絆〜エーデム・アナザー

わたなべ りえ

一幕

序章 嵐の予感


 待っていたよ、

 私の大事な姫君――

 あなたが、生まれてくる日をね。




 シーラは、目覚めた。

 つい、うとうとと木陰で眠ってしまったのだ。

 木の葉が頬に落ちて、目覚めを誘った。秋の斜めの日差しも、まぶたにまぶしかった。飛び起きて、きょろきょろと辺りを探る。

 なんとものどかないつもの風景――。

 うるさい乳母は、まだ、シーラを見つけてはいない。乗ってきたポニーは、近くで草を食んでいる。時間は、あまり過ぎていない。

 砂漠と荒れ地、オアシス都市が点在するウーレン王国にあって、デルフューン家の領地は、草原と森がある別世界だった。 

 シーラ以外の家族――両親と姉は、大半を首都のジェスカヤで過ごしていて、休日にしかここにはこない。だが、なぜかシーラは家族とは離れ、この田舎で乳母のカーラと一緒に暮らしていた。

 馬と戯れ、草原を走り回り、馬丁の子供たちと剣や弓の腕を競ったりと、野生児のような生活。カーラはお小言ばかりだが、シーラの元気を束縛できない。この豊かな自然の中で、のびのびと育っている。

 まだ七歳。いつも自由気ままなお姫様だった。

 それが……。


 なぜか、嵐の予感。

 天気が、ではなく、シーラの今後が、である。


 今朝、休日でもないのに、いきなり母親が都から戻って来て、即刻行儀作法を身につけよ! 踊りを練習せよ! と言い出したのだ。

 何でも、近々、ウーレン皇子の誕生日のお祝いパーティーがあり、そこで、余興として踊りを見せることになったらしい。もちろん、踊りだけではなく、国の有力者たちにも会うわけだから、作法も必要になった。

 すべては、親の見栄か?

 あっという間に、踊りと作法に飽きてしまったシーラは、小うるさい作法の先生の目を盗み、ポニーに乗って逃げ出したというわけだ。


 そして――


「また、見ちゃった。変な夢」

 シーラは、独り言をつぶやいた。

 物心ついた時から、うとうとすると、よく同じ夢を見る。声が聞こえてくる。

 誰の声なのか、よくわからない。

 ――私の大切な姫君。

 とは、よく父が口にするけれど、父の声とは似ても似つかぬ子供の声だ。

 


 ゆっくりお眠り。

 ゆっくりお休み。


 早く大人になって――

 そして―― 


 デルフューン家では、この歌を口ずさむ者はいない。

 美しい歌声のせいで、うとうとしていたシーラは眠ってしまう。夢の中の子守唄で眠ってしまうというのも、また不思議な話だが。

 夢に映像が浮かぶこともある。歌い手は、大人ではなく少年らしい。だが、少年の姿はさだかではない。

 ウーレン族らしい黒髪と赤い瞳だと思うけれど、夢でははっきりと覚えていた顔も、目覚めると消えてしまう。思い出せないのだ。

 そして、印象的な優しい旋律なのに、少年が消えてしまうのと同じように、歌も消え去る。

 耳の奥で響いているのに、どうしても口ずさむことができない。

 誰かが歌ってくれたら、ああ、この歌だと思い出せると思えるのだが。今のところ、夢以外で聞いたことがない。

 でも、はっきりと覚えていることがある。

 夢の中の少年は、しっかりとシーラに言ったのだ。


 ――あなたは、私の花嫁になる。

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