彼女が残した黒いゴム

烏川 ハル

はじまり

   

吉田よしだくんって、その髪、伸ばそうとしてるの?」

 発端は、八坂やさかさん――八坂ゆき――の一言だった。

 俺と同じサークルに所属する八坂さんは、長い髪の似合う、スラッとした体型。一見、お嬢様系の美人タイプなのに、いざ喋ってみると、笑顔や細かい仕草などに小動物系の可愛らしさがある。そんな感じの、素敵な女の子だ。

 当時の俺は、ひそかに八坂さんに惚れており、たわいない言葉を交わすだけでも飛び上がるくらいに嬉しい、という有様。

 だから、この時も。

「いや、特に意識してなかったけど……。そんなに長く見える? そろそろ床屋に行かないとダメかな?」

 少しでも会話を引き延ばしたい、という気持ちだった。質問の形で返してしまったのも、話を終わらせたくない一心だったかもしれない。

 すると彼女は白い歯を見せて、

「ダメじゃないよ。むしろ吉田くん、長髪の方が似合うと思うけどなあ」

「そう? 八坂さんがそう言うなら、俺も伸ばしてみようかな。何しろ八坂さんは、長髪の専門家だもんね」

 いや女の子が『長髪の専門家』と言われて嬉しいのかどうか、俺にはわからなかったが。

 とりあえず畳み掛けるように、言葉を続けた。

「本当に、いつ見ても惚れ惚れするよね、八坂さんの長い黒髪は。それも、シャンプーのCMに出てくる長髪みたいなワザとらしい光沢とも違う、自然な艶やかさで……」

「ちょっと、ちょっと! 大げさだわ、吉田くん。よくもまあ、そんな歯の浮いたような台詞が、ペラペラと出てくるものねえ」

 少し呆れたような口調になる八坂さん。

 でも半分は照れ隠しであり、自慢の黒髪を良く言われて満更でもない、という顔に見えたのだった。


 後で八坂さん自身から聞いた話によると。

 この時点で、すでに彼女は、俺の気持ちに気づいていたらしい。その上で「告白してくるなら、早くしてほしいなあ。私、待ってるんだけど」とさえ思っていたそうだ。

 そんなわけで。

 長髪のススメから一ヶ月もしないうちに、俺と八坂さんは、付き合い始めることになった。

   

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