです」と台詞を捨てて周囲をさまよっていたササが声を掛けてきた。横目で様子を窺っていたが、幽霊というものは実に便利だ。彼女はどこまで飛べ、潜れるのだろう。
「あまり見ない形ですね」
それは写真を撮ると即座に現像が行われる、色あせたインスタントカメラだった。
手に取りササに向かってシャッターを切る。不意を狙ったつもりだったが、撮られ慣れているのか、黒一色のセーラー服とスカートを着用した少女は特に動じる様子もなく、僅かにはにかんだ笑みを浮かべて両手で小さくサインを作っていた。
「上手に撮れましたか?」
出てきたフィルムを振っていると、徐々に風景が浮かび上がってくる。僕の目の前に広がる公園の大池とベンチ。ササの姿は見られず。
「……まぁ、分かっていたことですけど」
どこか寂しげな微笑みを浮かべるササ。死後に悪霊と化した彼女の姿を確認することができる者も今となってはそう多くはない。
もう一度、ササを撮影する。光の玉が写り込んだりぼやけた何者かが現れたりすることもなく、横切った通行人の全身が写し出されるだけだった。
「ん?」
唐突に脳裏をよぎる違和感。手ぶれが酷いが写真は間違いなく撮れている。ところどころ引っ掛かりを感じるものの操作に問題もなく使えている。
気になったのはそこではない。しかし原因が分からない。何か見落としていることはないだろうか。
再びカメラを構えて目の前を撮る。大池。ベンチ。木々。変化はない。
そして、家族連れを撮った時だった。違和感の原因に気がついた。
「カメラで撮られると魂も取られる、と言いますよね」
「そんなことがあってたまるか」
「今、目の前で実際に起こったではないですか。魂どころではないですが」
吐き出された写真には会話を弾ませながら歩く家族の上半身が写っている。
視線の先に残されたのは、僕が切り取った以外の部分。それは思考回路を失った後も僅かに歩みを進ませていたが、やがて崩れるように倒れて活動を止めた。
「あと何回くらい撮れるか分かりますか?」
眼前の惨状を気にかける様子もなく、フィルムの残量を聞いてくるササ。彼女にとっては生者がどうなろうと興味がないのだろう。人が死ねば死ぬほど幸福感を得る、それがササという存在だ。
「いまいち使い方が……あと一、二枚くらいじゃないか」
「ミトカワさん。自撮り、してみませんか」
ろくでもない発言をする悪霊である。それとも、悪霊であるからろくでもない発言をするのか。自分自身を撮影することで僕がどうなってしまうのか、どこへと連れて行かれてしまうのか興味がないこともないが、取り返しのつかない結果に終わってしまうのは本意とは異なる。
誰が残していったカメラなのかは定かではない。けれど、これは人の目に触れる場所に存在していてはならないものなのだ。僕が行うべきはただひとつ。
「あぁ、もったいない……」
池に沈みゆくカメラ。
願うべくは、誰にも見つからんことを。[了]
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