第十二章 準備と違和感3


 綺羅坂とは、そのあと会話らしい会話をしていない。

 気を使ったわけでも、彼女が気を使っているわけでもない。


 ただ、お互いが話すことがなくなっただけだ。

 雫は買い物を終え、合流すると今度は俺の用事、ただの食料品の買い物だが付き合ってもらう。


「あ、こっちの方が安いですよ?」


「なんだと……」


 目の前に並ぶ牛肉を手に取りカゴの中に入れると、すかさず雫が商品を取り換える。

 確かにわずかだが金額が安い。


 代わりに俺が入れたパックを棚に戻していると、後ろで綺羅坂が物珍しそうに店内を見渡していた。


「……そんな珍しいものでもないだろ」


 どこでも売っている特売品の肉だ。

 俺と楓の二人だけならもう少し予算を上げても問題は無いが、我が家の財布は楓が握っている。

 毎月の出費から何から計算して、まるで主婦だ。


 兄よりもしっかりとした妹は近年では珍しくはない。

 むしろ、テンプレと化しているとも言える。


 しかし、家計簿を付ける妹は少なかろう。

 つまり、俺の妹はテンプレ妹ではないと証明された。


 なんて、下らない思考に頭が埋まるのは、それほど普段から接する人間が少ないからだろうか。



「いえ、こういう場所はあまり来ないのでね」


 綺羅坂は顎に手を当て、一つ一つ手に取る。


 ああ、そういえばお金持ちだものねこの子。

 庶民が日々通うスーパーなど、彼女には縁のない店なのだろう。


 むしろ、肉の塊で出てきて好きな部位を焼いていそうだ。


 興味深そうに商品を手に取っている綺羅坂を、無言で手招きをして鮮魚コーナーを見せる。

 すると、綺羅坂は途端に顔色を変えた。


「何かしら……生魚?なぜ白い箱に入っているのかしら?」


「庶民はこういうところで買っているんだよ」


 田舎のこの辺りでは普通だが、都会では少ないのだろうか。

 以前、商店街を訪れた時に、魚屋のおっちゃんと会っているが、商品は少し離れたところにあったので彼女がマジマジと見るのは初めてなのかもしれない。


 青色のビニールを一枚だけ手に取ると、横に掛けられた専用のトングで鯵(あじ)を二匹入れる。



 その光景を見て元々白い顔が、さらに血の気の引いた青白い顔をして、一歩だけ身を引く。

 それを見た雫が、これ見よがしに綺羅坂の背を押す。


「何を怖がっているんですか?ただの魚ですよ?」


「ちょっと、やめなさい……本気でやめてちょうだい」


 両足で踏ん張り、体を強張らせて綺羅坂はそれを拒む。

 珍しい光景だ。


 常に冷静沈着の綺羅坂が、感情を剥き出しにして焦っているなんて。

 一見、和気あいあいとした光景に見えるかもしれない。

 だが、近くで見ると分かるがそうじゃない。


 二人の表情はいたって真面目。

 片や本気で拒み、片や本気で背を押す。


 お互いの関係性が険悪だからこそ、相手の嫌がることに全力を尽くす。

 雫の真剣すぎる目が、逆に怖い。


 ……相変わらず君達は仲が悪いのね。


 既に聞き慣れてしまった店内BGMで二人の声は大して響いてはいないが、注目を集めているのに気が付いてほしい。



  

 楓から頼まれた商品を大方買い揃え、店外に出ると空は既に黒く染まっていた。

 星が曇りなく見えるから、明日は晴れだななんて思いながら三人を引き連れ商店街を進む。


 なんだか、RPGの主人公みたい。

 確実に今の俺は勇者ポジションだ。


 レベルは一番低く、戦力の無い主人公。

 よくあるチュートリアルで使われるだけで、その後すぐにガチャ産のキャラに主要ポジション取られるやつか……。



「神崎さん、良かったら荷物を持つよ」


「あ、いえ大丈夫ですよ」


 後ろで優斗のさりげなさの欠片もない優しさをひらりと雫が躱(かわ)す。

 あまりにも自然すぎて、思わず振り返りそうになった。


「ふふっ……」


 依然、二人とは一定の距離を取り続ける綺羅坂は、ニヤリと口元を歪ませて息を漏らす。

 彼女も雫の躱し方に笑いを堪えきれなかったらしい。


「そ、そうか」


「はい!」


 ちょっと、雫ちゃん?

 そこは元気よく返事はしてはいけないのでは?


 そのせいで、苦笑を隠せていない男子が隣にいるではないか。

 商店街を抜け、住宅街に入るとそこは少しばかりの街灯だけが照らす暗闇に変わる。


 自転車や自動車が数台すれ違う程度で、ほとんど音もない。

 商店街の喧騒とした音が、次第に遠ざかり俺たちの足音だけが耳に聞こえてくる。


 会話もなく、静かに足音だけが響く。

 何を話したらいいのか、それとも話さない方がいいのか。


 考えがまとまる前に自宅の前に着いてしまった。


 玄関を開けると、奥から走って近づいてくる音が聞こえる。

 

「おかえりなさい兄さん!あら、皆さんもご一緒ですか?」


 満面の笑みで出迎えた楓が首を傾げそう言った。

 

 ……天使かな?

 いや、女神かもしれない。



 完全に、一瞬だけ思考回路が火野君と化してしまったが、それほど威力のある笑みに返事が遅れる。

 事前に連絡も入れていないから、楓が驚いて当然だ。


「急にすみません、良ければ私たちもご一緒していいでしょうか?」


 買い物袋をぶら下げて、雫が楓に問うた。

 楓が断るはずがない。


 すんなりと、三人を迎え入れた楓はちょいちょいと俺の背を突いた。


「家に連れてくるなら連絡してくださいね?」


「ああ……悪かった」


 まるで、立場が逆で姉が弟に叱るように優しい声音で言われた。

 まさか、全員が付いてくるとは思っていなかった、なんて言い訳は妹には言えない。


 雫と綺羅坂と楓の三人が台所に立ち、優斗がその様子を椅子に腰かけ眺める。

 俺はその少し後ろのソファで、テレビを無心で鑑賞している。


 少し前にも、似たような光景があった。

 まだ、ここにいる五人の関係性が曖昧で、距離感を探っていた時期。


 今とは確実に違うと言えるのは、あの時の方が皆が自然体だったということだ。

 

 何かを隠して、相手を遠ざけ、近づこうとする。

 無干渉を望みながらも、それに関わりる続けている。


 各々、ある種の問題を抱えている。


 唯一、変わらない人物である楓が、今の現状を突き付ける言葉を発した。


「兄さん、皆さんは仲直り出来たんですか?」

 

 ほとんどの人が気が付くことはない僅かな違和感を、真良楓は見逃してはくれなかった。

 

 

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