第15話 BAD DREAMS④ー失った男ー

   □


「力が戻った俺はあの化物に一泡吹かし、ジェフリーを担いでここまで逃げてきたわけだ」

 男は昨夜の話を締めくくる。

「俺はその戦いに巻き込まれて吸血鬼になった……」

 事の顛末を聞いたぜんはこの話が男の作り話だと思いたかった。しかしその表情は真剣そのもので「嘘だ」と声高に訴えられず、喉の奥につっかえを感じるような居心地の悪さを味わった。

「そうだ。俺もお前も吸血鬼だ」

「……嘘だろ」

「嘘じゃない。さっきの話はすべて真実だ」

 そう言うと男は溜息をついた。

「現実を受け入れるには見た方が早いな」

 男は左腕を前に突き出し、右の五本の指で前腕部をなぞった。立てられた爪が皮膚を裂いて切り傷をつけていく。傷からゆっくりと出血し、男の左腕に五本の赤い線が浮かび上がった。

「おい、何して––––」

 旋は男の自傷行為を慌てて止めようとしたが、男は冷静に「まあ見てろ」と傷口を見せた。

 次の瞬間、男の腕についた五本の傷口が閉じていった。あたかも傷口に意思があるかのように。

 腕は元のきれいな状態に戻った。

「傷も血も消えた。完全に元通りだ」

 信じ難い光景を目の当たりにした旋は言葉を失った。しばらくして再稼働を始めた思考は男を否定する方向に傾いていった。

 傷が消えたのは手品。

 男の姿が脳裏に浮かんだのはサブリミナル効果。男が自分の生活圏内に紛れ、潜在意識にその存在を植え付けた。

 体の異変は昨夜この男に催眠術をかけられたせいだ。身に起きたことはすべて錯覚に過ぎない。

「俺は信じない。信じられるわけがない。お前は詐欺師だ。目的はなんだ。金か?」

 旋は声を荒げていく。

「俺が変になったのはお前のせいだ! 早く催眠術を解いてくれ。お前の計画は失敗したんだ!」

 旋の言葉に対して男は明らかに憤っていた。眉間に寄せるシワは刻々と深まっていく。

「さっきから『お前お前』と主人に向かって随分な口ぶりだな、クソガキ。わざわざ体使って証拠を見せてやったってのにその態度はなんだ!」

 男の怒気を帯びた口調と表情に旋は一瞬たじろいだ。しかし犯罪者に屈すわけにはいかないと正義感に従って応戦する。

「何度でも言ってやるよ。お前は––––」

 体に大きな衝撃が走り、口が止まる。

 胸の中心が熱くなるのを感じると次の瞬間には味わったことのない激痛が襲ってくる。

 息ができない。

 何が起きたのか。

 痛みと困惑が交互に押し寄せる。

 男の腕が自分に向かって伸びているのが見える。

 恐る恐る視線を落とすと男の腕が自分の胸に突き刺さっていた。

 「死」が脳裏を過ぎるも肺を潰されているせいで悲鳴すら出ない。

 男の腕は旋の胸部を貫通し、血と肉片で赤く染まっていた。

「心配するな。俺たちは不死身だ。お前が何者か、身を持って知るんだな」

 男の声を聞き終える頃に旋は意識を失った。


   □


 急に意識を取り戻した旋は、眠りから覚めた時とは違う異質な感覚に襲われた。

 自分の身にまた何が起きたのか。

 そして男に胸部を貫かれたことを思い出し慌てて胸の状態を確認したが、Tシャツが破れていただけで体に穴は空いていなかった。

「嘘だろ……」

 男の腕が胸部に突き刺さった時の痛み。肺が潰れ呼吸ができなかった苦しみもすべて男が仕掛けた催眠術による錯覚なのか。

 いや、違う。

 旋はすでに理解していた。

 今朝に始まった体の異変やおかしな出来事はすべて事実であると。

 赤髪に赤い眼の男。吸血鬼と自称したその男がすべての原因。

 男に全ての血液を吸われ、一度死に、吸血鬼として生まれ変わった。

