命の代償


 シーラは、あっという間に、この美しい片足の女性が好きになった。

 夫のことを話す時、斜め上をちらり……と見上げるのが癖らしい。その仕草が、なんともいえないほど、魅力的だった。

「あなたは、私の子供の頃、そっくり」

 そう言われて、シーラは素直にうれしく感じた。

 話は、いろいろなことに及んだ。

 牧場で育ったこと。でも、両親とはなれて暮らしていたから、寂しかった、等等――。

 本音が言えて、気が楽になった。

 デイオリアも、シーラを気に入ってくれたようだ。

「あなたのことが、まるで本当の娘のように思えてきたわ。母親だと思ってね」

 シーラは、目を輝かせた。

 母を呼びたい時、呼べなかった幼い日が、遠くへ消え去るような気がした。

「私のことを呼ぶときは、母でも、オリアでも」

「オリア……って、もしかして、デイって、最初の王妃様の名前ですか?」

 シーラの一言に、デイオリアは吹き出した。

「まさか! ただ、リュートが親しみを込めて、私をそう呼ぶのよ」


 デイオリアとソリトリュートは、いとこ同士だと言う。

 王族の中では、血族を守るための近親婚が盛んで、二人は、やはり親が決めた婚約者同士だった。

「それって……嫌だな、って思ったことはないですか?」

 恐る恐る聞くと、デイオリアは、また斜め横を向いた。

「そうねぇ。私の場合、物心ついた時から、それが当たり前だと思っていて、気にならなかった。とても年齢が離れているから、待たせたくない、早く大人にならないかなぁ……と思っていたわ」

 シーラは、少しがっかりした。

 親に決められた結婚。似た境遇だったデイオリア。

 もしかしたら、少女の頃、今のシーラと同じ悩みを持っていたのでは? などと思ったのに。

「ただね……。足を失ってからは、重荷だったわ」


 デイオリアは、初陣で足を失った。

 十五歳。つまり、大人と認められ、軍に入ったばかりの時である。

 当時はまだ敵同士であったエーデムのガラルを攻め落とす戦いだった。戦いは圧勝に終わるはずで、帰国後は、すぐに結婚する予定だった。

 ところが、戦いは惨敗に終わった。

 ウーレン第一皇子・シーアラントは、武勇に優れた男だったが、おごりやすく賢くはなかった。それに比べて、エーデムの聡明な摂政は、情報通で戦略に優れていた。ウーレン軍の動きを読み、多くの罠をしかけて、待ち伏せしていたのだ。

 当時のソリトリュートは、まだ平凡な小軍隊長という立場だった。多くの勳を上げてきたにも関わらず、全く認められなかった。

 なぜなら、シーアラントは、モアラ家出身の宰相・モアと、まったくそりが合わなかったからである。

 命からがらの敗走にあって、シーアラントは、ソリトリュートに最後方を任せた。つまり、自分が逃げる時間を作るため、犠牲になれというものだった。

 シーアラントが逃げ伸びたことを確認した時、ソリトリュートは部下の大半を失っていた。だが、最後まで諦めずに、生き残った者たちと戦地からの離脱をはかった。

 デイオリアは、その部隊の中央にいた。この部隊の中では、比較的安全な場所だった。

 だが、谷間を大疾走して逃げる中で、彼女だけが落石の罠に気がついた。

 今から手綱をしぼっても、間に合うかどうか? 声を限りに叫んでも、馬の蹄の音でかき消された。 

 デイオリアは、とんでもない行動をとった。

 背後から、ソリトリュートの馬を射たのだ。馬は、もんどりうって転がり、ソリトリュートは、地面に叩き付けられた。

 その状況に驚いた背後の騎士たちは、慌てて馬を止めた。だが、ソリトリュートの先を行った者は、止まりきれずに疾走し、落石の罠にかかった。

 多くの者が、石の下敷きになって、命を落としたのだ。

 そして、馬を止めることよりも、矢を射ることを選んだデイオリアも……。


「私は、あの人の命の代償として、片足を失った。だから、誇らしいことだと思ったわ。ただ……命を失うべきだったとも思った。その後、あの人に背負わせた重荷を思えば」

「そ、そんな! そんなことないです!」

 シーラは、思わず叫んでいた。

「少なくても、私には重荷だったの。責任をとって、婚約を全うしてくれるようで。それに、片足の女なんて、金食い虫で迷惑ばかりかけて何もできないだろうって。だから……」

「……そん……」

 シーラは言葉を失った。

 体が不自由ということが、どういうことだかよくわからなくて、安易に何も言えなくなってしまったのだ。

 だが、デイオリアはいったん伏せた目をぱっと開き、いたずらっぽく微笑んだ。

「だから、あの人をさらに三年間も待たせちゃったのよ」

 壮絶な体験も、けろっと話して聞かせるデイオリアに、具合の悪さも吹っ飛んでいた。シーラはすっかり時間を忘れた。

「ごめんなさいね、お話相手がいないものだから、ついつい。こんな怖い話、小さな女の子に聞かせる話ではなかったわ」

「うううん! 私、大好きよ!」

 シーラは興奮していた。

 デイオリアの話は、実際、乳母が読んでくれたどの英雄談よりも面白かったのだ。

 シーラは、多くの少年少女と同じように、ウーレン騎馬軍団に憧れていた。そこに属せる女性は少ない。目の前にいる女性は、そこで勳をあげたのだ。まさに憧れの存在だった。

「私もいつか、戦いで勳をあげたいわ!」

「そんな機会がないように祈るわ」

 デイオリアは、苦笑した。

「あなたたちには、このような苦労はさせたくない。国のために命を捨てる覚悟はあるけれど、今が平和な時代でほっとする……」


 ――コンコン。


 と、突然、デイオリアの話を中断させるノックが響いた。

「すみません。母上」

 デューンだった。

 が、彼の表情は、やや堅かった。話に興奮したまま、つい彼にまで微笑んでしまいそうだったシーラの口を塞ぐほどに。

 それでも彼は、シーラに目で挨拶した。しかし、微笑みはなかった。

 すっと母親の元に近寄ると、耳元で何かを話した。

 デイオリアの顔からも、笑顔が一瞬消えた。

 まるで別人のような、厳しい顔――まさに、馬を射殺すような目。でも、シーラに向けた顔は、先ほどと同じ、にこやかなものだった。

「どうやら、シーラの使うお部屋の用意ができたようよ。今、案内させますね」

 そういうと、デイオリアは控えていた召使いに目で合図した。

 二十半ばくらいの、でも、なかなかしっかりした女性である。彼女は、やや童顔な顔に笑顔をたたえ、シーラを部屋から連れ出した。

 

 ――何か……秘密?


 シーラは、後ろ髪を引かれた。

 ちらっと振り向くと、デューンとデイオリアが、先ほどよりも厳しい顔で、何か話しているのが見えた。

 デイオリアを本当の母親のように感じていただけに、仲間はずれにされたような気持ちになった。

「ねえ、何を話しているのかしら?」

 召使いに聞いてみたが、彼女は適当な返事をした。

「さあ、親子の会話はわかりません。それよりも、このお屋敷を案内するよう、デューン様より申し使っております。なかなか、面白いですよ。大きなお屋敷ですから」

 確かに冒険ごっこができそうな……。

 だが、冒険ごっこよりも、シーラは二人の会話のほうが気になって仕方がなかった。

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