ひけぬもの
カールとシーラの馬車は、優秀なモアラ家の間者によって、意外に早く発見された。その事実は、伝書鳩によって、すぐにデューンの元へと届けられた。
場所は、さほど離れたところではない。ただし、その先は砂漠地帯であって、馬で逃れたとしたら、かなり危険だ。以降、風のために蹄のあとは消され、二人が向かった方向は不明とのこと。
間者たちは、馬車を発見した場所を中心に、引き続き捜索することにしていた。
だが、デューンは待機することをやめた。自ら、出て行って、探す事に決めた。デイオリアにあとを任せて。
「砂漠地帯に入り込んだとしたら、あの人数での捜索は無理だ」
砂漠には、方向感覚を惑わす力がある。それでなくても、馬車の発見場所から、すでに二人は迷っている可能性もある。
「デューン、あなたも気をつけて」
デイオリアの言葉に、デューンはうなずいた。そして、馬を走らせようとした。
が。
「若様! 若様! お待ちください!」
取り押さえる使用人を振り切って、一人の女性が馬の前に飛び出した。カールの母で、シーラの乳母であるカーラである。
「今回のことは、私の責任です! お願いですから、息子のことは……」
デューンは、馬上から答えた。
「たしかに、あなたの管理不足だ。シーラを部屋から出した」
「あ……あのそれにはわけが……」
デューンは、馬の首を外に向けた。
「いかなる理由も聞かぬ。当事者の身内からはな!」
どうせ息子の命乞い。情に偏ったことしか語れない。そのようなことを聞く時間はなかった。
だが、カーラはしつこかった。馬の手綱をむんずとつかみ、デューンを行かせなかった。
「言い訳なんかじゃありません! 実は、私が絡んでいるんです! シーラ様に頼まれて……。カールは、私の言いつけで、シーラ様に付き添っただけなんです!」
そう言ったとたん、馬に振り回されて、カーラはばったり転んだ。デューンは、馬上で顔をしかめた。
デイオリアが足を引きずりながら近づいてきて、カーラのかわりに手綱をとった。
「デューン! 話を聞いてあげなさい。それからでも遅くはないわ」
デイオリアの明るい部屋。
興奮気味のカーラとやや顔をしかめたままのデューンがいた。デイオリアがお茶を入れさせたが、二人とも飲んでくつろぐことはなかった。
カーラは、シーラとのやり取りを一部始終話した。
「……ってことなんです。シーラ様は、若様に贈り物を買ってこようとしていたんです! ですから、あのバカ息子と駆け落ちなんざ、するはずがございません! それに、私が無理矢理あのバカ息子を行かせたんです。あの子は、びびっていたくらいなんです。けして、誘拐などするはずは……」
デューンは腕を組みながら、ずっとカーラの話を聞いていた。だが、事実のみ知りたいだけで、彼女の推測を聞く気はなかった。
「では聞くが……。誘拐でも駆け落ちでもなく、あなたの命令でシーラの伴をしたのなら、なぜ、帰ってこない? 二人で逃げる?」
「それは!」
……と言ったきり、カーラはつまった。
「……全然、わからないんです。なぜ、あのバカ息子は……」
気の毒に思ったのか、泣き崩れるカーラの肩を、デイオリアが抱きしめた。息子をもつ母親として同情したのだろう。
だが、婚約者を連れさわれたデューンは、顔をしかめたままだった。
「出かけてくる。二人を捕まえるのが、先決だ」
そういうと、デューンは足早に歩き出した。が、部屋を出る瞬間に振り返って言った。
「私にも、ひけぬことがある。カールを許すわけにはいかない。だが……」
デューンは小さなため息のあと、小声で付けたした。
「今の話で、少しは気が楽になった。礼を言う」
バタン! と勢いよく扉をしめて、デューンは出ていった。
残された二人の母親は、しばらく寄り添ったままだった。が、デイオリアが微笑んで言った。
「大丈夫ですよ。デューンは、感情に振り回されて、判断を誤る子ではありません。カールに罪がないならば、悪いようにはなりませんわ」
