第二十二話 ポチ(後半)

「ありがとうございます、エルリーゼ様!

これなら……いける!」


 大剣を、まるで重さを感じさせずに頭上で回転させ、振り下ろすようにして構えた。

 二本の足を地面にしっかりと固定し、右足を前にして半身と刃を敵に向ける。

 柄を両手で握り、刀身は少し上を向くようにした。

 刀身が陽光を反射して煌めき、怪物を怯ませる。

 その姿に、レイラは僅かな嫉妬を感じた。

 聖女から直々に武器を授けられるというのは、騎士の名誉だ。

 レイラが持つこの剣も、近衛騎士になった日にエルリーゼの手から賜った物であるが、それは形式的なものでしかなかったし、エルリーゼが創った剣ではない。

 言ってしまえば元々近衛騎士筆頭に渡す予定だった剣を、一度エルリーゼに渡して儀礼として改めてレイラに渡しただけだ。

 しかし、自分も欲しいなどと子供のように言うのは憚られる。

 そんな思いからエルリーゼを見たのだが……。


「? どうしたのですか、レイラ」

「あ、いえ……何でもありません」


 ……残念ながら、気付いては貰えなかったようだ。

 恐らく彼女にしてみれば、授与だとかそんな事を考えずに、ただ武器のないベルネルを心配して剣を渡した程度の感覚でしかないのだろう。

 勿論言えば、この聖女ならばすぐにでも与えてくれるだろうが……しかし、それは何か玩具を強請る子供のようではないか。

 そんな複雑な思いをレイラが抱いている間にも戦闘は続く。


「オオオオオオオッ!!」


 片腕となった怪物が地面を叩き、ベルネル達の足元が噴火するように爆ぜた。

 全員が一斉にその場から跳び退き、まずマリーが指先から魔法を放った。

 それは怪物の胸に当たり、凍結させる。

 しかしその程度では怪物は止まらない。構わず前進し、大口を開けた。

 口から巨大な火の玉が吐き出され、エテルナが杖を前に突き出す。


「ライトシールド!」


 光の壁が炎の玉の前に出現し、その威力を弱めた。

 それでも尚炎は前進し、エテルナに迫る。

 だが今度はサプリの魔法で土の壁が出現し、炎を更に弱めた。

 そこに間髪を容れずにマリーが氷魔法を発射してようやく炎を相殺し、その隙にベルネルとジョンが飛び込み、両足を斬り付ける。

 更に顔には弓矢が殺到し、怪物を牽制し続けていた。


「グオ……!」


 ベルネルの剣で足を深く斬られた怪物が体勢を崩す。

 だがこの程度では終わらない。

 口から炎を吐き、今度は地面を爆破する。

 瓦礫が四散してベルネル達に命中し、怯んだ瞬間に怪物自身が弾丸となって飛び込んだ。

 その巨体とパワーに全員が吹き飛ばされ、地面に倒れ込む。

 ジョンとフィオラはリングから落ちて気絶し、サプリは空中で錐揉み回転して客席に頭から埋まった。

 マリーはかろうじて意識を繋ぎとめているものの、立つ事すら出来ない。

 不思議とダメージが浅いのはエテルナとベルネルの二人だ。

 エテルナは何とか身体を起こしてベルネルに杖を向けて、彼の傷を癒す。

 そしてベルネルは剣を支えに立ち上がり、怪物と相対した。


「うおおおおおおおッ!」


 咆哮して走り、怪物へ正面から挑む。

 これに対して怪物も正面から飛び掛かった。

 だが衝突の直前にマリーが発射した魔法が怪物の目を撃ち、一瞬のみ怯ませる。

 それが勝敗を分けた。

 ベルネルの剣が怪物の喉を貫き、怪物が力なく崩れ落ちる。

 血が止めどなく溢れ、立とうとしても立ち上がれない。


「か、勝った……」


 ベルネルは脱力したように座り込み、怪物を見る。

 本当に恐ろしい相手だった。

 六人がかりで挑んで、それでも危うく負けるところだ。

