第11話 小料理屋で舌鼓

 ケインは明日以降の行動に対してミケへ伝言鳥を飛ばした。伝言鳥は魔道具で体内に紙や録音石などで伝言を託すことができる。ケイン達が使うのは特殊な保護魔術をかけられた高級品だ。結構な金額がするが確実に相手に伝言を届けることができる。


 伝言鳥を見送った後ハンターの姿からミランダが用意した市民の服装に着替えたケインは外に出た。夜の闇の中、商会地区の外れの路地を歩いている。


 奥に進むほどに街の灯りからは遠ざかっていくのがよく分かる。この辺りは昼間であっても人通りは少ない。夜であれば周囲は完全に闇に覆われてしまい人の姿を捉えることの方が難しかった。

 当然治安も悪くこの一体は王都の闇というとすら呼ばれている。そんなこの地区をケインは自分屋敷を歩くかのように迷わず路地を進んでいた。


 その先の小さくぼんやりとした灯りが目に入る。路地の小さい建物の扉に小さい行灯が掲げてある。これは何を意味するのか。ケインは躊躇することなく扉を開ける。

「いらっしゃいませ。お久しぶりですケインさん」


 艶っぽい声で出迎えてくれたのは妖艶な美女だった。彼女は狐の獣人である。金色の目と耳、ふさふさの尻尾が目を引くがそれ以上に東方の着物と呼ばれる服装をその白い肩や見事なまでの豊かな谷間が覗けるほどに着崩した姿は匂い立つほどの色香を振りまいていた。すらりとしながらも張りのある腰つきもその着物は隠しきれていないようだ。着物の裾から覗く足の美しさは例えようも無い。

「キャリー。相変わらずだね。目のやり場に困るよ」

 そう言いながらカウンターに座るケイン。他に客はいないようだ。

「あら。嬉しくはないんですか?はい。どうぞ」

 狐の獣人が悪戯っぽく笑いながら暖かく蒸された綿製の布を両手で渡してくる。意図せずに強調された谷間が目に飛び込んでくる。この色気が問題だ。キャリーを初めて見た男は熱病に犯されたように彼女の虜になるそうだ。蒸された布で手を拭きながらケインはそんな逸話を思い出していた。

「こちらとしては光栄であります」

「ふふふ」


 そんな会話を破るように野太い大きな声が響く

「おお。ケイン!生きていたか!」

 バンダナを頭に巻いた50絡みの苦みばしった人族の男が声をかけてきた。

「マスター久しぶり。生きていたさ。死んだらきっとそこそこの騒ぎになっている」

「違いない」

 マスターと呼ばれた男は調理台を拭き始める。ここは王都の闇に紛れた知る人ぞ知る東方の流れを汲む小料理屋。客からは『狐』と呼ばれているが本当の店名は誰も知らなかった。小料理屋というものは東方から伝わってきたとされている。


 もともと食事を中心に提供する店や酒を中心に出す店は従来から覇国にあったのだが小料理屋と呼ばれる店は旨い料理に合わせて旨い酒を飲ませる。この方法が斬新であるとされ人気が出た。今から数年前のことである。多くは人通りの多い商会地区に出店している。


 しかしここはケインの知る限り5年前に王都の闇と呼ばれるこの場所にひっそりと店を構え、店を見つける事ができた者だけを相手に商売をしている。ちなみにキャリーがこの店で働いている理由を知るものは皆無であった。

「久しぶりなんだ。旨いものを飲んで食って金を置いていってくれ」

 当然マスターはケインが皇太子であることを知っている。ケインはハンターになった直後に偶々この店を知ったのだが、それ以来の常連であった。

「はは。分かったよ。白葡萄酒を頼む。今日はおれが口開けなのか?」

「ああ。他の連中はこれからだろうな」


 そんな話をしていると、キャリーがグラスに注がれた白葡萄酒と小皿に盛られた料理を運んでくる。小さな豚肉の塊が小皿に盛り付けられていた。

「お待たせしました」

 そんな言葉と共にグラスと小皿をカウンターに置く所作も美しい。


 ケインは葡萄酒を一口含み小皿の豚肉に目を移す。随分柔らかく煮込まれているようだ。

 東方で使われているとされる箸と呼ばれる2本の棒で切ろうとすると肉汁をたっぷりと含みながらも柔らかく崩れる。口にすると豚の油の旨さと肉質の柔らかさが口中に広がった。同時に使われた香辛料が豚肉の香をより引き立てる。

「これは旨いな。マスター。この豚はどうやって?煮込んでいる?」

「豚を大きな塊のまま10日間塩漬けにした後、豚の油でじっくりと火を通し香辛料を併せそれを切り出して小皿に盛りつけたのさ。酒と醤で煮込んだものよりも葡萄酒に合うと思ってな」

「面白い技だ。そして確かに白葡萄酒にはこちらの方が合うと思う」

 豚を酒と東方から伝わった醤と呼ばれる調味料で煮込んだ角煮と言われる料理法はよく聞くがこれは聞いたことがない料理法だった。ケインは素直に感心している。ケインも贅沢三昧とは思っていないが王族として旨いものを食べてきた自覚はある。

