第3話

第三回

古代の国

「おい、どっちに行った。」

「こっちだろう。」

二人の兵士は息を切らせながら木の葉の敷き詰められた森の中を違う言葉を話す異国の巨人のような巨木の間を女を捜して歩き回った。その巨木の間の地面に敷き詰められた木の葉はみんなこの森の中の木々が空中に広げたその枝から落とした葉である。空を遮る枝が太陽の光を地上まで届かせないから地面には湿り気がある。そしてその落ちた葉が地面の下の方になればなるほど腐って色が変わり柔らかくなって地面の栄養分となり、またそれを落とした木それ自身の栄養となり、また他の植物の栄養となる。巨木の地上に広げた根の上についている苔もそれで生きていけるのだ。この森の中の住民はこの背の高い立ち木たちである。土の上の葉は地面が固いベッドの土台だとすれば木の葉は腐って柔らかなマットレスのようになっていた。その下には肉眼では見えないような微生物がいたり、みみずや昆虫がいたりするのだろう。そこは人間がよそ者であり、木霊の世界である。そこで人の目には見えない生命活動が行われているのだ。また杉の木の下などは風通しが良かったりして杉の葉が腐らずにそのまま積もっている。だから古代人の裸足に近い状態でもむやみに足の裏をけがするという事もなかった。そして森の向こうにはなだらかな稜線を見せている山がいくつもまるで仲の良い幼い兄弟のように肩を組んで重なっている。鳥が飛び立って森の上から外の景色を見れば緑色に塗られた羊の身体のようなその姿を見る事ができるだろう。またまるで大きなおわんの形をした表面がビロードに覆われた半球状の巨大なものがいくつも並んで座っているように見えるだろう。しかし木々に囲まれた森の中にいる兵士にはその山々の姿も見えなし、空中から見たらそれらが幼い兄弟のようだという印象も持つこともできないだろう。彼らの見えるのは昼なお暗い森の中に生えている太い幹の木々たちとその下草、まるで巨大な怪鳥の足のように地面を踏ん張っている根、地面から生えだし木々に絡まって上へ上へ行こうとしているような蔓草だ。太いまるで毛むくじゃらな表面を持つ太い大木はそれを男性にたとえるなら蔓草の方は女性のようにも見える。しかし彼らの頭の中には今追っている女のことしか頭にない。その女を逃がしてしまったら自分たちが王にどんなとがめを負うかもしれないのだ。そしてこの二人の兵士はこの森の中をやりを持って女を探して徘徊している。一人はやせた兵士でもう一人は太った兵士だった。兵士と言っても普段は農業をやっている。それがこの国の大臣の命令で女を追う事になった。たまたまその場に居合わせたという消極的な理由からだった。貫頭衣を着た兵士たちの頭上には空を覆う木の葉の間から太陽の光がときどき見え隠れする。その貫頭衣も冬は動物を殺してその毛皮をなめして作った服なのだが今は初夏なので繊維質の強い植物をいくつか取り混ぜてお湯で煮て繊維だけを取り出し、その繊維を混合して太い糸を作って織り上げられた布製のものである。その一枚の布の中央、頭が通るぐらいの穴を開けてそこに頭を通して切るメキシコのポンチョのようなものだった。二人の兵士の手には適当な長さに切って表面を磨き上げたいちいの木の棒のさきに石を砕いて作ったやじりが革ひもで結わえ付けてある。石を砕いて作られただけのやじりであるが鋭利な切り口ができていて思いのほか何でも切れるのだった。今は動物や人をそれで刺し殺すという本来の目的ではなくやじりの反対側の棒だけの部分を使って歩くための杖としてあるいは下草をどける用途で使っている。

「あれが本当にとなりの国の女王なのか。」

やせている方の兵士が息を切らせている太った方の兵士に聞いた。

「ああ、確かだ。大臣も言っていただろう。あの女は女王だけが身につける事ができるくが玉を首につけていた。」

不思議な話だが全く違った国同士なのにその時代はどの国でも女王や国王の装身具はほぼ同じだった。これは実際には距離的に離れていて違った国と見られる複数の国が実際は何らかの交流があったのか、もしくは種として同じ人間の考える事はどこかで同じものになると言うことが言えるのかどちらとも言えないが。

「そう言えば身なりは俺たちと大して変わっていなかったが首からは緑色に輝く宝石をつけていた。あれがくが玉か、王様があれと同じものをつけていたのを見た事がある。それにあの顔立ちは王族特有の気品がある。それに大臣があれが隣の国の王女だと言うのだから間違いはないだろう。」

