第七十八話 散花(前半)
それは、決してあってはならない事だった。
全ては終わったはずだったのに。
魔女を封印して、これで終わりだったのに。
だというのに、ベルネルの力が暴発して何もかもを台無しにしてしまった。
理由は色々ある。
制御する為に与えられていたペンダントが戦闘中に落ちてしまい、そして封印された魔女が自殺を望んだ事でベルネルの中の力が反応してしまったのも問題だ。
だが今のベルネルならば、それを抑える事は困難ではあるが不可能ではなかった。
しかしベルネル自身もまた、魔女への怒りを募らせていた。
こいつさえいなければ自分は家族から見捨てられなかった。
こいつさえいなければ……あの日、自分とエルリーゼが出会う事はなく、彼女の寿命も縮まらなかった。
どうしても心の中を渦巻くそんな殺意が、ベルネルの中にあった力を後押ししてしまったのかもしれない。
結果、封印すら突き破ってアレクシアの胸を貫き、致命傷を与えた。
だがベルネルにとって、それ自体はまだ大きな悲劇ではなかった。
魔女の力は魔女を殺した者に宿る。
だがベルネルは聖女ではないのだから力が宿ったところで自滅するだけというのは分かり切った事だし、万一魔女のようになったとしてもここにはエルリーゼとアルフレアとエテルナがいるのだから、取り押さえるのは簡単だろう。
しかし真の悲劇はこの後すぐに訪れた。
アレクシアが完全に息絶えるよりも先に、彼女を捕えていた光の鎖が輝いた。
恐らくはエルリーゼが止めを刺したのだろう。
理由は……考えるまでもない。
このままではベルネルに魔女の力が移動してベルネルが死んでしまうから、それを救う為に身代わりになったのだ。
「エ、エルリーゼ様……な、何を!? 今、何をしたのですか!?」
レイラが、震える声で叫ぶ。
鎖が光っただけだ。止めを刺したとは限らない。
だからどうか違っていてくれ。
そんな願いを込めた問いに、しかしエルリーゼは静かに答えた。
「私が、アレクシア様を仕留めました。
だから、これから魔女の力は私に移動します」
それは、一番起こってはならない事だった。
史上最高は史上最悪になり得る。
これから、わずか数年後にエルリーゼは魔女になってしまうと、誰もが絶望した。
だが、エルリーゼの正体を知るベルネルの絶望はその比ではなく……すぐに、彼の絶望はこの場の全員と共有される事となる。
「大丈夫です。私は決して魔女にはなりません」
エルリーゼが微笑みながらそう言うと、レイラの表情が目に見えて明るくなった。
よかった、ちゃんとこの方は対策を考えていたんだ。
そうだ、魔女にはならないと最初から言っていた。
運命を変える方法はあると……悲しい連鎖をこの時代で断ち切ると言ってくれた。
そしてエルリーゼは決して嘘は吐いていない。
だが、彼女の考える真実が、決定的にレイラの認識とズレていただけだ。
「だって私は……聖女ではありませんから」
信じがたい言葉に、その場の空気が凍った。
聖女ではない。
誰が? このエルリーゼが?
歴代最高の聖女とまで呼ばれ、数々の奇跡を起こしてきた彼女が、聖女ではない?
そんな馬鹿な、と真実を知るベルネルとアルフレア以外の誰もが思った。
彼女が聖女でないとしたら、それこそ世界には聖女なんて存在はいない事になってしまう。
「この時代の真の聖女は、エテルナさんです。
私は……ただ、同じ村に生まれて取り違えられただけの偽物なんです」
「……嘘だ」
レイラは、まるで極寒の吹雪の中に取り残されたような悪寒が全身を包んでいるような錯覚に襲われていた。
今自分が立っているのかどうかも分からない。
かつてない恐怖が足元から這い出してきて、身体が震える。
エルリーゼが本物の聖女ではない、というのは確かに驚くべき事だ。
聖女ではないのにあれだけの奇跡を成し遂げてきたなど信じられない。
だがそれはいい。彼女が本物だろうが偽物だろうが、それでもエルリーゼである事に違いがないならば、何ら関係ない。
仕えるべき……そして愛するべき主だ。たとえ本物の聖女が別にいるとしても、この忠誠に変わりはない。
だから偽物だと言われても失望などなかった。
しかし怖かった。
何故なら、聖女でないというならばつまり……この後彼女に待ち受けている運命は、一つしかないからだ。
「今まで騙していて、すみませんでした。
けれど騙し続ける日々も今日で終わります。
そしてエテルナさん……今こそ、聖女の座を貴女にお返しします」
急に『お前が本当の聖女だ』と言われたエテルナは、現実が飲み込めないように口をパクパクさせている。
だがエルリーゼの言う『終わり』という言葉が嫌でもこれから何が起こるのかを理解させてしまう。
「聖女ではない者が魔女の力を受け継ぐことは出来ません。
それに足る器がない以上、必ず死に至る……そして、行き場を失った魔女の力は次の聖女に宿る事はない。
だから……これで、ずっと続いてきた連鎖は終わりです」
「そんな……」
これが正しい事であるかのように言うエルリーゼに、フィオラが涙ぐむ。
最初から……きっと最初から、エルリーゼはこうするつもりだったのだろう。
アルフレアによる封印は彼女にとってもイレギュラーで、そもそも最初の構想に入っていなかった。
これで上手くいけばよし。失敗しても自分が全ての悲しみを持っていく。
最初から彼女は、そう決めていたのだ。
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