22
夜間の公園でベンチに座り、遠くを眺めている少女がいた。天気はまとわりつくような霧雨に音だけが存在を示す雷。人を待つにも物思いにふけるにも決して適してはいない。嫌な予感を抱きつつ素知らぬふりして通り過ぎようとしたが、先輩、と呼び止める声に足の進みが鈍った。
……先輩?
僕は積極的に交流しない人間だ。顔見知りでもないのに呼ぶものなどろくでもないに決まっている。
「そのままでいいよ。あなたは少し話を聞いてくれるだけでいい」
腰掛けたままの少女はクヌギと名乗った。振り返ってよくよく確認してみれば、彼女の着用している黒一色の制服はササが常日頃から身に着けているそれと同じものであり、尋ねてみると、今年入学したばかりだという。
なるほど、先輩と呼んだのはそのためか。しかしどうして僕が卒業生だと知っているのか。
「ま、実は一度も登校したことはないんだけどね。それじゃあさっそく本題に入ろうかな。私が死ぬところを見ていてほしいんだ」
クヌギはここではないどこかをじ、と見つめて口角を上げた。
「だめ?」
「死ぬのは勝手だが、なぜ僕に?」
「あなたの両目に恋をしたから」
彼女の話では、つい数日前に町を歩いている僕――正確には僕の両目――を見た瞬間、今までに経験したことのない幸福感に包まれたという。
そこからクヌギが自死を決意するまでに時間は掛からなかった。
「いつ、どこで何をしようとも、あなたの両目が私を見てくるんだ。最初は恐ろしかったし気持ちが悪かった。実際に見られているんじゃないかとも感じた。目を潰そうともしたよ。でも駄目だった。分かっていた。そんなことをしたところであなたは私をずっと見ている。けれどいつしかその嫌悪感は心地の良いものだと気づいた」
意味が分からない。話を聞いている限り、僕は一方的に変質者扱いされているだけではないのか。
だが、今までにそのような感情を向けられたことは一度ではないのもまた事実である。
そして、そのような状態に陥った者が行き着く先は一つだ。
「そう……そう、だから、だから私は、この幸せな感情が続く間に、あなたに見られながら死にたいんだ。いや、死ななくてはならないんだ。このままでは私はきっと、あなたを殺してしまうから」
それでは先輩。さようなら。
そう言い終わるとクヌギは僕の方へと近づいてきて、両目を舐めるように覗き込み、浮かべていた恍惚の表情そのままに、自らの喉元にカッターの刃を滑らせた。
「別に死ぬ必要はないと思うのです。悲劇を演じたつもりでしょうか」
興味なさげに少女の死体を見下ろすササ。常に微笑んでいるようなその表情は、気のせいだろうか、冷めているように思える。
「この子、私のことが見えていたようですよ」
どうやらクヌギが先輩と呼んでいたのは僕ではなかったらしい。
「先輩かどうかも分かるものなのか?」
「少なくともあの学校において私は有名人ですからね」
ササは悪霊である。その姿を視認できるということは、彼女の存在する場所に近づいているということに他ならない。
「殺したくなったら殺せば良いのです。そうでしょう? ミトカワさん」
彼女の問いに、僕は何も答えなかった。[了]
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