第十八話 大魔(後編)

「おお……あのお方は、まさか……」

「ああ、間違いない。あの方こそは」


 その姿に兵士達が沸き立ち、何人かは戦いの最中という事も忘れて魅入った。

 しかしそんな周囲の視線など意に介さないように少女は鬼猿を見下ろし、静かに語る。


「なるほど……大魔でしたか。

魔女が隠れて何か企てているだろう事は薄々分かっていましたが、これほどの数とは」

「貴様……ソウカ、貴様ガ聖女……!」


 鬼猿は自らを見下ろす少女こそが人類の希望である聖女であると理解し、棍棒を握った。

 ここで聖女を仕留めてしまえば、魔女の勝利が決まる。

 登場は予想外だったが、しかしこれは考えによっては好都合。

 護衛の近衛騎士も連れずに出て来てくれたこの好機を逃す手はない。


「ノコノコ出テ来ルトハ、愚カナ奴。

貴様ヲ倒シ、ソノ死骸ヲ磔ニシテ晒セバ、人類ノ士気ハドレダケ落チルダロウナァ」

「さて……考えた事もありません。

しかし言える事は、私などを仕留めても人の心を折る事は出来ないという事だけです。

私が倒れようと、希望は必ず残ります。そして……」


 聖女――エルリーゼが手の中に光を生み出した。

 それを胸の前に抱き、両腕を広げる。


「私が倒れるのは、少なくとも"今"ではありません。

……Cut your coat according to your cloth.(自分の持っている生地に合わせて服を裁て)」


 光が刃と化して、全包囲へ飛翔した。

 次々と魔物を断ち切り、瞬く間にその数を減らしていく。

 これに慌てた鬼猿は魔物達へ号令をかけた。


「アイツヲ撃テ! 堕トセ!」


 三頭犬が炎を吐き、遠距離攻撃が出来る他の魔物も同時に攻撃に移る。

 炎は進路上にあった鉄の盾や剣を融解させ、そこに他の魔物の攻撃が続く。

 遅れて飛行可能な魔物が殺到するが、先行していた炎がエルリーゼの翳した手に触れた瞬間に捻じ曲がり、倍加したカウンターが魔物達を撃ち落とした。

 以前に学園でも使用した倍返しのバリアだ。

 続けてエルリーゼは人差し指を立て、それを口元に運ぶ。


「Out of the mouth comes evil.(口は災いの元)」


 魔法発動。

 それと同時に何が来るのかと魔物達は身構えた。

 ……だが、何も起こらない。

 まさかの不発だろうか? そう思い、魔物のうちの一体が思わず笑い声をあげた。

 ――瞬間。空から迸った雷が、ピンポイントでその魔物を打ち抜き、絶命させる。


「ギ!? ――ガァァ!」


 一体何事かと声を上げた別の魔物が更に撃たれる。

 それに動揺して叫んだ魔物が。更に混乱が伝染して騒いだ魔物から次々と、撃ち抜かれていく。


「な、何だ……? 一体何が起こってるんだ?」


 人間の兵士の一人が疑問を口にするが、彼は雷に打たれない。

 味方は攻撃対象にはならないようだ。

 それからも、攻撃条件が分からないままに何かを口から発した者から順に焼き殺されていく。

 正解は『声』。口から声を発した敵に問答無用で雷が落ちているのだ。

 休む事なく雷が落ち、悲鳴が上がり、悲鳴の下に雷が落ちる。

 一度始まれば止まらない悪循環で魔物がどんどん黒焦げ死体へと変わった。

 そこに今度はエルリーゼ自らが飛び込み、魔法で生み出した光の剣を手にして薙ぎ払った。

 それだけの事で前方にいた魔物が一斉に真っ二つにされ、本来ならば剣が届かない遠くにいる魔物すら構わず切断される。

 それを二振り――三振り――四、五。驚くべき剣速と技の冴えで魔物が斬り裂かれ、とうとう残されたのは鬼猿だけとなってしまった。


