第7話 確かめにいこう①ー仲間を探しにいこうー

再び、土曜日 午前


 微かな物音で目が覚めた。室内はカーテンを透かして入る朝日で薄明るい。目覚めるきっかけになったのは外から聞こえる鳥の鳴き声だった。

 その鳴き声がピタリと止むと室内は水底のように静まり返り、今自分が生きているのか死んでいるのか判然としないようだった。そう思うのは昨夜、海辺にて【同族殺しの魔女】と戦闘になり死を身近に感じたからだろう。しかし同時に嘘のようにも思えた。なぜならここ最近で一番質の良い睡眠が取れたからだ。

 そう実感しながらスティーブン・ウィンターは罪悪感にかられた。

 命令とはいえ自分は仲間を置いて逃げた。

 仲間の安否も分からない中、自分だけ安全な場所で安らかな状態にあることに気が咎められた。

「フレアは馬鹿で大雑把な性格だけど戦場で言ったことは守る男だよ」

 ふと昨夜に言われたコード・フェルドマンの言葉を思い出した。

 仲間は生きている。

 彼らも今頃どこかで昨日の疲れを癒すために眠っている。

「あの人は殺されても死なない男だ」

 自分の主人であるフレア・サザーランドのことを考えながらそう呟いた。


   □


 コードは四人掛けのダイニングテーブルに座りコーヒーを飲みながら推理小説を読んでいた。いつもは診察室にある自分のデスクで読むのだが昨夜からクリストファー・ウィーストが診察室のベッドで寝ているため、今日は日課をダイニングで行なっていた。

 小説では今まさに探偵が犯人の使ったトリックを説明しているところだがまったく内容が頭に入ってこない。昨夜ここへ来るはずの二人の安否が気になっていたからだ。

「おはようございます。コード先生」

 二階から降りてきたスティーブに声をかけられ動揺した。落ち込む彼を励ました手前、自分の不安を知られるわけにはいかなかった。

「おはよう、スティーブくん。よく眠れたかな?」

 コードは心中を悟られないよう声色を明るくして返事を返した。

「はい。昨日は本当にありがとうございました。もう大丈夫です」

 スティーブの表情からは覚悟のようなものが感じ取れた。コードは不安に囚われる自分が恥ずかしくなり、前向きに考えを改めることにした。

「それなら良かった。昨日は遅かったからね。しばらく起きないと思っていたよ」

 コーヒーを淹れるためキッチンへ行き、シンクに置いた時計に目をやった。時刻は十時を過ぎたところだった。

「クリスはまだ眠っているよ」

 正面に座るスティーブにコーヒーを手渡しながらそう伝えた。

「あいつの寝つきの良さと寝起きの悪さはピカイチですから」

「そうだったね」とコードは微笑む。

「先生は休みの日でも白衣を着ているんですね」

「白衣を着るのが日課になってしまってね。着ないと落ち着かないんだ。まあここを任せられてから仕事場が自宅になったせいもあるんだろうけれど」

 コードが一ノ瀬いちのせ医院で働くようになってから十年以上経つ。

 一ノ瀬医院は元々、医師である一ノ瀬いちのせ博司ひろしが看護師である妻のすみれとともに開業した小さな診療所である。縁あって働くようになったコードは高齢を理由に引退する夫妻から診療所の経営を建物ごと任せられた。

「得体の知れない外国人の僕を雇ってくれた一ノ瀬夫妻には本当にお世話になった。いや今もお世話になっているか」

「夫妻は今どちらに?」

「市街地のマンションに引越したよ。そっちの方が便利だって。だから僕はここに住んでいるんだ」


   □


 話が一区切りついたところで、コードは冷蔵庫からスパウトパウチを取り出した。それは飲むゼリーなどに使用される飲み口のついた食品用パウチである。単行本ほどの大きさがあるパウチは目一杯に膨らんでおり、受け取ったスティーブは表面に多少の弾力を感じた。黒い外装で中に何が入っているかわからない仕様になっている。

 しかしスティーブたち吸血鬼にとっては身近なものだった。

 中には人間の血液が入っている。

 吸血鬼の食料である人間の血液である。

 人間社会で医師として働くコード・フェルドマンは吸血鬼界では少し名の知れた人物で、様々な理由から人間を襲わず食糧としない吸血鬼たちの救世主的存在であった。

 この話をするとコードはいつも「前任者から引き継いだだけだよ」と謙遜した。

 コードは吸血鬼になって間もなく、あらゆる手段で人間の血液を採取し保存するようになった。生きた人間からは合法的な手段で、死体からは非合法な手段を用いて血液を集めた。その後、血液を栄養摂取に影響が出ないまで希釈し専用の液体スパウトパウチに詰め『Bパック』という名で吸血鬼たちに無償提供した。

 なのでスティーブたちが日本にいる間の食糧はコードに頼んでいた。

「本当は昨日渡すつもりだったんだけど、君の心身の状態を見て休ませることを優先させてもらったよ」

 コードは申し訳なさそうな顔をして言った。

「いいえ、お気遣い感謝しています」

 スティーブは一週間以上飲まず食わずの生活を続けていたため空腹だった。所持していたBパックは日本に渡る際に密航した船の中で飲み切ってしまっていた。時折クリスが生肉のレバーを買ってきたが腹の足しにはならなかった。

 もし手元にBパックが一つでも残っていれば、海辺で【同族殺しの魔女】と対峙した時に下手を打つことなく、いつものように逃げられただろう。

 スティーブは無念さを噛み締めるように中の血液を飲み干した。

「食事早々で申し訳ないけれど、これから君たちに用意した活動拠点に行こうと思う。彼らもお腹を空かせているからね」

「はい」

 コードは一度頷いて出かける準備を始めた。

 その時だった。診療所の方から物音が聞こえてきた。鈍器でガラスを叩くような音である。

 その音を聞いたスティーブはフレアとジェフリー・ワースが来たのだと診療スペースに向かって駆け出した。

 ダイニングにある引き戸を開けると診療スペースの廊下に出る。引き戸のちょうど向かいには診察室があり、左隣に簡易病床と給湯室が廊下に沿う形で並んでいる。待合室と鈍い音が鳴り響く入口のガラス戸は廊下を右に行った先にあった。

 入口の向こうに人影が二つ見えた。

 スティーブから自然と笑みがこぼれた。見飽きた憎たらしい上司の顔をこれほど見たいと思ったことはないだろう。

 足早に入口に近づくとそこには見覚えのない顔が並んでいた。ふと笑みが消え、足が止まる。

 ガラス戸の向こうに立っていたのは見知らぬ二人の少年だった。

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