世論

 先ほど書いたとおり、遺族の浜野氏は今回の事件に関するホームぺージを開設していた。メールアドレスと本名と住所を記入すれば、インターネット上で署名できるようになっており、横山に対して憤っている人の署名が殺到していた。


 ホームページには、浜野氏のメールアドレスの記載があったので、私はダメ元で浜野氏に取材を依頼したのだが、驚いたことに浜野氏はそれを受け入れてくださった。


「ぜひ、市井の人々の声を知ってください」

 メールにはそう書かれてあった。



 とある月曜日の朝8時、私は浜野氏の署名活動に同行させてもらうことになった。


 駅前の通勤者が頻繁に通る前で、浜野氏は拡声器を持ち、「署名、お願いします」とまるで選挙の立候補者のように連呼していた。


 左手には、「児童4名交通殺人事件、薬物常用者、横山辰馬に厳罰を!」と白抜きで書かれた赤いノボリを持っていた。


 亡くなった一花ちゃん、両花ちゃんの同級生の父母が合計5名、ボランティアとして参加しており、ボールペンのはさまったバインダーを通行人に提示して、署名を集めていた。


 もちろん、前を素通りしていく通勤者のほうが多いのだが、世間的に大きな注目を集めているせいか、足を止めて署名する人は決して少なくなく、浜野氏に握手を求めて、

「がんばってください!」と励ます人も、複数人いた。


 駅前での活動はちょうど正午まで続けられたが、途中で用紙が足りなくなったため、近くのコンビニにコピーしにいくということになった。


「盛況」という単語はふさわしくないかもしれないが、その日一日だけで非常に多くの署名が集まった。

 集まった署名用紙の分厚さは、そのまま横山に対する世間の怒りの量を示している。



 私は迷惑であることは承知で、署名に協力した人、数名の背中を追いかけて、

「どういう動機で署名に協力したのか」ということを尋ねてみた。


 20代のスーツ姿のサラリーマン風の男性は、

「薬物中毒者が子供を殺したんだから、事故じゃなくて殺人でしょう」と言った。


 40代の主婦の方は、わざわざ電車に乗って隣町から署名するためにやってきたらしく、

「うちにも中学生の双子の息子がいるから、他人事とは思えない。被害者遺族の気持ちは痛いほどわかる」と言った。


 80代とは思えないほど頑強な身体をしてそうな80代の男性。

「人を殺したら、死を以て償うのは当然。日本の司法は加害者の人権ばかり保護して、被害者の人権をないがしろにしすぎている」


 高校の制服を着た、10代女性。

「あの犯人、ぜったい許せない」


 その彼氏らしい、同じく高校生の男性。

「犯人の顔写真ニュースで見たけど、気持ち悪い。いかにも犯罪者って感じだった」


 50代会社経営の男性。

「警察は今すぐ横山とかいう犯罪者を釈放してほしい。俺が殺してやる」


 20代の男性。

「死刑が妥当。死刑判決が出たら、すぐに処刑するべき。日本の死刑って、ボタン押したら足元の板が開いて落ちるようになってるんでしょ? ボタン、俺に押させてほしい」


 40代の女性。

「死刑以外考えられない。なんであんな男を生かすために、わたしたちが納めた税金が使われるのか、理解できない」


 30代の男性。

「もし、検察が殺人罪以外で起訴したら、日本に失望するね。どっかまともな国、たとえばカナダとかフィンランドに移住することにするよ」


 40代男性

「私も10年前に妻を交通事故で亡くしました。自動車と自動車の事故で、妻のほうにも過失があったんですが、妻は死んだのに事故の相手がまだ生きていることが、いまだに納得できません。妻の仇討ちを期待してるわけではありませんが、浜野さんには是非がんばって犯人の死刑を獲得してもらいたいです」


 このうちの数名に、私はさらに、「横山容疑者は、心神喪失による無罪を主張しているようだが、どう思うか?」と尋ねてみた。


「クスリで頭がおかしくなって心神喪失なんて、通るはずがない。それなら、あらかじめクスリ打って憎たらしいやつを殺したら、無罪になってしまうじゃないか」というような意見が多かった。


 また、

「心神喪失だからと言って、無罪になるのがおかしい。殺されたほうにとっては、加害者がどんな状態であっても殺されたことには変わりはないのだから、心神喪失で無罪にしたり減刑したりする制度は廃止するべきだ」という意見も多数あった。


 署名活動を終えた後、浜野氏に話を伺うことができた。

 たくさん署名が集まったが、浜野氏の顔に笑顔はない。


「一花と両花はね、7年も夫婦で不妊治療をやって、ようやく授かった子供だったんです。犯人を許すことはできません。検察が、殺人ではなく危険運転致死傷で起訴したら、私は何としても横山が出所するまで生き延びて、娘たちの仇を討ちます。地獄の果てまでも追いかけて、ぜったいに殺します」


 横山の逮捕の2か月後に、浜野氏はネットで集めたものも含めて、総勢20万人にのぼる、横山に厳罰を求める署名を地検に提出した。

 それが影響したのかどうかはわからないが、検察は横山を危険運転致死傷罪ではなく、殺人罪で起訴した。

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