「…………ッ」


 鬼猿は憎悪の形相でエルリーゼを見る。

 声は発せない。声を出せば雷に打ち抜かれてしまうから。

 それを理解出来たが故に彼はまだ生きている。

 だが理解してしまったが故に何も言えず、味方に指示を飛ばす事すら出来なくなってしまった。

 『声を出すな、打たれるぞ』。そう伝えようにも、伝えようとした瞬間にこちらに雷が飛ぶのだ。

 恐るべき指揮官封じであった。

 どんな優れた指揮官や参謀であっても、どんなに優れた作戦があっても、声を出した瞬間死ぬのでは、何も出来ない。伝えられない。

 出来るのは精々筆談くらいだが、急を要する戦場でそんな呑気な事をしている暇はない。


「―――!」


 無言で鬼猿がエルリーゼへ殴りかかる。

 だが彼がエルリーゼへ到達するよりも先に、光の剣を携えた兵士達が前に出て鬼猿を次々と突き刺した。

 その間エルリーゼは微動だにしておらず、涼し気な顔を崩しもしない。


「…………ッ」


 鬼猿は地面に倒れ……そして、跪いてエルリーゼに向けて頭を下げた。

 祈るように手を前で組み、その姿はまるで許しを乞うようだ。

 いや、実際にそうなのだろう。

 彼は今、命乞いをしているのだ。

 そんな鬼猿の前へエルリーゼが歩み出る。


「聖女様、近付いてはなりません!」

「そうです! 情けなど不要!」

「油断させるつもりに決まっています! 離れて下さい!」


 兵士達が騒ぐが、それでもエルリーゼは鬼猿の近くまで向かってしまった。

 そしてゆっくりと屈み、手を差し伸べる。

 きっと彼女はどこまでも聖女なのだろう。

 慈悲深い彼女は、どれだけ罪深い存在であろうと許しを乞う者を見捨てられないに違いない。

 しかしやはりそれは間違いだ。

 どれだけ慈悲をかけようと、救いようのない者というのは存在する。

 情を踏みにじり、勝てば何をしてもいいと開き直る。

 救いようのない、下劣外道。犬の糞にも劣る卑劣。

 それが立ち上がり、そして救いの手を差し伸べていた聖女をその手に捕えた。


「聖女様!」

「待て、撃つな! 聖女様に当たる!」


 鬼猿の巨大な掌が、小柄なエルリーゼの身体を握りしめる。

 このまま握り潰そうというつもりだろうか。

 バキバキと嫌な音が響き、鬼猿の顔が勝利の喜びから醜く歪んだ。

 しかし喜びは一瞬。次の瞬間鬼猿は、腕から伝わってきた激痛に表情を崩した。


 折れたのは、鬼猿の両指であった。

 エルリーゼは既に自らに防御魔法をかけていた。

 それは与えられた攻撃を三倍にして相手に全て返す絶対反撃だ。

 鬼猿はエルリーゼではなく、自らの指をへし折っていたのだ。

 激痛からエルリーゼを手放してしまった鬼猿は、震えながら、忌まわしそうに言う。


「貴様……騙サレタ……振リヲ……」


 エルリーゼは困ったように僅かに……注視しなければ分からない程に僅かに笑い、そして背を向けた。

 今のは何の笑みだったのだろう。

 騙したつもりで騙されていた鬼猿への嘲笑だろうか?

 いや違う。きっと、本当は信じたかったという、そんな悲しみが表情に出たものに違いないと兵士達は思った。

 あるいは信じる事の出来なかった自分への自嘲か……。

 どちらにせよ、優しすぎるが故に出たものである事だけは確かだろう。


 そのエルリーゼの後ろで、鬼猿が雷に打ち抜かれ――国の存亡をかけた戦いは、幕を下ろした。

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