第十六話 アイキャンフライ(後半)

 咄嗟に、身体が動いてしまった。


 エテルナが自分は魔女だと宣言して以降の展開は、ベルネルにとっては正直なところいまいちついていけないものだった。

 いくら何でも考えが飛躍し過ぎのように思えたし、これまでの事を振り返ってもやはりそれはあり得ないという答えにしか行き着かない。

 だからベルネルにとっての今回の一件は、エテルナがおかしな迷走をしておかしな答えを出してしまった、という程度のものだった。

 ただ、彼女がとてつもなく危険な発言をしている事は間違いなかったし、まずは落ち着かせて話し合うべきだと思った。

 だが事態はそんなゆっくりとした展開を待たずにエテルナが崖から落下し……それを追ってエルリーゼも崖から飛び降りた。

 その後は……あまり覚えていない。

 ただ、気付いたら自分も崖から落ちていた。

 きっと、考えるより先に身体が動いてしまったのだろう。


 冷静に考えればこんな行動には何の意味もない事くらい分かる。

 何せエルリーゼは飛べるのだ。

 加えて聖女である彼女ならば崖から落ちた所で掠り傷一つ負う事はない。

 ならばこの行動はただの投身自殺に他ならず、エルリーゼの邪魔をするだけだ。

 ああ……俺、馬鹿だなあ……。

 そう思いながらベルネルは海に沈み、そして意識が暗転した。




 次に目が覚めた時、彼はどこかの洞窟の中で眠っていた。

 視界を横に向けると気絶したエテルナの寝顔が見える。

 それから次に洞窟を照らす灯りに気付いた。

 灯りは適度な温かさを保ちながら浮遊しており、焚火の代わりも務めている。


「あ、起きましたか?」


 そして灯りに照らされるエルリーゼの笑みが、一瞬でベルネルを覚醒させた。

 自分でも驚くほどの速さで起き上がった彼は、ようやく自分がエルリーゼの邪魔をした挙句に救われたのだと理解した。

 何と情けない……守りたいと思った相手を守るどころか守られるとは。しかもこれで三回目だ。

 彼女に対しては恩ばかりが増え続けていく。


「驚きましたよ。いきなり貴方が降って来るんですから」

「す、すいません……つい、気付いたら身体が勝手に……」

「大切な友人の為に思わず飛び出してしまうその気概は買いましょう。

しかしそれは勇気ではなく無謀です」

「……はい」

「……しかし、友の為に咄嗟に飛び出せるその心は尊いものです。

これからもその心を忘れず、しかし自分の事も大切にして下さい」


 エルリーゼの言葉に、最初に思い浮かんだのはあろう事か『違う』という否定の言葉であった。

 ベルネルは、友の為に……エテルナの為に飛び出したわけではなかった。

 確かにエテルナは掛け替えのない大事な友人で、同じ村で育った家族のようなものだ。

 この身に宿る力の為に一度は孤独になった自分を温かく迎え入れてくれた村で、その中でも一番自分の近くにいてくれた。

 愛おしく思うし、守りたいと思う。その気持ちに嘘はない。

 だがエテルナが飛び降りた時……ベルネルは咄嗟に動けなかった・・・・・・・・・

 勿論それは薄情さから見捨てたのではなく、『傷を負わないならば大丈夫だ』という冷静な判断があってのものであった。

 自分が飛び出してもそれは落下する人間が一人無意味に増えるだけで、それよりは皆で下まで降りてエテルナを探すべきだという正しい状況判断によるものだった。

 だがエルリーゼが飛び出した時は、そんな事を考えもしなかった。

 気付けば動いていて、気付けば飛び降りていた。

 エテルナ以上に、そんな必要はないだろうに。


(ああ……そうか。俺は本当に、この人の事が……)


 言葉を飲み込み、握った拳で胸を軽く叩いた。

 今吐くべき言葉はそれではない。

 こんな未熟者の恋慕の言葉など、ただ困惑させるだけだ。

 だから気持ちを押し殺し、そして別に言うべき言葉を口にした。


「エルリーゼ様。思ったんですけど……エテルナは、俺と同じなんじゃないでしょうか?」

「貴方と同じ…………そうか! それがありましたか!」

「はい。俺も……傷を負わないとまでは言いませんが、昔から傷を負いにくかった。

家族から捨てられ、村から追放された時も、普通の人間ならとっくに死んでいるはずの状況で生き続けた……いや、この力に生かされた・・・・・

飢えても乾いても、俺が死ぬ事はなかった」


 魔女と聖女の力でなければ傷を負わない。それは魔女と聖女しかあり得ないと思われている。

 だが例外はここにあった。

 他でもないベルネルこそが、その例外だ。

 ベルネルは聖女でもなければ魔女でもない。当たり前だ、そもそも彼は男である。

 だが魔女に近い力を持ち、魔女に近い特性を備えている。

 エテルナはこれと同じなのではないかと、そうベルネルは読んだのだ。

 そしてその言葉にエルリーゼも、答えを得たかのように感心する。


「確かに……それならば説明が出来ます。

エテルナさんが魔女ではなくて、魔女に近い力を持っている理由にもなる」

「エルリーゼ様……やはりエテルナは力を制御出来ていないのでしょうか? かつての俺のように……」


 ベルネルは不安から、エルリーゼに尋ねた。

 かつて彼には、エルリーゼに出会う前にこの力を暴走させてしまい、制御する事も出来ずに彷徨った過去がある。

 だからエテルナも同じなのではないかと心配したのだ。

 しかしエルリーゼはエテルナを一瞥すると、静かに首を横に振る。


「いえ、暴走の兆しは見えません。

彼女は正真正銘、誰も傷付けてなどいない……ただ、悪い偶然が重なって、自分のせいだと思い込んでしまっただけだと思います」

「そ、そうか……よかった」


 ベルネルはほっとし、そしてエルリーゼも微笑んだ。

 その笑みに、咄嗟にベルネルは目を逸らす。

 顔が熱くなっているのが分かる。きっと今は真っ赤だ。

 灯りのせいという事で誤魔化せているだろうか。


「さて……そろそろ戻りましょう。皆も心配しているはずですから。

エテルナさんも、起きたら今の事を教えてあげましょう」

「はい」


 エルリーゼが上に戻る事を提案し、ベルネルもそれに同意する。

 だがその時彼は、おかしなものを見た。

 エルリーゼの制服の腕の部分が少し破れ……そして、そこに一筋の傷があった。


「エルリーゼ様? その腕……」

「腕? 腕がどうかしましたか」

「あの……傷が……」


 エルリーゼは不思議そうに自分の腕に触れる。

 そして手を退けた時、そこには普段通りの傷一つない白い肌があった。

 代わりに、エルリーゼの手には一本の赤い糸が摘ままれている。


「ああ。糸がくっついてましたね。多分落ちた時にほつれたのでしょう」

「い……糸……」


 何と、赤い糸がエルリーゼの腕にくっついていただけらしい。

 これは恥ずかしい見間違いだ。

 そもそもエルリーゼが傷など負うはずがない・・・・・・・・・・のだから冷静に考えればすぐに分かる事であった。


 だがこの時、彼が真に冷静だったならば気付けたはずの事がある。

 ベルネルの制服は学園指定の制服で黒と紺。

 エテルナの制服も同じく学園指定の制服でこちらは白と緑。

 エルリーゼも同じ物だ。


 この場の誰も赤い布など使っていない。

 では一体、誰の服がほつれて腕についたというのか。

 ベルネルはまだ、この違和感に気付けずにいた。


 ……そう。今はまだ……。

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