翻弄されて
「私は、ソリトデューン・モアラ」
満天の星空の下、樹々にも星が輝く。
高々と舞い上がった噴水が、宝石の輝きを辺りにまき散らす。
その中、少年はまっすぐにシーラに向かって歩みよる。うやうやしく手を取り、膝をつき、微笑みを浮かべる。
真っ赤な瞳が、シーラを射抜いた。
――あなたは、わたしの花嫁になる。
「きゃあああ!」
シーラは、目覚めてしまった。
あのパーティーの夜以来、シーラの夢は変わってしまった。
少年の歌う子守唄は、その旋律のまま、恋歌に変わり、おぼろげだった少年の姿は、はっきりと「ソリトデューン」と名乗った少年になってしまった。
手を当ててみると、頬が熱くなっている。
(な、なんて恥ずかしい夢を見るのよ!)
でも、もっと恥ずかしいのは、その夢に照れて、大声をあげて起きてしまう自分である。
しかも、あの夜以来、父も姉もふさぎ込んでいるというのに。
諸悪の根源であるシーラは、諸悪を引き起こした夢に溺れて、頬を染めているのだ。
――もう、どうしようもない馬鹿!
「ありえない、ありえない、ありえない、絶対にありえない!」
呪文のように唱えると、シーラは布団をかぶって、眠る努力をした。
シーラの運命が大きく動いたのは、祝いの日から一週間後のことである。
デルフューン家に、あるお客がやって来ることになった。
その客人は、実に大物らしい。来ると決まってから、家中が大騒ぎ。数日前から、大掃除。絨毯を敷きかえ、至る所に花が飾られた。
あの日以来、部屋に籠りがちの父も、人が変わったように浮き足だっていた。
そして、シーラを捕まえて。
「いいかい? 今度は逃げ出してはいけないよ。これが、おまえの運命を決めるのだからね」
真剣な目で見つめては、何度も何度も念を押した。
その日も、朝から礼儀作法の特訓だった。
そして、この日の為に用意された新しい衣装を着せられて、髪を結い上げられた。シュリンの香水を掛けられ、シーラはむせた。
かすかな匂いとはいえ、作られた花の香りは嫌いだった。
こぎれいにしているシュリンが、今日はいつもにも増してよそよそしい。気がつくと、両親はシーラばかりに注意を払っている。
「あれをしてはいけない」
「これをしてはいけない」
「こうしたら、ああする」
「ああしたら、こうする」
ずっとうなずいていたが、まるで行動計画書を暗記させられているようだ。
(いったい何?)
シーラは混乱していた。
ついに客人がやってきた。
デルフューン家が仰々しく迎え入れたのに対して、その人はまったくの自然体だった。
たった一人で供も付けずに、馬で乗り付けた。服装も騎乗するのにふさわしい軽やかなものだった。
ウーレンの軍人らしく、黒い長い髪を飾り紐で編み込んでいる。そして、耳には真っ赤な飾り毛があった。
ウーレン人にしては大柄でがっしりしたその人は、マントを取ると自分で持ったまま、玄関をくぐった。
「なんだ? ずいぶんと堅苦しいな。ただ、立ち寄ると言っただけなのに」
玄関で家族揃って出迎えたサザムに、男はあきれたように言った。
「ウーレン軍師であるソリトリュート・モアラ様を迎えるのです。当然のことでございましょう」
――ソリトリュート・モアラ?
シーラは、父親の横で固まってしまった。
あの少年の名前は……ソリトデューン・モアラ。
くるくると、シーラの頭の中がめまぐるしく動いた。
そういえば、確かお父様は……。
――モアラ様も気に入ってくださるだろう。
腕に軽い振動があった。
が、シーラは、記憶と今の状況の擦り合わせに夢中だった。
ついに、サザムが強くシーラの肩をポンと叩いた。シーラの体は、ふわっと一歩前に出た。
(ああ、いけない!)
