第十九話 夏休みと懸念9



 一人の少女が、目の前でしょぼくれたように体を縮こませて食堂の椅子に腰かけていた。

 その正面に対面して座る形で腰掛けたのだが、少し前まで生徒会室で未来の生徒会に付いて力強く語っていた生徒と同一人物とは信じがたい姿だった。


 凛々しいはずだった表情が、強く鋭い瞳が、溢れんばかりの自信に満ちた立ち振る舞いが見る影もない。

 大人しい、なんてことない普通の女子生徒がそこにはいた。


「……紅茶、飲むか?」


「あ、ありがとうございます……」


 買ったばかりの紅茶を手渡すと、しずしずと白石は受け取った。

 俺達二人以外、完全に誰もいない閉鎖された空間で、ただ沈黙を貫く。


 ちびちびと渡した紅茶を飲む白石を眺め、火野君の言葉を思い出す。


 ニコニコしていて、接しやすいという火野君の記憶の中の彼女の姿と、今の姿、そして生徒会で見せていた姿、そのうちのどれが正しくて、どれが間違っているのか。

 いや、間違っているという表現の仕方は正しくないのだろう。


 どれも彼女であり、どれも正しい。

 だが、本来の姿が、彼女の素の表情はどれなのかが分からずにいた。


 しかし、目の前の座る彼女を見て一番に思うのは、生徒会室にいた時よりも自然体に見えるということくらいだ。


 何も問わず、ただ観察するように白石に視線を向けていると、気まずいのかキョロキョロと周りに視線を泳がしてから、白坂は小さな声量で話し始めた。


「せ、先輩は何も聞かないんですか……その、何と言いますか……」


「……聞いて欲しいなら聞くが、中には聞かれたくないこともあるだろ」


 余計な詮索は不要な争いの種になりかねない。

 ましてや、生徒会室での光景を見て、反論していただけに聞きづらいというのも本心だ。


 

 ただ、事情が事情だけに、見て見ぬふりをして踵を返して戻ることが出来ないのも事実。

 面倒な事には関わりたくないと言いながら、その渦中に自ら踏み込んでいるのだから笑えない。


 

 それにしても、雫や綺羅坂のように分かりやすい性格をしていればまだ会話の切り口も見出せるのだが、彼女の場合はそうはいかない。

 これまで応対したことの無いパターンの人であることは確かだが、それだけに面倒だ。


 だが、このまま無言のままの訳にもいかない。

 二人とも無言の室内とか、何の罰ゲームですかねこれは。


 適当に話を始めるべく視線を机の上に向けた。

 そこには、白石の両手に握られたメモ帳がある。


 教室の隅でうずくまっている際にも大事そうに握っていたメモ帳だ。



「それ……大事なのか?」


「え?あ、これですか?」


 特に変わった点もなく、ごく普通のメモ帳の何がそこまで大事なのかが気になり白坂に訊ねた。

 すると、白石は持っていたメモ帳を背に隠し見えないように移動させた。


「いや、これは特に大事って訳でも……あ、いや大事なのは合ってるんですが」


「……文字でページが埋まるくらい書き込んでいたみたいだけど」


「…………」


 そんなに冷たい視線を向けないでいただきたい。

 まるで、俺が覗き見をしたみたいではないか。


 むしろ、セキュリティーが甘いことを自覚出来て良かったまである。

 逆説的に俺に感謝はしても、非難することはできないのではないだろうか。


 と、お決まりの捻くれた解釈をしているが、それは虚しさだけが心の中に居座った。


 


 数分の沈黙の間、無言の圧力に屈することなく、ただ視線を受け流して返答を待っていると、白石は諦めたかのように一息大きな溜息を零した。


「……見られてしまったのであれば仕方ありません、これは―――」


「あ、いや別に書かれてる内容までは見えてないから」




 どこぞの悪役風に語りだそうとしていた白石の言葉を、最後まで聞き終える前に待ったをかける。

 何故だろう……言わなければならない気がした。 


 あくまで低姿勢で、それでいて事実だけを伝える。

 真剣な表情まで作っていた白石は、恥ずかしさで顔を赤らめ俯いてしまった。


「こここ、これは私が日頃持ち歩いている会話ノートです!」


「続けるのね……」


 周りの言葉に左右されないその姿勢……嫌いじゃない。

 赤面させたまま、会話ノートとやらを突き出す。


 突き出されたノートのページには、やはり文字が所狭しと書き記されていた。

 女子特有の丸い文字で、時折、顔文字やマークなどを散りばめられた可愛らしいメモ帳である。


 だが、一つ気になることがあるとすれば……



『夏休みに彼氏を作る方法!』


「おい、これページ間違えてないか?」


「え?……あぁ!?いや、これは違います!こっちでした!」


 慌てて数ページめくると、今度こそ正しい場所を開き白石は手渡してきた。

 文字は相変わらず丸いが、今度のページには騒がしいマークなどは書かれていない。


 いたって普通のメモ帳だ。

 それ以前に致命的なミスをしているので、この際マークや絵文字など気にもならない。

 それくらいのインパクトがあのページにはあった。


 受け取ったメモ帳のページを戻したい衝動を抑え、ページに目線を落とす。

 そこには、自己紹介や血液型などを聞かれた時の返答、休日の過ごし方、趣味や特技などを説明した文章が書き記されていた。


 まるで、あらかじめ質問への返答を用意しているかのようにも見える。

 テストの問題を解くかのように、つらつらと書き記されていたのだ。


「答案用紙みたいだな」


 正直な感想を言葉にする。

 自分の趣味や特技、それに休日の過ごし方なんてわざわざ書いておく必要なんてあるのだろうか。

 

 面接をするわけでもないだろうに。

 奇妙でありレアケースな女子生徒を見つけてしまったものだと自分に感心するくらいだ。


「はぁ……」


 文章を読むのに夢中になり、完全に空気と化してしまった白石は深いため息をつく。

 そして俺達二人しかいないからこそ聞き取れたくらい、微かな声量で心境を短く語った。


「終わった……私の高校生活」


「勝手に終わらすな……」


 人生の終点にたどり着いたかのように、縮こまる姿がそこにはあった。


 

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