なぜ語るのか

鼓ブリキ

第1話

マリリン・マンソンの歌にこんな歌詞があります。

“Everything has been said before

There’s nothing left to say anymore”

僕は英語そんなに得意でもないので正確な翻訳は各自に任せますが、要するに「全ての事は語り尽くされ、最早言うべき事は何もない」みたいな意味だと思われます。

これはレッドオーシャン化したアマチュア字書き業界にも当てはまる言葉だと思っています。

世の中、大体のアイディアはやり尽くされ、テンプレの逆張りもテンプレと化し、オリジナルの物語を作っても「これ◯◯のパクリじゃない?」と作者自らが思ってしまう。何の影響も受けずに創作出来る人は多分脳の構造が独特(婉曲的表現)なのでしょう。

じゃあ、今私が(一人称が不安定なのはわざとですが某ラノベは無関係です)語ろうとするのは何故なのか?

一つには自分好みの作品を自分で供給したいというのがあります。本屋に並ぶ背表紙を見てもどれもピンと来ない、ならもう自給自足しちまえ、と。まあ普通に本は読むんですけど。昔から言うじゃないですか、読書は心の栄養って。

もう一つは見た夢の書き起こしをして記録したいという欲求です。僕はたまにやたらドラマティックな夢を見るので、それを膨らませてみたくなるのです。

そんなのチラシの裏にでも書いてろや、というご指摘はごもっとも。しかし、かの文豪・筒井康隆氏は昔「売れっ子小説家になるには」みたいなエッセイの中で次のように語っています。

「小説を書くとは、即ちオナニーである。」

まあ実際はこの後に「しかし、自分だけが気持ち良くなっても売れないので、見ている人も気持ち良くなるオナニーをしなければならない」と続くんですけど、私は売るために書いてる訳でもないのでそこまで気にしないです。

誰も読まないってことは、好き放題書いてもいいってことなんじゃないかな?

biim兄貴の言葉に、「作品は糞、投稿サイトは便器」というものがありました。創作とは排泄に似ているのかもしれませんが、僕は汚い話が苦手なのでこの辺でやめておきます。

あんまり続けても話が取っ散らかるだけなのでそろそろまとめましょう。

私は自分の為に物語るのである。

たったこれだけのことを書くのに随分字数を使った気がしますが、カクヨムくんも便器みたいなもんやしままエアロ。

おしまい。

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