打ち合わせでは、父親の挨拶が終わったら、シーラも挨拶をする事になっていた。なかなか前に出ない娘を、サザムはじれて押し出したのだ。
客人の眼光鋭い赤い瞳にさらされて、シーラは思わずたじろいだ。
見透かされそうな……。
だが、シーラはすぐに自分を取り戻した。
何が何だかよくわからないけれど、先日の失敗を取り返さなければならない。そのためには、この客人に認められなければならないらしい。
シーラは、教えられた通り、胸に手を当てて、膝を折った。すっと頭をたれ、相手に敬意を払う。
「ようこそいらっしゃいました。デルフューンの娘・シーラでございます」
すぐに頭を上げてはならない。せわしなくて汚く見えるから。
シーラは、作法の先生に習った通り、心の中で、一、二、三……と数え、ゆっくりと顔を上げた。
予定では、客人が「おお、いい子だ」とか、「よくできた」とか、言葉をかけるはずだった。褒め言葉には、言葉を返さず、ただ微笑めばいいと教えられた。
……が。
「短い間に、よく仕込んだものだな」
――耳を疑う言葉。
何を失敗したのだろう?
笑顔どころではない。冷や汗が出た。
父のサザムに至っては、ぱくぱくとした口から声が出なかった。
客人は、つまらなそうにため息をついた。
「デルフューンの娘・シーラは、突然舞台を前にして飛び出してしまうような、はねっかえりだと思っていたが」
客人はいきなり手を出すと、シーラの顎を持ち上げた。
鋭い目が近づき、まるで品定めしているような目で、シーラをまじまじと見つめる。
つい反射的に、その手を払ってしまった。
「シーラ!」
驚いて、母のラーナがたしなめた。
(い、いけない! また、やっちゃった!)
一瞬ひるんだシーラだったが、すぐに開き直った。
(うううん! 私は悪くないわ。いきなり女性に手を出すほうが、ずいぶんと礼儀知らずですもの!)
シーラは、客人を睨みつけた。
今度は、姉のシュリンが飛び出した。
「申し訳ございません。モアラ様。妹は、まだ子供で礼儀というものがわかっていないのでございます。田舎育ちなものでして……」
シーラがやるべきだった完璧なお辞儀をして、シュリンは客人にお詫びした。
だが、シーラは姉の態度にも、カチンときた。
礼儀がわかる・わからないの問題ではない。ましてや、田舎育ちだからでもない。
「わ、私は確かに子供だけど! 無礼を詫びるのは、そちらのほうだわ!」
言ったとたんに、しまったと思った。
だが、もう出てしまった言葉を、口のなかに引っ込めることはできない。
真っ青になっている両親の横で、シーラは胸を張ってみせた。
――子供だからって、馬鹿にしないで!
シーラは、客人とにらみ合っていた。
冷酷な軍人の眼差しが、刺すように痛い。だが、視線を外したら、負けのように思えた。
父も母も姉も、成り行きをはらはらと見つめている。背に、肩に、その不安げな視線を感じる。
申し訳ないと思いつつ、何もわからないでお人形のように言われたことを言われたままにこなして、馬鹿にされても笑っているなんて、絶対に嫌だった。
「高慢で、身のほど知らずな娘だ」
客人の口元が緩んだ。
「だが、子供は、これくらい生意気な方がいい」
シーラは、それでも客人を睨んだままだったが、背後からは、安堵の息が漏れた。
「モアラ様、ここでは何ですから、どうぞ。今、お茶を入れますわ」
母の声がにこやかに響いた。
どうやら、ここにきて、やっと最初の予定通りの軌道に戻ったらしい。
シーラは自分の部屋に戻るはずだった。だが、両親と客人が奥へと入って行くのに、その場から動けなかった。
シュリンもしばらく側にいたが、シーラに声をかけることもなく、やがて足早に自室へと戻っていった。
玄関に取り残されたシーラは、呆然としていた。
いったい、何がどうなったのか、わけがわからなくなった。
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