オリオン座に願いを

王子

オリオン座に願いを

 東の空は雲ひとつない。張り伸ばされた柔らかな黒に、点々と輝く白がい付けられている……なんて、ロマンチストなら言うのだろう。僕にはそんな歯の浮くような言葉は必要ない。

 十月二十一日、午前一時五十分、快晴、風やや強し、気温は五・四度。

 お気に入りのノートには、〇✕ゲームも必殺技もイライラボーも無い。夜空を黒いドレスにたとえたり、星をダイヤモンドに喩えたりしたポエムも無い。そんなもの残しても、後で見返して首をひねることになる。僕にだって、流れ星に願いをかける可愛げくらいあるけれど、なんなら今日だって願う気満々だけれど、天体観測ならデータを収集するべきだ。頭上に広がる巨大な天体システムについて、僕は事細かに記録している。

 データはジグソーパズルだ。一つひとつは大した意味を持たないかもしれない。だから、裏表を確かめ、凹凸おうとつを観察し、他のピースにカチリとはまる向きを分析する。あちらでもない、こちらでもない、ああやっと見つけたこちらですねと手を取り合っていくピース達。最後のピースが席を埋めれば、完成した一枚のパズルに銀河が浮かび上がる。そうやって、人類は大宇宙の新たな真理にたどり着くのだ。

 ピースを集めているときは心穏やかでいられる。僕をいじめてくる弩龍どりゅう君のことも、少しの間忘れられる。

 弩龍君は縦にも横にも大きくて、ひとたび拳を振り下せば、誰でも言うことをきかせてしまう。こう言うと便利な魔法の杖みたいだけれど、とてつもない物理ダメージを伴う上に、しょっちゅう使われては困る。魔法のような力はそれだけではない。給食の時間、おぼんを持って並んでいるとき。ご飯の配膳はいぜん係にギロリと魔法の目を使う。すると、不思議なことに弩龍君のご飯だけ大盛りになるのだ。他にも、軽くクイッとしゃくるだけで人を自由自在に操れる魔法のあご、ドンッと床を打つだけで辺りが静まり返る魔法のかかとも持つ。

 そんな横暴な魔法使いに目を付けられてしまったのは、不運としか言いようがない。いや、僕が気弱なのがいけないのかもしれない。理由はどうあれ、弩龍君は気に入らないことがあれば僕に八つ当たりするし、僕の背の低さをバカにするし、僕にあんなことやこんなことをさせて、まるでおもちゃみたいに扱ってゲラゲラ笑いもする。

 来年中学校に進学して、また三年間も暴君におびえなければならないのか思うと、それだけで憂鬱……ダメだ、こんな気の滅入めいることを考えていては。今は空に目を向けよう。壮大なスケールで広がる星々を前にすれば、悩みも砂粒ほどの痛みに思えるものだ。

 今日集めるピースは、オリオン座流星群の活動記録だ。毎年十月二十一日前後、つまりちょうど今頃に極大となる。僕の体より何倍も大きな星々による天体ショーなのに、お目にかかれるのはほんの数日だなんてケチな話だなと思う。

 流星群はふくしゃてんに近い星座から名付けられる。オリオン座の中に輻射点を持つから、オリオン座流星群。細かく言えば、オリオンの右肩にあたる星、ペテルギウスの近くだ。流星は、輻射点を中心に放射状に飛び出していく。だから、流れ星を見付けたければ空の一点を見つめていてはダメだ。全天を広く視界に入れるのがコツ。これはプラネタリウムのお姉さんから教えてもらった。

 流星群に名前の由来があるように、オリオン座にも命名された理由がある。これも星空散歩のプログラムの後、お姉さんが解説してくれた。

 ギリシャ神話に登場する、オーリーオーン。日本でオリオンと呼ばれる彼は、数多ある神話の数だけ、様々な逸話いつわがある。特に有名なのは、さそり座とも深い関わりのあるエピソードだろう。

 海神ポセイドーンを父にもち、たくましく、美男子で、海を歩く力を与えられたオリオンは、どんな獰猛どうもうな獣でも仕留める狩人だった。その上、女神アルテミスと恋仲にあった。設定盛り盛りなキャラクターだ。それはさておき、オリオンは大きな罪を犯した。オリオンは「俺、この世で一番強い。マジ最強。俺に敵う動物いねえし。狩りとかヌルゲー。猛獣なんかどいつもこいつも秒殺っしょ」と大口を叩き、自慢していた。