「でも何でとなりの国の王女がうちの国の中に入って来ているのだ。もしかしたら隣の国の跡目争いがあって逃げて来たのかも知れない。いくら王女だと言っても国を追われてしまえば俺たちと同じ雑草のような身だな。」

「そんな事はどうでもいいさ。あの女を捕まえなかったら俺たちは大臣に生き埋めにされるぞ。あの大臣だったらそんな事はあたり前だ。」

そのとき少し離れたところの草むらががさごそと音をたてた。その木の葉の間からひきっった顔の女の瞳がこちらを見ている。身も心も疲れ切っているようだがそれでも彼女は美しかった。顔は少し土と汗でよごれて黒くなっていたがその分、目だけがらんらんと輝いてちらりとこちらを見た。

「おっ、あそこだ。」

「おい、待て。」

二人の兵士はウサ姫の姿を見つけてて叫んだ。

太った兵士とやせた兵士は昼なお薄暗い森の中を木の葉を踏んで小さな藪をかき分けて小走りに歩を進めた。女が消えて居なくなるという事はあり得ないだろう、女は相当に疲れているはずだ。女も木々の太い幹の間から見えた二人が追って来るのを見て森の中を駆けだした。女は今は国を追われて逃げているウサ姫だった。まんまとアマの計略にかかりシュサと交わったという疑いをかけられて殺されそうになったウサ姫はウナ姫の機転によってオトともども逃がされた。しかし隣の国の中を歩いているときに兵士をつれた他国の大臣に見付かって追われているのである。ウサ姫はここいらの地理を全く知らない。自分の国にいてもその中を歩いた事がないのだから他国の地理についてはなおさらの事だった。木の葉を踏みしめ地上に張った大木の根をまたいで逃げるつもりがだんだん高い方に歩いて行くように感ずる。その地面は少しずつ傾斜になっていて上に続いているようだった。大木と地面の接点が斜めになっているからだ。大木の間には角張った岩が地中から顔を出して森の中の湿り気のために濃い緑色をしてぬらぬらと輝いている。その岩はたぶん何千年も前からそこに顔を出しているのだろう。岩には心がないはずだからこの逃走劇を見ていても何も感じていないのに違いがない。大木の間にはところどころに巨大な岩が地面から顔を出していて芝居に出て来る役者のようでもあった。しかしその役者は動きもしなければ話しもしない。この森の中に山の神のような住人がいれば大木の間をちょこちょこと尋ね歩いてこのことの噂話をするかも知れない。そしてその山の神の身分をもっと低いものと仮定すれば木霊と呼んだ方が良いかも知れない。とにもかくにもこの森の歴史からすればこの逃走劇は無に等しいものだった。

