第6話 小説を書く事は車の運転に似ている

◇前回までのあらすじ

 遥かなる永劫の果てに死すら終焉を迎え、作者と言葉は地獄の属性を具えて戻って来ました。



 永劫回帰からこんにちは、英語の成績さよならバイバイ、私です。

 この茶番は今回でネタが切れたので次回以降(あったとして)やらない予定です。良かったですね。

 さて表題の話をしましょう。念の為に忠告しておきますが、以下は私の個人的な考えです。万人に当て嵌まるとは思っていませんので真に受けてはいけませんよ。

 執筆と運転の共通点、一番は「目的地とそこまでの道程を考える」という事だと思います。

 最近はカーナビが標準装備の車は珍しくもないですが、しかし最短距離が即ち最適解というわけでもなく、多少遠回りしても大通りを進んだ方が間違いがなくて安心だ、という人もいるでしょう。私の事です。

 自動車学校では、今でもアナログの地図を用いて経路を決定し、その通りに運転する事がカリキュラムに組み込まれています。角を曲がる際の目印は何か、とかそんな事を考える練習ですね。人間は全く経験がない物事についてはそれにまつわる発想すら出て来ないなんてのは往々にしてあるので、まるきり無意味な教習でもないのでしょう。

 ここで目的地=オチという図式が成立します。「こういう形で決着をつけよう」と着地点を決めておき、運転=執筆しながらその場の流れを汲んで臨機応変に対応するわけです。目的地を決めずに走り続けていてはいずれ燃料が切れて進まなくなってしまうでしょう。かなり長距離の運転になる場合、何処で燃料の補給や休憩を挟むかも考えねばなりません。道も平坦な一本道ではなく、湾曲している事もあるでしょうし、登り坂や下り坂、時に整備されていないデコボコ道だってあります。考えなしにとばしていては事故を起こしかねません。思考停止したままでは進むのはいけない、これも共通していると言えるのではないでしょうか。

 短編=目的地が比較的近場の場合でも、執筆=運転は適応出来ます。あんまり迷ったり寄り道したりする余地がない。「アイス食べたいな、コンビニ行くか」くらいの気分で「これ書きたいな、やるか」となります。「なんでコンビニ行くのに車?」とか思った人は過疎地域の実態を知らない人です。最寄りの店でも歩いたら片道一時間は下らない距離にあります。

 両者の違いについても触れておきましょう。最大のものはやっぱり、「小説を書くのは楽しいけど車の運転はいつまで経っても苦手意識が消えない」という事ですね。

 私の話ですよ、勿論。

 私は本当に運転が苦手で、人と電話で話をする事の次に苦手です。適性検査では「体調や精神状態が運転に強い影響を与える傾向があるので、駄目そうな時は無理せず休んでください」とあり、これ運転以外にも当て嵌まるんじゃね?と今は思います。最近、性格診断をしたら「ストレス耐性がべらぼうに低い」と出ました。こんな奴に免許をやっちまっていいのかよ県警さんよォ!

 閑話休題。

 他の相違点は「小説は帰って来るフェーズが必要ない」とかでしょうか。大塚英志という人は物語を書く上で「行って戻って来る」構図が最も分かりやすい、みたいな事を述べていましたが、それとは違う話です。自動車で移動する人は(引っ越しでもない限り)いずれ行きと同じ道で帰る時が来ますが、小説、あるいはその登場人物は別にそんな事はしなくても良いのです。

 そもそも何故急にこんな話を始めたかと言えば、「今書いてる小説の進捗を車の運転に例えると『目的地まであと少し、駐車場が混んでない事を祈りつつ走行中』くらいの所かな……」と思ったのが切欠でした。私はバックして駐車が本当に駄目なので、事故らないように慎重に物事を進めねばならないのです。

 登山においては「九合目まで登ってようやく半分、残りの道はそれまでと同じくらい大変と思え」的な言葉があるそうで。それでも登り切った時に見える景色を思いながら坂道を歩いていきましょう。


 

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