 これを聞いた天上の神々は怒りに燃えた。中でも大地の女神ガイアは怒り心頭だった。「は? 私が大地に恵みを与えてるからアイツ狩人やってられるんだよね? 思い上がりも甚だしくね? はいはい天誅てんちゅう天誅」と、毒サソリをオリオンに差し向ける。虚を突かれたオリオンはサソリに踵を刺され、命を落とす。

 お姉さんのギャルギャルしい名演技と共に語られた神話は、クラスのバイオレンス魔法使いを思い出させた。オリオンの罪は傲慢ごうまんだった。傲慢に加えて粗暴で無慈悲で意地悪な弩龍君には、一体どんな罰が下るのだろう。魔法の踵もブスリといかれたらいいのに。

 まぁそんなことよりも、プラネタリウムに足しげく通う僕を、お姉さんは大変かわいがってくれる。大人のお姉さんにかわいがられたら、心奪われてしまうのが男の子というもので、僕も例外ではない。

 まぶたでは一等星のようにラメが輝く一方で、まつげはブラックホールを思わせるほど黒々としている。流暢りゅうちょうにギャル語を話す口で、宇宙の神秘も説く。お姉さんの知識は本物だ。図鑑すら逃げ出すほどに。シリウスもカノープスも敵わないほど明るくて、超新星爆発よりも豪快に笑う。それから、これは僕が特別に目を留めているわけではなく、単に客観的事実としてのお姉さんの特徴だけれど、おっぱいが大きい。あの膨らみに何が詰まっているのか……それが一番の神秘かもしれない。

 僕がオリオンだったら、きっと傲慢に身を滅ぼしたりはしないだろう。ギャル語のアルテミスを悲しませたくはない。アルテミスの兄アポロンにも祝福される天文学者になりたい。そしてアルテミスと二人、大宇宙の新たな真理について語り合うのだ。

 僕は指先にパズルのピースをつまみ、月光にかざす。月の女神であるアルテミスはピースの行き先を探し出し、僕にそっと指し示す。かつては一人で組み立てていたパズル。今は二人の共同作業で、ピースは早々と居場所を見い出していく。やがてパズルは満月の下で一枚の絵画になる。描かれているのは、僕とアルテミスが宇宙の果てで見付けた新しい銀河だ。僕らは新発見に歓喜の声を上げてハイタッチする。ついでにアルテミスは僕の額にキスをするだろう。夜更かしすると背が伸びないから早めに床に就く。アルテミスの膝枕にもたれて仰向けになると、目の前には宇宙最大の神秘が……。

 なんてバカなことを考えているのだろう!

 寒空の下、火照った頬をバシバシと叩く僕を、オリオン座だけが見ていた。

 記録はもう十分。いよいよ、流星群の観測だ。オリオン座を正面に空を広く見渡す。こぼれ落ちてくる星を一つも見逃さないように。願い事はもう決まっている。

 じっとして空を見上げていると、ダウンコート越しに忍び寄る冷気、かじかむ指先。万全の防寒対策をしたつもりだったけれど、真夜中の北風はなかなかにこたえるものだ。でも、強い願いを抱えて待っているから、少しも寒くない……なんて言うとディズニー映画の主題歌みたいだな。

 星明かりの他に何も見えない闇夜の中。

 突然、ちらちらと白いものが降ってきた。

「えっ」

 雪だ。空は快晴なのに。となると、これは。

風花かざはなだ」

山に積もった雪が、上層気流に乗って風下側に落ちてくる現象。花びらが舞うように雪がちらつくことから名付けられているらしい。風花が舞う中の天体観測なんて初めてだ。これは記録しておかなければ。

 ノートに手を伸ばそうとした瞬間、目の端に動く光を捉えた。

 来たっ! 流れ星だ!

 ちょっと出遅れたかもしれないけれど、急いで願い事を三度唱える。オリオンとアルテミスの神話が美しく描かれていくために。僕の未来が恒星みたいに明るく輝くように。全てをこの願いに込めよう。


 弩龍君が死にますように。

 弩龍君が死にますように。

 弩龍君が死にますように。

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