アマの策略により宮殿のある邑から歩いて半日かかる邑に多くの兵士たちと供にウサ姫はその邑を治めるために行った、それはオトの考えだった。そもそもの発端はその邑に騒動が起こり、二人の女王の威光を示すために姉のウサ姫が行かなければならなかった。それはオトを陥れようとするアマの策略だった。ウサ姫がその邑に遣わされたときウナ姫は自分の生まれ育った宮殿に残された。邑に料理の達人と呼ばれる人間がいてウサ姫を祝ってごちそうが料理された。ウサ姫にはこの国のおもだった有力者も同行していた。祝いの席でそのごちそうを食べてすぐに眠くなった。気が付くと大きなベッドに寝かせられていて隣にはシュサがまだ寝ていた。何故ウサ姫が目を覚ましたかと言えば急に扉が開けられたからで開けられた扉の向こうにはこの国の有力者が並んで立っていた。ウサ姫はすぐに捕らえられ邑のはずれの小屋につながれの身となった。この国の法律では神の託宣をあずかる人間が異性と交わる事は死に値する重罪だった。それはたとえ女王だとしても許されなかった。むしろ神の声を人々に伝える特別な存在だからかえってその事は許されなかったという意味合いもある。そしてウナ姫でもウサ姫を救う事はできなかった。そのことに関してたよりになるオトも同様の罪を問われたからである。そしてあらたな女王むかえてアマがあらたに権力を手中につかもうとしていた。しかし外見的にはウナ姫とウサ姫は瓜二つである、その事を二人は利用して番兵をだましてウサ姫は逃げ出した。そのとき彼女を逃がしたウナ姫は番兵に刀で切られて大けがをおった。捕らえられたときウナ姫とも話したのだがウナ姫も同じようにシュサに誘惑された。そしてオトも捕らえられそうにになり、国の外に逃れた。これらの事はみんな誰かの差し金で行われているのであり、それはアマの仕業だという結論に落ち着いた。アマがこの国を支配するためにこんな事を企てたのだ。しかし今はオトも国外に逃れている。ウサ姫は全くどうしていいのかわからなかった。そしてこうして他国の兵士に捕まってしまうのかとウサ姫は思った。木々の間から見え隠れする追っ手の兵士たちの姿がしだいに大きくなっている。ウサ姫は前方を見ると木に囲まれて薄暗くなっているはずが少し明るい。さるすべりの木がまばらに生えていてその間をつる草が結んでいる。その向こうはこの森の中よりも明るかったがそれが何故なのかはわからなかった。とにかく追っ手が後ろに迫っているここから逃げなければならない。ウサ姫はそこまで行ってみて驚いた。そこは崖になっていて下の方には大きな川が流れている。他国の人間はその川を懼れて近づこうとしないという事を聞いたことがある。崖のはじのところには蔓草がはえていてそれで崖がくずれないようになっているのだということがわかった。眼下には清冽な流れがある。川の深さは相当ありそうだ。川の表面にはエメラルド色の水が流れている。崖の下の方を見ると断崖絶壁というわけではなくところどころに盆栽のようなこぶが出来ていてねじくれ曲がった松がそこから生えている。そのたんこぶのようなところに小鳥の巣がかかっていてもおかしくないだろう。もしかしたら中華料理で使うつばめの巣というものもこんな崖で採取されているのかも知れない。ここから飛び込めばうまくいけばそれらの松の木に引っかかる事もなくエメラルト色の川の中に入ることができて彼らから逃れることができるかも知れない。しかし相当な高さである。川にうちつけられるときのショックで気を失ってそのままおぼれ死んでしまうかも知れない。ウサ姫は自分の運命を神に任せた。ウサ姫は思い切ってその川に飛び込んだ。

「おい、やめろ。」

「そこに飛び込むな。そこにはおそろしい水やもりが住んでいるんだぞ。」

二人の兵士の声もウサ姫には聞こえなかった。ウサ姫は十メートル下の川の中へ飛び込んだ。大きなエメラルド色の水しぶきを立ててウサ姫の姿は川の中に消えた。二人の兵士はおそるおそる崖のへりのところまで行って川の中を見た。そして二人の兵士はお互いに顔を見合わせた。川の奥の方は見えない。そこでやせた方の兵士が意を決して川の中をのぞき込むことにした。

「おい、やめろよ。危ない。」

「お前は臆病だな。あの女が死んでしまったか確認しないと王様に生き埋めにされちゃうんだぞ。」

やせた兵士は崖の端のところに生えている蔓草のかたまりのあいだから出ているさるすべりの木の幹を片手でしっかりと握ると川の中をのぞき込んだ。崖の側面のところにはサボテンみたいな出っ張りがところどころに出来ていてそこから松の木が生えている。上から見るとその松の木が龍の胴体のように見える。その龍が崖からここに登ろうとしているようだった。その龍はこのエメラルド色をした川の中から生まれ出ているのだが。二人の兵士は崖のはじのところにウナ姫が立っていてその姿が急に消えたのを見たのに過ぎなかった。

「おい、大丈夫か。」

太った方兵士は崖の出っ張りのところで身を乗り出して川の中を見ているやせた方の兵士におそるおそる声をかけた。やせた方の兵士の視線のさきには川の表面が見えているのだがその川の流れの中に落ちて行ったウナ姫の姿は見えない。下流の方に目をやっても彼女の姿は見えなかった。

「おい、この高さではあの女も助からないだろう。それよりもこの急流では泳げずにおぼれ死んでしまうだろう。」

視界の中に落ちて行った女の姿がなかったやせた方の兵士もその意見に同意した。

「王様には高い崖から川の中に落ちてその姿も見えなくなってきっと死んでしまったのだろうと報告するか。」

「それでいいだろう。」

やせた方の兵士はさるすべりの木の幹を引っ張ると自分の身体を安全な方に持って来た。

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縄文

この二人の兵士の国ではこの隣の女王が自分たちの国の中に逃げ込んで来ているという噂が立っていた。裸の子供が走り回っている。今はちょうど暑いさかりなので子供は二人とも服を着ていなかった。

