秘密

春井環二

秘密

……控え室で、俺はタキシードを着て椅子に座っていた。

傍らにはウェディングドレスを着た桃子が待機している。

最初に彼女と会社の同僚として出会ったときは、やがて二人が結婚するなんて夢にも思ってなかった……。

今日のような日を、人は人生最良の日だと言うのかもしれない。だが、俺は気が気じゃなかった。

机に肘をつき、俺は静かにうつむいていた。

「秀一、大丈夫?……もしかしてちょっと具合悪い?」


桃子が俺の顔色を察して声をかけてくる。

「あ、ああ、大丈夫」

ドアをノックする音が響いた。

「はい、どうぞ」

一人の男が入ってきた。富岡。学生時代の友人の一人だ。

「蔭山!」

「富岡! なに遅れてんだよ~」

「わりいわりい。商談が遅れて今来たんだよ」


俺は桃子に彼を紹介した。

「桃子、こいつが富岡。俺の大学時代の悪友!」

「はじめまして」

「はじめまして! 蔭山~。こんなかわいい奥さん俺にことわりなくゲットしてんじゃねーよおまえ」

「なんでおまえにことわるんだよ!」

「桃子さん、こいつに飽きたら、ぜひ俺んとこに。バツイチでも大歓迎です」

「ええ、そうなったらぜひ」

「馬鹿なこと言ってんじゃないよおまえたちゃ……。富岡、早く会場の中に入ってくれ、みんないるからさあ」

「ああ、懐かしい連中が集まってるようだな。……ここにもし岸田がいたらなあ……」


俺は無言でうつむいた。表情が曇っているのを見て、富岡が場をとりなすように言う。

「わ、悪い、今言うことじゃなかったな」

「……ちょっと、トイレ行ってくるわ」


俺は廊下に出て、トイレに向かった。


× × ×


秀一は、今日なにかが変だ。せっかくの晴れの日なのに……。

「す、すいません桃子さん」

富岡さんがあたしに急に頭を下げる。

「え」

「……まずいこと言っちゃったな」

どういうことだろう?

「さっきの岸田さんって、秀一のお友達のかたですか?」

「あ、ええ、いつも俺らとつるんでた奴なんですが、……五年前……ちょうどまだ俺たちが学生だったときに、失踪しちゃったんです」

「失踪?」

「ええ……。警察も捜査してくれたんですけどね……。就職のことで悩んでたみたいなんですが、よくわからないんですよ……蔭山のやつ、岸田とは小学校からの付き合いがあったから、本当にかわいそうで。今どこでどうしてるのか……」

「そうだったんですか……」


そういうお友達がいたことを初めてあたしは知った。これからの夫婦生活で彼の気持ちを少しでも軽くできたらいいのだが……


× × ×


……俺は、トイレの個室で、何回も深呼吸を繰り返していた。

壁を見つめ、あの五年前の日のことを思い出してた。

あの日、俺の部屋で、俺と岸田はコタツでみかんを黙々と食べていた。

外から響いてくるチャルメラの音が、今でも忘れられない……。


「……あ、そうだ蔭山」

あのとき、突然俺に岸田が話しかけてきた。

「なんだ?」

「おまえの彼女、このあいだもらったわ」


「……」

俺はじっと彼の顔を見つめた。

「このあいだ口説いたら、向こうもその気だったわ。もう俺のもんだから。よろしく」

「……」

「ははは。やっぱり知らなかったか」

岸田は屈託なく笑った。

「知ってたよ」

俺は無表情で答えた。

「別にいいだろ? な?」

そう言い、岸田は俺の背中に手を回した。


「……おまえがビックリマンチョコを買ってきたら、おれがシールをもらう。もちろんチョコも。……おまえがゲームを買ってきたら、俺が先にラスボスを倒す。小さい頃からそうやってきたじゃねえか。……これからもそうだ。わかるな? マブダチだもんな、俺たち、なあ」

「マブダチ……? ただのパシリだろうがよ! 今まで俺をずっと力で押さえつけてきやがって! 今まで! ずっと! なあ!」

「え……」

戸惑いを見せつつも、彼は平静をよそおって言った。

「……え、なに? おまえなにムキになってんの、キモッ。こえ~」


笑いながら岸田はコタツから立ち上がろうとした。

……その足がもつれ、彼は床に腰を降ろす。

釈然としない顔で、彼はしばらく沈黙していた。


「……あ……れ?」

「……岸田。手足が痺れてないか」

「なにした? おまえなにした?」


俺はポケットから薬ビンを取り出し、彼に見せた。

「なんだよそれ」

「これ、ネットで取り寄せてさっきおまえの茶碗に入れといた」

「……それで?」

「壁にもたれかかっている岸田の耳に顔を近づけて、俺は小声で言った。

「ころ~す☆」


岸田は虚勢をはり笑顔を浮かべた。

「ハハッ、なにそれ。ウケる。やべえ」

俺は岸田の顔を強く殴った。……彼の唇から血が流れだした。


「……ハハ、やめとけや。すぐ捕まるぞ?」

「いや。計画は万全。闇サイトで知り合った裏社会の便利屋と話がついてる。そいつの証言で、俺の偽のアリバイが作れるから、容疑者にならずに済む」

「蔭山……てめえ……ぶっ殺すかんな!」

「だからあ……殺されんのおまえで殺すの俺なの、わかる?」


……俺は部屋の本棚の下に隠していたスパナを取り出し、振りかざした。

恐怖に歪む岸田の顔が視界の端に映る。

……部屋中に俺が鈍器で奴の頭を殴る音が何回も、何回も響き渡った。

……その後、俺は山に車で岸田の死体を運んでいって、地中深く埋めた。


……それ以来、岸田は失踪したことになっている。

俺は警察から事情聴取すらされないまま、今ここにいる。

あのころの俺はどうかしていた……俺はこんな秘密を抱えていて、彼女と結婚できるのだろうか?

