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  閂町は周囲を森林に囲まれている。町から外れればそこは日中でも光の射さない木々の中、雨の多い――というには多すぎる気もする――風土も相まって人の姿は消えていく。

 そんな人でないものが居着くのに好都合な仄暗い空間に洋館が建っているという。何者かが住んでいるのかは分からない。居住者がいなければ雨風をしのぐための宿にする。たとえ誰かがいたところで、必要であれば明け渡してもらうだけだ。


「お、あの建物じゃないですかね。なかなか立派なものです」


 僕の先を行くササが声を上げる。この世のものではない彼女は唐突に降り始めた雹が身を叩くこともないし、自然が自由に手足を伸ばす姿に頬を打つことも足を取られることもない。


 洋館は目に見えて荒れ果てていた。二階建ての一階部分は中の様子が窺えるほどに崩れ落ち、正面玄関のガラスは割れている。久しく整地の行われていない沼のように沈む通路を気にすることなく進んですでに館内へと侵入し、早く早くと囃し立てるササが今だけは羨ましく思う。

 とりあえず、二手に分かれて館内を探索することにした。



「まぁ、特にこれといって問題なく廃館のようですね。二階をぐるっと回ってきましたが、かつての住人がパーティを開いていたときの集合写真がいくつか落ちていたくらいで特にこれといってめぼしいものは見つからなかったです。あ、階段が崩れているので行くのは止めたほうが良いですよ」


 一階の方も収穫はなかった。どの部屋も割れた食器やら足の折れた椅子が散らばっているだけで金目のものは発見には至らず、横になって休憩するにも足元を踏めば舞い上がる埃が邪魔をする。僕自身は基本的にはどこでも寝られるが、どうせ寝るならある程度の清潔さは保っていたい。


 ――そう、例えば先程から僕の目の前に立つメイドの亡霊が、その手に握った箒でほんの少しばかり掃除などしてくれれば助かるのだが。


「お連れの方は私達が視えないようですね」

「驚いた。その口で喋れるのか」


 モノトーンのメイド服を着用した妙齢の女性は口が縫い合わされていた。視線を上げれば両目も閉じられたまま糸が通されている。


「腹話術です」


 なるほど。


「私達、と言ったが他にも誰かいるのか?」

「なんのことですか?」


 口を閉じたまま口角を上げるメイド。もし僕が霊体に対して物理的に干渉できるのであれば今すぐ箒を取り上げ叩き出していたところだが、あいにくそこまで密接に関わることができるほど向こうの世界には近づいていない。

 それはつまり、このメイドが悪霊だった時に僕は為す術がないということだ。


「ミトカワさん。今、誰かと話していました?」


 生前に少なくとも九名を殺害し悪霊へと成り果てた少女が背後から声を掛けてくる。彼女は同族――と言っていいものか分からないが、自らと同様の存在の姿を視ることができないどころか、存在そのものに恐れおののいている。彼女の談では生前から心霊体験に対して耐性がないという。


「メイドがいる」

「……どっ、どこに?」

「今、ササの目の前に動いた」


 急速に息を吸い込む音が聞こえる。そして続く「ごめんなさい出ていきますごめんなさいごめんなさいごめんなさい」という謝罪。何に対して謝っているのか分からないが、今までに何人も手にかけておいてどの口が言っているのだろうか。

 しかし実を言うと僕もこの館にはあまり長居はしたくなかった。どうにも居心地が悪いのだ。メイドが先ほど他には誰もいないとうそぶいていたが、感じる視線は一人や二人のものではない。


「おや、お帰りになるのですか」

「邪魔しているようだからな」

「そんなことはないですよ。主も久方ぶりの客人に喜んでおります」

「ミトカワさん!! 早く!!」


 外に出ると降っていた雹は降り止んで霧雨に代わり、辺りには靄が立ち込めていた。この中を閂まで戻らないといけないと思うと気が重い。先導が迷わないことを祈ろう。

 館を振り返ると、玄関口には先ほどまでのメイドと首のない紳士が僕たち二人を見送っていた。メイドがいるのだ、執事がいてもおかしくはない。二階の窓からは――ああ、なるほど。これは駄目だ。居心地が悪く感じた理由を察した。僕は決して社交的ではないのだ。

 優雅に踊る幽霊たちを後にして、今にも僕を祟ってきそうな視線を向けてくるササを追う。ぬかるみから抜けた頃、館は姿を消していた。[了]

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