 理解はしたものの納得するにはまだ時間が必要だった。

「起きたね」

 大柄な黒人男性が声をかけてきた。

 旋は意識を失った後、噴水を囲むベンチで眠らされていた。

「大変だったね。フレアの兄貴から聞いたよ」

 大樽のような体を持った男の身長は二メートルを超えているだろう。立っているだけで威圧的な体に、ドレッドヘアと袖のないデニムジャケットから覗く腕のタトューが合わさって恐ろしげな外見だが、表情は柔和で物腰もとても柔らかかった。

「あっ僕はジェフリー。ジェフリー・ワース」

 思い出したかのように自己紹介すると人懐こい笑みを浮かべ握手を求めてきた。

 ジェフリーと名乗った男の右腕がないことに気づいたのはその時だった。

王城旋おうじょうぜんです」

 男に敵意を感じなかったので、旋は握手に応じた。野球のグローブほどあるジェフリーの大きな掌は旋の手をすっぽりと包み込んだ。

「お前、旋って名前だったのか。俺はフレア・サザーランドだ」

 ジェフリーの後ろから現れた赤髪の男––––フレアは旋の隣に腰掛けた。

「身を持って理解できたろ? お前が不老不死の吸血鬼だってことが」

 フレアの上から目線な物言いに怒りが沸々とわきあがってくる。

「あまり悲観的になるなよ。なっちまったものはしょうがない」

「あんたは!」

 自分を人外の体にした張本人が、他人事のような言葉を発したことで我慢できなくなった。

「あんたのせいで俺は危うく弟を殺すところだったんだぞ!」

「お前、まだ人の血を飲んでないな?」

「は? だから何だよ」

「さっき俺がつけた傷の治りが遅かったのはそう言うわけか」

 フレアは納得するように何度か頷いた。

「体が吸血鬼のものに変わると初期症状として、どうしようもない食欲に襲われる。我を忘れるくらいにな。でもお前は制御した。理性が強いんだな」

「だからそれが何の関係があるんだよ」

「関係はない。俺が抱いた疑問が解けたのを確認しただけだ」

「ふざけるな! 俺は、人間だったんだぞ」

 自分が吸血鬼になったことを納得できるわけがない。

「昨日の夜まで普通の人間だったんだ。それなのにお前のせいでわけのわからないもんになったんだ。わかるかこの気持ち。返せよ。俺の人生を返してくれ!」

「悪いがそれはできん。お前はこれから吸血鬼として生きるしかないんだ」

 淡々と事実だけを伝えるフレア。

「お前に思いやりの気持ちはないのか?」

 旋の目頭が熱くなる。

「俺を人間に戻してくれ。吸血鬼にする方法がわかるんならその逆だってあるんだろ?」

「ない。正直、人間を吸血鬼にする方法もわからん。基本的に吸血された人間は死ぬ。稀に吸血鬼として生まれ変わるがその仕組みはわからないんだ。当然、吸血鬼を人間に戻す方法もわからない。というかそんな話を聞いたことすらない。諦めろ」

 フレアの言動に憤っているのが馬鹿らしくなった旋は項垂れた。

「気持ちはわからんでもない。俺も元は人間だ。と言っても吸血鬼として生きている方が長いけどな。ハハハッ。まあ俺たちはファミリーになった。このこと以外で困ったことがあれば何でも言ってくれ。とりあえずこれからよろしく」

 怒ることにも考えることにも疲れた旋は力なくベンチから立ち上がり、その場から離れた。

 背後からジェフリーの心配そうな声が聞こえたが振り向かなかった。

 来た道を戻り、車道を二つ渡った先にある遊具広場に行くと、敷地を囲む木々の一つに背を預けてしゃがみ込んだ。

 日陰になったその場所に涼しい風が優しく吹き抜ける。

 旋は何も考えないように目を瞑った。

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