下を向いたまま、俺は控え室に戻った。


× × ×


富田はもう会場に行ったようだ。

桃子が心配そうに言う。

「ねえねえ、大丈夫?」

「え?」

「緊張しすぎだよ。……顔、重いよ?」

「あ、ああ、なんでもないよ」

「時間、もうそろそろね」

彼女が腕時計を見つめる。

「ああ。……ところでその腕時計、ウェディングドレス着ているときくらい外せよ」

「いやよ。気に入ってるの」

変わったやつだ。

時計を見て微笑む桃子。

「だんだん緊張してきた」

そう言いながらも楽しそうな表情だ。

……あのことを彼女には知られたくない。絶対に、知られてはならない。


× × ×


やがて、式が執り行われた。

会場では親戚や友人たちが楽しそうに俺たちの登場を待っていた。

メンデルスゾーンの結婚行進曲が流れる中、俺と桃子は通路を笑顔で歩く。

教会の中に並んで座っている出席者を背にし、壇上に上がる。


司会者が言った。

「では、これより指輪の交換を行います」


俺は指輪を桃子の指に近づけた。……そのとき、脳裏にスパナで殴られ、血だらけになっている岸田の顔が浮かんだ。


「蔭山……てめえ……ぶっ殺すかんな」


……思わず目をつぶる。

指輪を近づける手が少し遅くなる。

ようやく指輪が桃子の指に触れた途端、俺は手の震えから指輪を落としてしまった。

場内がどよめく。桃子も驚いている。

俺は頭を抱えその場にうずくまった。


「どうしたの? 秀一?」

「あああああああああ!!」

ざわめくみんなの視線を浴び、俺は叫んだ。


「……桃子、ごめん」

「……秀一?」

「俺は、……俺は……」

「落ち着いて。なんでも聞くから」

桃子がしゃがみ込み、俺の肩に手をかける。


「話さなきゃいけないことがあるんだ」

嗚咽とともに、俺は声を絞り出した。

「……俺は……あの日、俺は……」

「秀一。あたしも話さなきゃいけないことがあるの。……あたし、秘密があるの。まだ言ってない、大きな秘密が……」

俺は彼女の顔を見上げた。


そのとき、会場のドアがバーンと轟音を立てて開いた。

外を見ると全身黒タイツの男たちが立っている。

「ギャッカーの連中だわ!」

桃子が叫んだ。

マシンガンの銃声が鳴り響いた。

突然黒タイツの男たちが何人も入ってきた。彼らは持っている武器を会場中に乱射する。

出席者が皆、悲鳴を上げて会場から逃げていき、俺と桃子だけが壇上に取り残されてしまった。


黒づくめの男たちの後方から、大きなトカゲのような姿の怪人が歩いてくる。

「トカゲロイド参上! 大沢桃子、おまえの命頂戴しにきたカゲ!」

「悪の組織ギャッカー! 幸福に包まれた結婚式まで戦場にするなんて、許せない!」

桃子が腕時計のボタンを押した。


「パワー、オン!」


桃子の全身が光に包まれ、ピンク色のマスクとスーツを身に着けた戦士に変身していく。

ステンドグラスがバリーンと割れ、外から赤、青、黄、緑のスーツで全身を包んだ男が四人飛び込んできた。

桃子がその集団に合流して、五人がポーズを決めて叫ぶ。


「強力戦隊、パワーマン!」


五人の男女が黒タイツの兵士たちと戦っている。

それをただ静かにじっと見つめている俺。

兵士たちが皆倒れていき、あとにはトカゲ姿の怪人だけが残っている。

五人の男女が腕を組み、ジャンプして空中で回りだす。


「必殺! パワースパークトルネード!」


五人の回りながら光る男女が、怪人に向けて突進する。


「ギャーーーッ!」


怪人が断末魔の悲鳴を上げ、爆発する。

煙の中でガッツポーズをとっている五人の男女。


「レッド、ブルー、イエロー、グリーン、お疲れ様、また明日、パワーベースで」

桃子が四人の男たちに手を振る。

「うん」「おつかれした」「また」「じゃ」

彼らが帰っていく。

桃子が、俺のほうに歩いてきて、マスクをとった。

「……秀一。私パワーピンクだったの。今まで秘密にしててごめんなさい……許してくれる?」

桃子の頬を涙が伝っていった。……俺はため息をつく。


なんだ。

これに比べたら俺の秘密、たいしたことないわ。


俺は親指を立て、ウィンクしながら言った。

「……もち!」

「ありがとう! ……ところで、さっき秀一が言ってた言わなきゃいけないことって何?」

「なんでもねえ、なんでもねえよ!」

桃子が俺の手をとる。

あたりにはだれにもいない。

無数の銃弾の痕が残るだれもいない教会の中で、俺たち二人はずっと抱擁している。

目を瞑る俺。

暗闇の中で鐘の音が響く。


―――いつまでも、いつまでも、それは止まない。


(了)

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秘密 春井環二 @kanji_harui

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