第七十八話 散花(後半)
「レイラ……貴女には特に、謝らなければなりません。
貴女が聖女に仕える事を誇りにしていたのは知っていました。
その貴女を私のような偽物に縛り付けていた事は……どう謝っても、許される事ではないでしょう」
「エル、リーゼ様……ち、違……私は……」
違う、そんな事はない。
偽物だろうと本物だろうと関係なくて。
自分にとっての聖女はずっと、エルリーゼ一人だ。
そう言いたいのに、レイラは声を出せなかった。
だが、時間はレイラを待ってくれない。
結晶の中のアレクシアから、黒い靄のようなものがエルリーゼへ流れ込んでいく。
力の移動が始まったのだ。
「あっ、ああ……うああああああああ!」
レイラが剣を抜き、靄に斬りかかる。
だが実体のないそれを斬ることなど出来ない。
剣は虚しく空振り、何度も宙に向かって剣を振り回すレイラの姿は、ただ滑稽なだけであった。
「レイラ」
何度も剣を振り回すレイラの手に、そっとエルリーゼの手が重ねられる。
無駄だという事は何よりもエルリーゼ自身が理解している。
エルリーゼが不可能と断じるような事があれば、それはこの場の誰にも出来ないという事だ。
レイラは己の無力さを痛感し、剣を取り落とした。
エルリーゼはレイラの頬を伝う涙を指で拭い、全てを悟ったような笑みを見せる。
「ありがとう」
この一言には、きっと色々な想いが乗っているのだろう。
レイラは何か言わなければいけないと思いながらも、声が出ない。
だから、力の限りエルリーゼを強く抱きしめる事で己の想いを形にした。
それはまるで母親に縋りつく子供のようであり、エルリーゼは自分よりも身長の高いレイラの頭を優しく撫でる。
それが一層、レイラを悲しくさせた。
消えてしまう……もうすぐ、いなくなってしまう。
この微笑みが向けられる事はなくなり、この手が自分に触れてくれる事もなくなる。
それが死だ。どうしようもない永遠の別離。
エルリーゼはレイラをあやしながら、他の皆へ顔を向けた。
「これで、もう魔女はいなくなります。
千年間続いてきた連鎖が終わり、そしてやっと、この世界の時間が進み始める。
そこに私はいないけど……それでも、皆の幸せを願っています」
話している間にも力の移動は止まらず、アレクシアから流れる靄の量が減っていく。
じきに、力の移動が終わるのだ。
そしてその時、エルリーゼは死ぬ。
彼女自身もその事は理解しており――だから、生涯最後の笑顔を浮かべて、最後の激励を口にした。
「これからは、貴方達の時代です」
その言葉を最後に、エルリーゼの身体から力が抜ける。
レイラは咄嗟に強く抱きしめ、崩れ落ちるその細い身体を支えた。
だが支えながら分かってしまう。理解出来てしまう。
ああ……駄目だ。何てことだ。
もう、いない。
身体はここにあるのに、もうエルリーゼはここにいない。
命がない。魂がここにいない。
レイラの腕の中で静かに目を閉じたエルリーゼには何の力もなく……そして、彼女が今まで頭に付けていた枯れない花が、儚く散る。
エルリーゼの魔力によって維持されていた枯れない花は、彼女の魔力が尽きればただの花になる。
それが散ったというのは、エルリーゼの命が尽きた事の何よりの証であった。
「嘘だ……嘘だ、嘘だ! 嫌だ!
エルリーゼ様! 目を……目を開けて下さい!」
レイラが、普段の凛とした姿の面影もなく取り乱す。
涙が溢れ、顔はグチャグチャに歪んでいた。
だがいくら呼びかけてもエルリーゼは目を開けずに、ここにあるのがただの抜け殻である事を否応にも痛感してしまう。
『大丈夫です、レイラ。
貴女の聖女は絶対に死にません』
いつかエルリーゼが言っていた言葉を思い出す。
あの時の言葉が指していたのはエルリーゼ自身ではなかった。
本当の聖女であるエテルナを指していたのだ。
「わ、私は……私は……偽物なんて……どうでもよかったのに……。
あ、貴女が……貴女がいてくれればそれで……っ。
私にとっては、貴女こそが、本当の……っ」
嗚咽交じりでほとんど聞き取れない声で、レイラは泣き叫ぶように言う。
『大丈夫です。最後には必ず、皆が笑って迎えられるハッピーエンドにしてみせますから』
あの言葉も、自分自身を含んだものではなかった。
彼女の考えていたハッピーエンドに、彼女自身の姿はなかった。
まだ温もりの残っている主の身体を抱きしめながらレイラは思う。
こんなの……こんなの、全然笑えない。
全く幸せではない。
だって世界がどれだけ平和になっても、そこに最愛の主がいないのだ。
これでどうして、笑う事など出来る。
「う、うあ……ああぁぁああぁ……っ!
あああぁあああぁぁぁあああああああああッ!!」
とうとうレイラは感情の抑えが効かなくなり、子供のように泣きじゃくった。
涙と鼻水を流し、騎士としての凛々しさなど捨てて感情のままに泣き喚く。
だがそんな彼女を笑う者など一人もいない。
その場の誰もが悲しみの涙を流し、そしてベルネルは無言で涙を流しながら絶望し切った顔で座り込んでいた。
――そこに、エルリーゼの思い描いていた『ハッピーエンド』などというものは……欠片も存在していなかった。
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