この二人は兄弟で一人は男でもう一人は女だった。田圃の前の自分の家の庭で走り回っている。この庭は自分の邑の田圃でとれた稲を脱穀するのに使われている。たて穴式の住居の前ではその母親が火をおこして土器の中に入れた水をわかしている。この二人の幼い兄弟がいつもよりはしゃいでいるというのは二人の父親が川に魚をとりに行って鮭を三匹も取って来たのでうれしくてはしゃいでいるのだ。父親は鮭の口に笹の枝を通して運んで来た。それを背中に担いで自分たちの庭に持って来た。その父親の姿を見つけた二人の子供が父親のところに走って行った。

「父ちゃん、見てくれよ。俺、弓矢を作ったんだよ。」

この時代教育というのはどうやれば大きい種籾を選別できるか、よく飛ぶ弓矢を作るにはどうしたらいいか、うさぎはどんな木の切り株をねぐらにしているかというのが習うべきことだったからこの子供が弓矢を作った事はほめられてしかるべきである。しかし父親の耳元を矢はそれて担いでいる鮭の胴体に刺さった。

「おい、危ないじゃねえか。何をするんだべ。」

父親は驚いて声をあげた。そのそばでは母親が土器の下で燃えている火に空気を送り込むために竹の節を抜いて作った火ふき筒で火力の調整をしていたが顔を上げてこの騒ぎを怒鳴りつけた。

「何、やってんだよ。ご飯だよ。みんな、こっち来な、」

父親と二人の子供は母親のそばにある横たわった丸太のところに行ってそこに座った。

そのうち縄文土器の中に入っている水はすっかりと沸騰して母親は用意してあったどんくりと赤米をすりつぶして作っただんごをお湯の中に入れた。

「おい、聞いたか、隣の国の姫が逃げ出したらしいぜ。その女を捕まえたら畦大臣にしてくれるという話だ。」

丸太にこしかけている父親はそばで料理をしている母親に話しかけた。

「何、ばかなこと言っているんだよ。うちには食べ盛りの子供が二人もいるんだからね。そんなことよりちゃんとおととをとって来な。」

土器の中に入っている団子はお湯の中に沈みまたお湯の表面にうかび上がった。これは団子がゆであがった証拠である。

「ほら、ゆで上がったよ。」

「俺、どんぐり飯、嫌い。」

「あたいも。」

「何、ぜいたくな事言っているんだよ。葉っぱだしな。よそってやるから。」

「はぁーい。」

「はぁーい。」

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大熊王

二人の兵士にウナ姫をつかまえるように命令した王は自分の宮殿の前で収穫できる米の量の計算をしていた。しかし農業生産技術の遅れや田圃の整備がよくないためにあまりその生産は期待できなかった。隣の国に比べればその生産量は四分の一以下である。この王はがっしりとした体格とそのひげ面の容貌から大熊と呼ばれていた。この国トマラ国はウナ姫のオロ国に比べるとその規模は二分の一ぐらいであまり裕福な国ではなかった。大熊王はオロ国の豊かな国土に目をつけていてその国を奪おうという野心があった。それはこの大熊王の凶暴な性格にも由来していた。そのためにも逃げてきたウナ姫を捕まえることは大熊王にとっても意味があった。

「王様、王様が命令していた二人が帰って来ました。」

彼の身辺の警護をしている兵士が言った。そのあとから顔をふせながら太った兵士とやせた兵士の二人が大熊王の前におそるおそる歩み出た。

「王様、追っていた女ですがかわせみの崖のところまで追って行ったのですがそこからめのうの川の中に飛び込んでしまいました。あの高さから川の中飛び込んだらとても生きているとは思えません。」

「ばかもん。」

あたりに響き渡るような声で大熊王は怒鳴りつけた。二人の兵士は身震いした。こうして大熊王が怒鳴ったあと何人もの平民が生きたまま土中に埋められているのだ。二人は首のあたりが涼しくなった。

「王様、いかがいたしたのかな。」

大熊王の後ろから変な模様の織り込まれた木綿の服を着た人物が話しかけた。

「おう、朴さんか。実は。」

他の平民とはあきらかに扱いが違う、顔つきも現地人とは微妙に違っている。朴と呼ばれた人物は半島から来た人間で大熊王のオロ国征服の野望にはどうしても必要な人間だった。朴は陰陽の二気から発展した易学を身につけている、また万物の生成消滅を扱う論を会得していて暦学方位学に通じシャーマンによって国を治めているオロ国に対抗するためにはどうしても政治上必要な人間だった。

「隣の国の女王をとり逃がした。まあ、いいではありませんか。あの女が居なくても支障ないのことよ。」

「しかし、念には念を入れてということもありますからな。」

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