 だがそんな怪物も、死を前にしては、哀れなだけだ。


「魔女様……オデ……魔女様ノ為ニ、ガンバル……頑張ルカラ……。

マタ……オデヲ、抱シメテ、クダ……サ……」


 理性を感じさせない瞳から涙を溢れさせ、怪物はここにいない主を求めた。

 恐ろしい怪物だったが、その姿には哀愁すら感じられる。

 そんな怪物の前にエルリーゼがゆっくりと近付く。

 そしてゆっくりと、慈しむように怪物の毛に触れ、優しく怪物の顔を抱擁する。

 すると怪物は瞼を落とし、まるで飼い主の腕に抱かれた子犬のように静かになった。


「エルリーゼ様……この怪物は……」

「……恐らく、大魔になり切れなかったのでしょうね。

元々は、ただ魔女の事が大好きなだけの犬だったのでしょう。

きっと彼は、ただ魔女に抱きしめて欲しいだけだった。褒めて欲しい一心で、その他の事は何も考えていなかった……。

けれど魔女は……きっと彼を愛さなかったのでしょう」


 エルリーゼの言葉を肯定するように、怪物の全身には傷痕があった。

 この怪物が魔女からどのような扱いを受けていたかは分からない。

 ストレスを発散する為に痛めつけられていたのかもしれないし、他の魔物の強さを試す為の試験相手だったのかもしれない。

 どちらにせよ、魔女から辛い仕打ちを受け続けていた事だけは間違いなかった。


「魔女……サマ……」


 怪物が鼻を鳴らしながら、甘えるように主を呼ぶ。

 きっともう、自分を抱きしめているのが誰なのかも分かっていない。

 ただ、いつかあった優しい夢を見ているだけだ。

 そんな彼に、子供を寝かしつけるようにエルリーゼが言う。


「もう、いいんです。

貴方はよく頑張りました……もう、休んでも誰も怒りません。

だから……もう、おやすみ」

「……アア……」


 エルリーゼがそう言い、優しく撫でる。

 すると怪物は安心したように瞼を落とし――。




『……ポチ』


 それは、今でも忘れない大切な思い出。

 今際の際に、彼は……ポチは、変わってしまう前の在りし日の主人の姿を見た。

 彼女は腰を降ろし、そして昔のような優しい笑顔で両手を広げる。


『おいで』


 ポチはその声に、一も二もなく駆け出した。

 どれだけ変わってしまっても、それでもこの人の事が大好きだから。

 最期に垣間見た幸せな夢の中でポチは子犬だった頃の姿に戻り、最愛の人の腕の中に抱かれ――。




 ――そして動かなくなった。

 そんな哀れな怪物をもう一度エルリーゼは撫で、そしてゆっくりと離れる。

 ベルネルはその悲しい光景を前に、知らず拳を握っていた。

 恐ろしい怪物だと思ったし、こいつを殺したのも自分だ。

 だからこんな事を思う資格などないだろう事くらいは分かっている。

 それでも……。


「……許せないな」

「……うん」


 エテルナが、泣きそうな声で同意する。

 この怪物はただ、魔女に従順なだけだった。魔女の事が大好きなだけだった。

 どんなに要らないものとして扱われても、酷い扱いを受けても、それでも魔女が好きだった。

 ただ褒めてほしくて……撫でて欲しくて、抱きしめて欲しくて。

 そんな彼の本当の姿を知り、そして最後を見たからこそ強く思う。


「絶対に……魔女を倒そう……。

こんな事をする奴を……許しちゃいけない……」


 こんな悲しい事をいつまでも続けさせてはいけない。

 終わらせなくてはいけない。

 ベルネルは魔女をいつか必ず倒す事を誓い……そして哀れな怪物に黙祷を捧げた。


 きっと最後の瞬間だけは、彼にとって救いになっていたと信じながら……。

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