 しかしこの店の料理はいつも驚きと発見に満ちており旨いものであった。


 一心地ついたケインは本来の目的の一つを果たすためマスターに話しかける。

「マスター実はお土産があるんだ。キャリー、笊かなんかあるかな?」

 キャリーが心得たように笊を持ってくる。そこに2匹のイトーカを乗せるケイン。

「イトーカですね。美味しそうです」

 キャリーが笊をマスターの元へ持っていく。尻尾が強めにふさふさ揺れている。嬉しいようだ。

「ケイン。これはまたすごい物を持ってきたな。この品質はダンジョン産か?」

「ああ。今日は黄昏の迷宮の解禁日だったからその第2層から獲ってきた」

「そんな場所にイトーカが?」

「ハンターの個人的発見というやつかな?それはさておき2匹で申し訳ない。二人で食べてくれ」


 マスターは何を言ってるのかという表情になる。

「お前が獲ってきたのだろうが。お前に振舞わなくてどうするんだ。おれたちは1匹で十分だ。キャリーもいいか?」

「もちろん。半身を頂けるのならば赤葡萄酒の煮込みにして下さい。好きなのです。旬のイトーカで頂けるとは夢のようですね」

「よし。任せとけ」

 マスターの声に珍しく尻尾をぶんぶん振って嬉しそうなキャリー。妖艶だけど可愛い仕草も申し分ない。ちょっと尻尾を触りたい気持ちにもなるが我慢する。

「マスター。おれも一匹頂くよ。料理方法は任せる」

「任された。飲み物は酒にするかい?」

「頼む」


 葡萄酒を酒に変えて待っているとマスターが小鍋と皿を持ってカウンター側に回ってくる。

「さあ。宜しいかな?」

 そう言ったマスターはカウンターに置いた小鍋のふたを取る。舞い上がった湯気の先には澄んだ出汁が張られているのみ。

 皿の上には薄切りにされたイトーカの身が置かれていた。

「これは東方に伝わる食べ方だ。その薄切りの身を海草からの出汁の中で泳がせて程よく火を入れたところで食べる。好みでこの出汁で割った醤をつけてもいいぞ。本来は肉で行う料理法だが東方では海の食材を使う地域もある。その発展系といったところかな?」

 そんな説明を聞きながらケインはこの料理に挑戦する。箸を器用に使えるケインは2本の棒で切り身を挟み出汁につけ泳がせる。あっというまに火が通るところを引き上げて出汁で割った醤につけて口に運ぶ。

『旨い』

 声にならなかった。これはたまらない。外側に火が通り、中が生のままのイトーカは想像以上に舌触りが心地よい。


 それに加えてイトーカの旨みが海草の出汁の旨さとともに口中を直撃すると同時に熱さで華やかに立ち上る旨みを醤のタレが引き締めることで非常に素晴らしいハーモニーを奏でる。


 川魚を半生で食べているのだが臭みなど微塵も感じない。人によっては西瓜のようなと例えられるイトーカ特有のエステル香を純粋に楽しむことができる。そしてその香りが海草の出汁の香りと相俟って堪えられない香りに満ち溢れていた。


 傍から見ると無言でケインは次々とイトーカを出汁に潜らせては口に運ぶ。その後を追いかける様に煽る酒が持っている東方の穀物『米』の旨みがまたイトーカと出汁の旨みを倍増させさらなる食欲を刺激する。

 箸を止めることができない。気付いたときには既にイトーカは皿の上から消えていた。

「マスター。これは旨かったよ」

 しみじみと話すケイン。マスターはグッと親指を立てた。キャリーは美しい笑みを浮かべている。


「これで終わりと思っていてはお前もまだまだといったところか?」

 マスターはそんなことを言いながらなにやら準備を始める。


 用意されたのは東方の穀物『米』を球状に握って醤を刷毛で塗りながら焼いたもの。ケインも焼きお握りという言葉は知っていた。運んできたキャリーは出汁を魔力で再度煮立て、その小鍋に焼きお握りを投入する。

「出来上がりだ。崩しながら出し汁と一緒に食ってみな。あの料理はイトーカの出汁が鍋に残る。それを残らず頂こうって手法さね」

 手を伸ばすケイン。これまた東方の道具である蓮華を用いて崩した米と出汁を一緒に口へと運ぶ。

『これも言葉にならないな』

 気づいたら食べきっていた。これは旨い。米の甘み、焼いた際に焦がした醤の旨みを伴う鹹味、それらと海草の出汁とイトーカからの出汁の相乗効果が旨くない訳がなかった。米とは何かと一緒に食べて真価を発揮するのもであると知っていたはずなのだがこのような方法があるとは創造すらしなかった。

 またこれと酒が抜群に合う。ケインは反省していた。

 この世にはまだまだ知らない旨いものがあるのだ。今後も未知の素材を求めてハンターを続けていこうと強く思うケインであった。


「大満足だマスター」

「誰に言ってるんだ。あたりまえだ」

 そんなことを言いながらマスターも満更ではないらしい。

「ふふふふ」

 キャリーも思わず笑みを零していた。

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