20

 子供の頃から人と目を合わせて会話することができなかった。苦手というわけではない。できない。不可能だった。僕と目を合わせた人は皆、僕の目を潰そうとした。手で、物で、時には言葉で。見知らぬ人間から始まり友人が行動を起こし、やがて家族が寝ている僕の首を絞め上げたとき、僕は人と関わることを諦めた。

 思っていたほど苦ではなかった。元来単独行動が好きだったということもあり、生きるだけなら一人で何とかなるものなのだと知るにはそう長い時間は掛からなかった。こちらから歩み寄らなければ世間は特にこれといって僕に興味関心がなかったのだ。それは僕にとってありがたいことだった。関わらずに済むのならそれで良い。それで良かった。


 けれど、そいつは違った。


「初めまして。人を殺してみませんか?」


 老木に寄りかかった少女の身体を蛆が這う。

 今か今かと死神の近づく彼女の爛々とした双眸は僕の目を確かにじ、と見つめて逸らさなかった。

 僕はその問いに何と答えたのだったか。今となっては思い出せない。





「ミトカワさんって人の目を見て話しませんよね」


 睡眠の導入にでもしようかとササの愚痴を聞いていたが、どうにも興味が惹かれずいつの間にか意識が飛んでいたようだ。辺りを見回してみれば朝から降り続いていた雨は上がり――珍しいこともあるものだ――雲ひとつない閂の夜の空には欠けのない月が浮かんでいた。


「ミトカワさんって人の目を見て話しませんよね」

「……いや、すまん。何の話をしてたんだったか」

「ミトカワさんが人の目を見て話さないという話です」

「そうかな」

「そうですよ」


 しゃがみ込んで僕の顔を覗き込み青白い顔でせせら笑う、暗闇の中ですら浮いて見える黒色のセーラー服とスカートを着用した人に害なす悪霊が取り憑いた頃からだったろうか。僕は人の顔を見ることくらいは叶うようになっていた。

 そんな機会自体は今の生活の中ではさほどあるわけではないし、あったところでこれといって役に立つわけではないのだが、不可能であるよりははるかにまともだ。ほんの少し視線が交差しただけで殺されかける生活は、ただただ単に不幸だ。


「子供の頃から人と目を合わせて話すことができなかったんだ」

「苦手というわけではなく?」

「ああ。僕と目を合わせた人は皆――」


 そういえば、僕について彼女に話すことはあまりなかったように思う。機会……ああ、そうだ。ちょうど今がその機会なのかもしれない。そういうことにしておこう。気味が悪いほど天気も良い。彼女にとってほんの僅かな暇つぶしにでもなればそれはそれで幸いだ。[了]

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