第九章 変化5


「今日の授業はここまで、テストも近くなっているから自宅での復習を欠かさないように……今回は難しい問題が多いぞ」


 校内のスピーカーから、おなじみのチャイムが鳴り響くと、教科書を閉じた数学教師がそう告げた。


 彼は口元を愉快そうに歪ませる。

 教師とは、なぜこうも生徒が嫌がることを嬉々としてやりたがるのだろうか。



「…………」


 どうしたものか……

 数学は真剣に勉強しないと、赤点もありうる。

 



「だ、そうよ。これは次の中間テストが楽しみね」


 綺羅坂は、一人楽しそうに言った。

 生徒にとって、最悪の一言も彼女には効果はないらしい。


 余裕の笑み、勝者の余裕か。


 黒板の端に、ちょこんと書かれたテスト範囲をノートに大きめに書き写すと、教材を机の中にしまう。


 それを確認してか、教室前方に座っていた雫がサッと立ち上がる。

 スタスタと距離を詰めると、綺羅坂の机に手を置きジロリと睨みつけてくる。


 


「お二人で随分楽しそうに話していましたね」


「おいおい、俺には私を抜きで何楽しんでんだコラって聞こえたぞ……」


「言ってませんよ?」


 可愛らしく小首を傾げるなよ。

 ますます怖くなるだろうが。


 向けられた笑みが、不気味な雰囲気を醸し出し、より一層怖みを増して感じる。



「授業中に隣の人と話をすることの何が悪いのかしら?」


「授業中にそもそも話すことが悪いんだがな……」




 とは言ったものの、黙々と教師の話を聞いている生徒のほうが珍しい。

 今では机の下でスマホを操作している生徒も少なくない。



 俺も使うときあるし。

 楓がから連絡来たときとか……楓から連絡来たときとか。



 周りのクラスメイトが夢中になっているスマホアプリも俺はやっていないし、妹からの連絡をするくらいなものだ。

 

 他にも最新ニュースを見たり、不意に気になったことを調べたりはするが、ゲームはやらない。

別に最近のゲームはマルチ要素が高いからではない。

 決して一人で進めるのが難しく、毎回挫折しているわけでもない。

違うったら違う。



「いいですか?あなたが隣だから私も少しのことは許しますが、過剰な接し方はやめてください!」


「私の勝手よ、あなたにとやかく言われることではないわ」


「いいえ、この際だから言わせてもらいます!そもそもこの間も―――」


「なら、私も言わせてもらうけれど―――」


 段々と声のボリュームが高くなり、クラスメイトからの注目を集める。

 そのことに気が付いてない二人は、顔がぶつかりそうな程にお互いの顔を近づけると壮絶な舌戦を繰り広げる。


「…………」


 きっと、教室のほとんどの生徒が、何に対して二人が言い合いをしているのか理解していないだろう。

 授業中の私語から、話題はこの間の家に訪問した際に、互いに感じた不満へとシフトチェンジしているのだから。


 隣に座る際に距離が近いとか、自分の料理ばかり渡し過ぎだとか……

 終いには、母さんをお母様と呼んでいたことに、雫が「私もまだ呼んでいない」と訳の分からんことを言い出している。



「お前も大変だな、こんな二人に挟まれて」


「随分他人事に様に言うな、つい先日までお前もこの輪に加わってたんだがな」


 制服のポケットに手を入れて、背後に立つ優斗へそう返す。

 人の背後を取るのが好きなのかこいつは。



 他意はないが、事実を述べる。

 優斗も、少し前までは俺の前で二人に加わっていたのだがな。



 ほんの少しの間、距離を置いていただけで、随分と離れた気がする。

 


 心や気持ちなどを語るつもりはない。

 ただ、感覚的なものだ。


 久方ぶりに会った親戚と話すのに近い。

 

「俺も加わりたい気持ちはあるんだけどな」


「……」


 俺や雫に気を使っての発言だろう。

 いや、雫にか……


 ここで、「なら加わればいい」だなんて、無責任な発言はしない。

 こいつにも、雫にも悪い。


 自然に解決する問題ではないのは分かっている。

 何かきっかけが必要なのだろう……

 俺たちが以前のように、肩を並べ三人で歩くには。



 俺と雫の関係に変化があるのか、それとも優斗と雫の関係が変わるのか。


 けれど、まだ時間が必要だ。

 解決しなければいけない問題は、優斗との関係だけではない。


 同時に処理できるほど、自分が優秀でないのは自分が一番分かっている。

 だから、今は一つ一つ片づけていく。


 先立ってはテスト、次にお見合いだなんてふざけた話。

 そのあとになる。 


「湊、今度夜飯でも食べに行くか」


「……たまには悪くないな」


 それでも、中学からの付き合いだからだろう、こいつだけは俺にとって他の生徒と違うのだと嫌でも感じてしまうのだった。






「あなた達は良いわね……」


「何がです?」


 だからなのだろう。

 普段なら、聞いていない素振りをしていても聞き逃さないのに、隣で彼女がそう呟いていたのに、俺は気が付かなかった。


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