サブロウ
usagi
第1話 サブロウ
小学校に入るまで犬を飼っていた。
名前は「サブロウ」で、太郎も次郎もいないのになぜかそう呼ばれていた。
犬種は覚えていないが、柴犬のような外見の小さな室内犬だった。身長100cmに満たないサブロウだったが、自分としてはかなり大きかったイメージがある。
サブロウは誰より早起きで、日が昇ると散歩に連れていけとキャンキャン騒いだ。
小さいころの僕は今では想像できないくらいに早起きで、毎朝父とサブロウの3人で土手を散歩するのが日課だった。2個上の兄は寝坊助で参加しなかった。
うちから徒歩5分ほどにある土手の下は、少年野球場が4つ入るくらいの広さの原っぱで、秋にはススキや彼岸花が咲き、春にはタンポポで一面が黄色に染まった。夏には膝上まで雑草が茂り、たくさんの種がズボンにくっついて母に嫌がられたことを思い出した。
夏には役所の人が草刈を行い、青臭いにおいの中で、隠れ場所を失ったトカゲやバッタを捕まえ、ヘビの抜け殻を集めた。カマキリの卵を持って帰った時には「うちの中に持ち込むな」と母が怒鳴っていたっけ。
僕は、朝サブロウと原っぱを駆け回るのが大好きだった。
僕は一緒に遊びながらサブロウとよく話をした。
サブロウはやさしい子で、僕の話をじっと目を見つめて舌を出しながら聞いてくれた。「聞いてるの?」と聞くと、「ワン」と答えてくれた。
小学校に入るまでのことは断片的に覚えているが、小学校に入ってからサブロウと過ごした記憶はなかった。サグロウが死んだとか、逃げたという記憶もなかった。
「犬飼うとか?どう?」
夕飯の後、二人で晩酌していると妻が話しかけてきた。
「いや、それは。」
妻はわかった上での発言だったのだろう。
不妊治療をしてもなかなか子供ができないことを紛らわすため、いやこの先子供がいなくても寂しくならないように、という発案だとは理解した。
僕は思わず否定的な反応をしてしまった。
「昔、飼ってたって言ってたよね。」
「うん。小学校入るまでね。」
「かわいかった?」
「すごく。でも自分も小さかったから、面倒を見るというよりは見られていた感じかな。」
「へえ。サブロウだっけ?」
妻は一度しか言っていないことを時々よく覚えていて、時々驚いてしまう。
「ああ。」
「サブロウちゃんみたいな犬。で一緒に寝るの。ふとんの中でくっついてね。これからの季節はぬくぬくの幸せだよ。」
「うん、まあそうだろうね。」
僕は正直乗り気ではなかった。
犬を育てることは大きな責任を持つことだったし、それに子供の替わりみたいになってしまうのは良くないかとも思った。きっと飼ったら愛せる自信はあったが、今はそのタイミングじゃないという気もした。
幼稚園のころだったか、「弟が欲しい」と母に言ったことを思い出した。
僕には兄がいたが、自分より年下の弟、赤ちゃんが欲しいと思った。僕の言った言葉を親は考えてくれたのかどうか。小学校に入ったころ、妹が新しい家族になった。
最近父から話を聞いた。父が毎朝僕と二人で散歩に出かた時、僕は誰かと遊んでいるようだったと。弟が欲しいと言っていたから仮想の弟と話しているのかと、黙って見ていたそう。驚いたことに、父と母にはサブロウの記憶がなかった。20年前のことで記憶違いがあるとは思えなかったが、僕はサブロウがいたことを、父や母に話すことが何か間違っているような気がして、その話を広げることをやめた。
僕は6個下の妹をとてもかわいがった。今でも一緒に買い物に行くくらい仲が良い。兄妹としては珍しい関係なのかもしれないと思う。
サブロウはどこからやってきたんだろうか。どこかで買ったのか、もらったのか、拾ったのか、それともそもそもいなかったのか。父や母にしてみればサブロウはいなかったことになっていたので、わかりようもなかった。
僕の中のサブロウと過ごした記憶がなくなったころ、妹の紗枝が生まれた。思えばサブロウは女の子だった。多分。おしっこをするときに足を上げずにじっと座ってしていたから。
「あのさ。」
僕は妻に話しかけた。
「なんとなくそう思うんだけど。」
「なに?」
「明日病院に行こうよ。」
「なんで。」
「産婦人科。一緒に行くからさ。」
「いいけど、なんで?」
「なんとなく。」
僕はなんとなく確信をしていた。
病院に行くと、予想通り妻は妊娠していた。
妻はうれしいからか、婦人科医からの話をじっと涙を貯めながら聞いていた。
その子は男の子だった。
名前はサブロウにしようか、と思ったけどやめた。
サブロウ usagi @unop7035
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