第3話 「小説なんて誰でも書けるんです」

ウイイイイイイイイイイイイ↑ッス、どうも〜ルビ振り芸人でーす。

カギカッコが付いている通り、今回のサブタイトルは僕の言葉ではありません。筒井康隆御大の作品・「文学部唯野教授」のセリフです。

教授というものは、文学について研究し学生に教える重要な役割を担っている。そんな身分にある人間が、小説の執筆などというくだらないものにうつつを抜かしていてはいけない。そういう文脈で出た言葉がこれです。

まあ実際一理あるでしょう。明治から昭和の文豪ならいざ知らず、今日では文字通り小説は書けます。こと純文学、これまでの文学史という文脈に存在しなかった新たな表現を目指す上では様々な立場から描かれた作品を吟味せねばならないでしょう。筒井御大は「売れっ子小説家になるには」的なエッセイで読者からの質問に対して以下のように答えています。

Q.私は言語障害があるのですが、作家を目指しても大丈夫でしょうか?

A.全然問題ありません。むしろ新感覚の作品が作れるかもしれませんよ。

冲方丁先生も「ライトノベルの書き方講座」でこんな事を書いています。

『誰でも、小説は書いて良いのです。

 趣味で書いて良い。暇つぶしに書いて良い。何となく書いて良い。

 主婦が書いて良い。サッカー選手が書いて良い。中学生が書いて良い。』

この後に続く『誰もが小説を書くようになれば、本がもっと売れるようになる』という展望は今読むと何とも言えない気持ちになりますが、それは今回は置いておきます。

だらだら引用して、私は何が言いたいんでしょうか?だから自分にも好き勝手やらせろ?それは一話で書いた事。もう一回書く必要はないでしょう。

今回は作者としてのエゴではなく、読者としてのエゴです。

「そうは言っても、やっぱり読ませられるならそれなりに面白いのが良い」これです。

かつて漫画家や小説家は「使うかどうかも分からない資料で部屋がいっぱい、使うかもしれないから処分も出来ない」みたいな自虐ネタを持っていました。最近はめっきり聞きません。自炊してデータ化したのかもしれませんが、恐らく一番はインターネットの普及でしょう。しかし今や電子の海は情報が飽和状態、広告料目当てのしょうもない情報に大げさなタイトルを付けたサイトもごまんとあります。

どうせ書くなら、ちょっとくらい資料を用意してくれてもいいのよ?出鱈目トンデモ理論でも、説得力が出て良い感じになるかもよ?

この文章はブーメランです。僕の頭に刺さり、僕は死にました。でも僕は金がないのです。アマゾンの欲しいものリストを公開出来る程私は他者を信頼出来ません。

同情するなら金をくれ。

次回は「私が如何にして本の虫になったか」について、あるいは「ルビを多用してると正確な文字数が分からなくなる」という話をするかもしれません。しないかもしれません。

終わり! 閉廷! 以上! 君もう帰っていいよ。

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