ComeTrue

樹真一

第1話

 かぶを六等分に切り分けて皮をむき、油揚げを熱湯で油ぬきして食べやすい大きさに切る。それから鍋にだしカップ2、醤油大さじ4、みりん大さじ2を入れて煮立たせる。かぶと油揚げを入れて煮込む。だんだんかぶが柔らかくなってくる。かぶの葉っぱも切って入れる。少しだけくつくつさせて、火を止めた。料理ができあがっていくのは、私のささやかな楽しみだ。

 かぶの煮浸しの粗熱を冷ましている間に、なんとかピリオドを打つことができた四百字詰めの原稿用紙の束をホッチキスでまとめる。一応小説原稿の体となったそれと、タッパーに詰めたかぶとをダッフルバッグに入れて、袈裟懸けに背負って玄関を出た。少し小さくなってきたスニーカーのつま先をトントンと蹴って、踵を無理に押し込む。もう、マフラーはいらない。

 がしゃんと自転車のスタンドを跳ね上げて、サドルに腰掛ける。ギジギジと文句を言うチェーンに鞭をくれるようにペダルを踏んで、私は走り出す。家の門をくぐる時にちらりと左右を確認。ちょうど右手の方から、母の乗っている白い小さな車が走ってくるのが見えた。

 気付かないふりをして、左に折れる。母は、私のやることが気に入らないのだ。小説を書くことはもちろん、料理をすることも。

 自転車をギコギコと漕いでいると、用水路脇に立っている石像と目が開う。デフォルメされた、河童の像。この辺りにも伝わる河童伝説にあやかったものらしいそれは、にっこりと通行人を見守っている。

 だが、私はその河童の前で俯かざるを得ない。河童は私にとって、伝説ではなくなっているからだ。


          ●


 マッチを擦ると、ジジジと燐の燃える匂いが鼻を突いた。

 そのマッチをゆっくり、足下のコンクリートの上に横たえた「死体」に乗せる。小さな火は、すぐに「死体」に燃え移り、めらめらと一人前の火に育った。火は、貪るようにその「死体」――書き終わることのできなかった原稿用紙の束を、むしゃむしゃと食べるようにめくり、燃やしていく。

 その原稿用紙のめくれて燃え上がる様は、見方によっては一枚一枚の原稿を丹念に読んでくれているようにも見えて、私は密かに、この時間が好きだった。そのために未完成の小説を書いているような気すらしてくる。たった一人の読者に読んで貰うためだけに、原稿用紙に万年筆を走らせ続ける、健気な私。

 その燃える火を、燃えていく小説を見て、私が小さく鼻を啜っていると、突然、


「小説燃やしてるの? もったいない」


 と、男の声が聞こえた。

 月も眠る、真夜中。

 川の縁の、橋の下。

 そんなところに果たして――男が、立っていた。

 背はあまり高くなくて、太り気味。顔は苺大福のように無害そうな、三十歳前後の男。

 その、あまりの現実味に、私は悲鳴も上げられなかった。逆に。深夜突然出会うのは、眩しいほどの美人でなければならない。男であろうと、女であろうと。

 だというのに、その男はその現実味を上塗りするように、くたびれたジーンズとダウンジャケット、そして手にはファミリーマートのビニール袋をぶら下げている。冴えない男だった。

「その燃やした小説、どうするの?」

 私は、半歩だけ後ずさった。訊ねる。

「……どうして、小説だと思うの?」

「だって、原稿用紙だし。それに燃やした方が、――文学的だから」

 文学的。そんな理由で。

「それに第一、真夜中の河原で女の子が火をつけて燃やすのなら、小説を燃やした方が、《もえる》じゃないか」

 その《もえる》が《萌える》であるということに気が付くのに、十数秒かかった。そんな古い言葉を使うなんて、こいつは間違いなくオッサンだ。

「……関係ない。これ以上関わらないで。不審者案件にするよ?」

「でも、こんな場所で焚き火してるキミの方が不審だからさ」

 男は、ふくっくと奇妙な声で笑った。私は毒気を抜かれた。

「……もういい、帰るから。あなたも帰ったら? お弁当、冷めちゃうでしょ?」

「ああ、大丈夫。俺、いつも自分で温めるから。散歩がてら、わざわざ遠いコンビニ行ってるし」

 やっぱり男の方が不審者だったが、私はそれ以上の追求は諦めた。まだくすぶっている小説原稿を、スニーカーで踏み消す。「ああっ」情けない男の声。そのまま、歩いて堤防を越えるべく階段を目指し始めたところで、また男が声をかけてきた。

「待った待った待った、この灰、どうするつもり?」

「川にでも流せば?」その方が文学的でしょ、と思った。確かに、最初から川に流せばよかったかもしれない。

「いや、それは困るよ」

 男が言う。私は引っかかる。困る? なにが? 環境破壊だから?

 そう訝った私を見て、得意げになったのかなんなのか。男がくっふふと変な笑い方をして、言う。

「だって、川には河童がいる。キミだって、住んでる所にいきなり灰が降ってきたら困るだろ?」

「え? 河童?」いないでしょ、そんなの。「なに言ってるの?」

「信じてないな」

 男は言って、そして少しだけコンビニ袋を掲げてみせる。しゃなり、と中身が動いた。

「俺、河童なんだよ」

 それが、その男――佐伯との出会いだった。


         ●

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