「そ……そうでしょうか? あ、あんなに怖い若様を見るのは初めてで……」
デイオリアはくすくすと笑った。
「そう? あの子は、あまり怒鳴ったりしないけれど……なんか、迫力あるのよね。父親譲りかしら? まぁ、お茶でも飲みましょうよ。さっきの話、もっと詳しく教えてくださらない? 何か、言いそびれたことはない? きっと、何か糸口があるはずよ」
同じところをぐるぐると回っているようだった。
シーラは、ふう……とため息をついた。
馬は、首をだらりと落とし、よろよろと歩いている。
大きな馬に乗って大丈夫かしら? と思ったが、もう馬には走る気力さえないのだ。
そして、カールのほうは、シーラの横をよろよろと歩いていた。
乗っていた馬は、硬直して動かなくなったのだ。仕方がないので、そのまま置いてきた。
モアラ家の馬である。馬扱いの仕事をしているカールにとって、これは更なる罪だった。
「……俺はだめだ。俺は……もうだめだ……」
まるで呪文のように、つぶやきながら歩いていた。
「お願い、やめてよ。私までだめになりそうよ」
そのような時、かすかに蹄の音が聞こえて来た。
シーラは、馬上からあたりを見回した。
木立のすくない見通しのきく荒れ地である。遠くに馬の姿が見えた。
それが、たとえ追っ手でも、もう何とも思わなくなっていた。おそらく、ここで誰かに助けてもらわなければ、馬も人も死ぬのだから。
シーラは馬上から手を振って、大きな声で叫んだ。
「助けてー! ここよ! お願い!」
力一杯手を振り、声の限りに叫んだら、馬の影は気がついたらしく、ことらに向かって走って来た。
「ああ、来たわ! 助かるわよ、カール!」
馬の上で小躍りしながら、シーラはカールに話しかけた。だが、小心者の少年は、蒼白になって震えていた。
「……俺……人殺しだ。俺……殺される……」
「バカね! ここで死ぬよりもチャンスはあるわ。私がデューンに頼んであげる。きっと、彼がなんとかしてくれる」
カールはそれを聞いて、ますます震え上がった。
「だ、だめだよ! 俺、若様に殺される!」
「まさか! デューンがそんなことするはず、ないじゃない!」
「お……お嬢様は、ウーレン王族の怖さを知らないから」
どうせ、弱虫カールの言うことである。シーラは無視した。そして、走ってくる馬に向かい、さらに手を振った。
「……ラ……」
風に乗って、声がした。
聞き覚えのある、よく通る声。
「まさか? デューンだわ!」
シーラはますます喜んで叫んだ。
「デューーン! デューーーーーン!」
その声を聞きつけたらしく、デューンはますますスピードをあげて、こちらへと近づいてきた。
「うわああ! 俺、もうだめだ!」
突然、カールが叫んだ。
そして、いきなり、馬がくるほうとは反対方向に走りだした。
「カ、カール?」
シーラは驚いて馬から飛び降りた。そして、カールを追いかけて、すぐに捕まえた。
「いったいどうしたの? どこへ行こうっていうの?」
「お、お嬢様、お願いだ。放してくれ! 俺、殺されるよ! それなら、のたれ死んだほうがいい!」
「何言っているのよ! 私が殺させやしないわ。今回のことだって、なりゆきで……デューンなら、きっとわかってくれて」
カールは、震える手でシーラをつかんだ。
「駄目だ、駄目だ! 俺をかばうな! 俺をかばったら、きっとお嬢様も殺されちまうよ」
シーラは、カールが何を言っているのか、さっぱりわからなかった。
やがて、蹄の音が近くなった。
振り向くと、もうはっきりとデューンの姿が確認できた。シーラは、うれしさのあまり、手を振りながら駆け寄ろうとした。
だが、その足はすぐに止まった。
ひらり……と馬を下りたとたん、デューンが剣を抜いたのが見えた。
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