記憶は消えても、愛は残るんだね

「なんて君が、泣いているんだい?」

「‥‥‥?」


 僕が、泣いている? 


 僕は泣いてなんか――――、


「っ!?」


 だいきは訝しげに思いながらも自らの目元に手を当てた。

 

「どう、したんだい?」

「な、なんでもないよ」

「‥‥‥」


 泣いている事さえも自覚していなかっただいきは慌ててゴシゴシと目元を拭った。

 余りに滑稽なその態度に、会長は思わず握り拳にぐっと力を込めた。


 とその時、


「おおおお、お茶を持ってきました!どうぞ会長!つ、つまらぬ物ですが!」

 

 酷く慌てた様子の玲奈が部屋に乱入してきた。

 玲奈はお盆にお茶の入った急須とグラスカップ2つを乗せ、ちょこっとした和菓子を隣に添えていた。


「え‥‥‥?」


 そんな興奮状態の玲奈だったが、部屋の様子と異常な光景を視界に入れた途端、困惑の声を漏らした。 


 目を真っ赤にさせ泣いているだいき。


 そんなだいき向かって土下座をしている会長。


 そして玲奈が真っ先にとった行動。

 それは――――、





「―――兄さん、どうかしたの?」


 

 兄の心配だった。

 

 会長の土下座に目もくれず、醜い兄の心配をしたのだ。

 

 玲奈はこの状況を理解している訳ではない。

 いや、全く持って理解などしてなかった。

 

 ただ玲奈はそれでも、憧れの大好きな先輩が土下座をしていても、あの完璧超人と崇拝されている会長が視線を彷徨わせていても、゛動揺゛の2文字が辞書に書いていないような先輩が明らかに動揺していても、それでも玲奈は兄を優先させた。


 その事実はだいきにとってどれだけ嬉しいものだっただろうか。


 あの会長が土下座など本来有り得ない。


 だがそんな会長が醜い男に向かい土下座している。


 そんな有り得ない状況に第三者が介入しようものならば、醜い男であるだいきは瞬時に糾弾されるだろう。


 何故なら


 あの会長が。

 あの完璧超人が。

 あの稀代の天才が。

 

 あの恐怖の象徴が―――、


「大丈夫兄さん?」


 ――――土下座しているなんて有り得ないのだから。


 玲奈は勿論、理屈では分かっている。

 元々仁田高校に入学したのは、間近で会長をひと目みたいという好奇心だった。

 そして玲奈も天才の名が伊達では無い事に気が付いた。いや、強制的分からされた。

 彼女の快進撃は凄まじいものだった。

 そして凛とした天才の姿は、玲奈に憧憬の念を抱かせるのに然程時間は掛からなかった。

 会長の後ろ姿に玲奈はただひたすらに憧れた。

 どんな障壁があろうと突き進む、あの強さに、あの姿に惹かれたのだ。


 だからそんな会長が土下座するなど有り得ない。


 分かってる。

 そんな事分かっているのだ。

 異常な状況だと分かっている。


 でも、それでも、私は――――、


「‥‥‥うん、何ともないよ玲奈。だから今は会長と二人きりさせてくれないか?」

「分かった。でも無理しないでね兄さん」 

「っ‥‥ありがとう‥‥‥玲奈‥‥‥」


――――兄を信じたい。


 誰よりも優しくて、誰よりも私を大切に思ってくれて、そして誰よりも弱い兄を、から。


「れ、玲奈君。これはだな、その‥‥‥」

「姫木先輩、ごめんなさい。私は先程まで何が起きていたのか、何があってこんな状況になったのか全く理解していません」


 玲奈は続ける。


「‥‥だけど、私は兄を信じています。世界でたった一人の大切な兄なんです。‥‥‥だからもし、姫木先輩が兄を悲しませたのなら、私はあなたを許せません」

「っ‥‥!」

「それでは。勝手にお邪魔してすみませんでした」


 それを皮切りに玲奈は部屋を出ていった。


「‥‥‥」


 ――――あぁ、君は‥‥君達は‥‥そうか‥‥そうなんだね‥‥私は馬鹿だなぁ‥‥そんなの魅せられたらキツいじゃないか‥‥。


 否定など生まれてこの方右手で数えられる程しか受けなかった彼女は―――笑っていた。

 何故自分が笑みを零しているか、彼女は分かっていない。

 

――――自然と漏れた笑みは、一体いつ振りだろうか。



 生誕2000年4月20日。

 6歳の頃、名門小学校へ入学。

 7歳の頃、小学校課程の全教育を習得。

 10歳の頃、中学校課程の全教育を習得。

 12歳の頃、いじめの主犯格グループをたった一人で壊滅。男子生徒の精神を徹底的に破壊し未来永劫のトラウマを植え付けた。

 14歳の頃、ある家庭を崩壊させ、その子供達を救う。後に親である男は警察に掴まった。

 15歳の頃、娘に対して恐怖に怯えていた父と母に捨てられる。以後一人暮らし。

 16歳の頃、仁田高校において異例の一年生の生徒会長就任。徹底的な学校改革により、仁田高校は事実上姫木凛の独壇場と化す。

 17歳の頃、生徒会長を辞任。数多の生徒から嘆きの声が広がった。

 


 18歳の頃、6月5日――――本日。


 姫木凛、初めて敗北を知る。


 

 

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