白夜の白昼夢
ユーキビート
そこは白昼であり白夜であった。
「生きるついでに死ぬ男よ。死ぬついでに生きる男よ。散りながら咲き、咲きながら散るときがきた」
途方からの声が唐突に、男と「そこ」とをつないだ。
そしてまさにこのとき、男を内側から貪り尽くし、慰め続けた孤独の最深層では、躍動への渇望が沸点を越えようとしていたのだ。
ひたいに生々しい風の塊があたるとついに、男は皮膚の外側に広がる空間への感触を奪回した。
空空寂寂な舞台に時が満ちる。男は我に帰り、我から帰ったのである。
最初に男が感じたのはノスタルジックな土の匂いだった。続いて重心と天地の感覚。植物がさわさわとそよぐ音が聞こえ、最後に瞼が開き、視界は光を捉えた。
男は事態を飲み込もうと懸命に目を見開き、後ずさりしながら体をひねり周囲を見渡した。背の低い草が素っ気なく生い茂る地表には、わずかな丘陵さえない。
平坦な広原がどこまでも続き、残るスペースを空が埋める。霊妙とも感じる場所であった。
男は目がチカチカする感覚を覚えた。風に吹かれるたび気持ち良さそうに揺蕩う草の葉から地平線に至るまで、目に入るすべての風景が白一色で構成されていたからである。
明るくも暗くもない。ただ白かった。白いというのは印象ではなく、色彩学的に白いのである。首を曲げて視線を上へと移しても、ヨーグルトのような空が途切れることなく存在するのみだ。太陽は見当たらず、かといって月もない。
あるいは視野の方が完全でないのかと思い、目を閉じたり、こすったり、瞬きをしてみたりしたが、やはりいくら目を凝らしても世界に色が宿ることはなかった。白ペンキの雨が百年続いたような、もしくは色彩が剥がれ落ちて蒸発したかのような、欠落の草原。
そこは白昼であり白夜であった。
やがて目が慣れると、男は空や草原の白さが単一でないことに気づいた。ところどころに濃淡があり、それが立体感や遠近感を作っている。眩しいくらいの純白で構成された箇所もあれば、灰白色に近いような場所もある。白と白のグラデーションは、息をのむほど鮮やかであった。今にも雫が落ちてきそうな乳白。白々しい白濁。潔白。明白。空白。白痴。色々な白が混ざり合い、反発し合い、面白いほどに白い。
そのような荘厳とも淡白ともいえる光景を前に、男は古いモノクロ映画のなかに迷い込んだような気分になった。経験したことのない印象に包まれているのを感じた。
また男の意識は永い間ぶよぶよの膜が張ったように不明瞭だったので、朦朧から解放されたという清々しさがあった。同時に、転出届を出したのにまだ旧住所に居座っているような心地悪さもある。
男はそのような気分の時に取るべき言動についての正しい知識を持ち合わせていなかった。だが、とにかく何か声を発しておきたいという気になって言葉を探した。
思えばここに来てから言葉を口にしていないので、自身の言語構成能力に問題がないことを確認しておく必要もあった。
だから男が次に発した「くそ。ちくしょう。色が無いなんてツイてない。未曾有の緊急事態だ」というセリフに言葉以上の切迫した意味は無かった。男も自身が問題なく言語を発したことに胸を撫で下ろしたほどである。
しばらく男は、何もない白い草原を無闇に歩き回った。色彩が無い世界におけるスタンダードな振る舞いを思い出そうともしたが、そもそもそのような心得を知らないことに気づき、すぐに諦めた。
頭を掻きむしったり、草を抜いたり、空に向かって奇声を上げてみたりもした。「むーちょ!」という意味のない叫びは、白い空に吸収されて消えてしまった。
ほどなく男は自分の名前を思い出した。「ウラシマタカオです」ひどく懐かしい響きを発し、そして聞いたので、ウラシマは安堵した。ここで根本的な問いがようやく生じた。
「おや、俺はなんでここにいるんだろう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます