第二章 学力テスト5


「おはよう楓ちゃん、突然ごめんなさい」

 

「いえいえ!お久しぶりです」


 春休みに雫が俺の部屋を訪れた時は、楓は夕飯の買い物に出かけていた為、彼女と顔を合わせることがなかった。


 俺の知る限り最後に二人が会ったのは、年越しを一緒に迎えた時なので一月一日。

 かれこれ五ヵ月近く会っていなかったことになる。


 幼馴染でも、学年や通う学校が違うだけでいつの間にか疎遠になる……という人達も少なくないだろう。

 楓の場合、兄である俺が雫と同じ学年で同じ高校なのもあり、今でも仲良くすることができている。

 流石に会う頻度は、昔に比べて極端に減ってしまったが、それはしょうがないだろう。



 俺は部屋で声を潜め、久々の真良家訪問で話に花を咲かせている二人の様子を窺う。


「そういえば雫さんは今日はどんな用件でうちへ?」


 楓の質問に、雫はこう答えた。 


「月曜からのテストの為に、湊君と勉強でもしようかと思って」




 うん、これはまずいことになった……

 雫と綺羅坂、見るからに仲良くない二人が俺の部屋なんかで鉢合わせしたら、学校の以上に居心地の悪い部屋が完成してしまう。


 外の会話が聞こえているはずの綺羅坂は、気にする様子もなく、指で髪の毛をくるくると巻きながら、手元の問題集をスラスラ解いていた。


 ……お前勉強する必要ないだろう。



「雫さんもですか?」


 楓は雫を家の中へ招き入れ、リビングへ案内する為廊下を進む。

 楓を先頭に二人が俺の部屋の前を通過しようとしたその時、楓の一言で雫の足取りが極端に遅くなる。


「私も?……楓ちゃん、私“も”というのは、他に誰か来ているのですか?」


「あ、そうそう!聞いて下さいよ!兄さん私に何も言わずに女の人と部屋で勉強してるんですよ!」


 楓の言葉を聞き、雫の歩みは完全に停止、変わりに俺の心拍数を一気に上昇させた。

  


 コンコンッ

 

 小さく部屋の扉がノックされる。

 まるで判決を言い渡される罪人の気分。


 俺は返事をすることなく、彼女の一言目を待つ。


 

「湊君、ちょっとよろしいですか?」

 

「ちょっとよろしくないです」


「では、失礼します」


 よろしくないと言ったのにも関わらず、無情にも彼女の手によって部屋の扉は開けられてしまった。

 雫の目には、部屋の中ではテーブルを挟み、向かい合う俺と綺羅坂の姿が映る。

 

「おはようございます、神崎さん」


 こんな状況でも堂々としている綺羅坂は、何食わぬ顔で挨拶している。

 昨日はとても不機嫌そうに雫と話をしていたが、今日の綺羅坂はどこか余裕のある顔で彼女を迎えていた。



「……そうですか、やっぱりあなたですか」


 俺の予想とは裏腹に、今日は雫もいつもより落ち着いている様子に見えた。


 彼女は部屋の中に入ると俺の横に腰を下ろし、小さくため息をつく。

 そして、俺が飲もうとグラスに注いでおいた緑茶を一気に飲み干すと話を切り出した。


「あなたのことだから、こんな状況になるんじゃないかと思っていました」


 雫は、空になったグラスを置き、綺羅坂を見る目を細めながらそう告げる。


 俺は、今度こそ自分で飲むために、空になったグラスに再び緑茶を注ぎ、彼女が口をつけた所とは反対側で飲もうと手を伸ばすと……


「あら、私はあなたがこの家に来るだなんて思わなかった」


 今度は、向かいに座る綺羅坂の真っ白な手にグラスは奪い取られ、そのまま彼女が飲み干してしまった。


 彼女の前にも、これと同様の飲み物をちゃんと用意してあるのに、なぜそれを飲まない……

 


 仕方がないので、綺羅坂の前に置かれている、未だ口の付けていない緑茶を手に取ろうとするが……


「勉強は私が教えますので、綺羅坂さんはどうぞお帰り下さい」


 バンッとテーブルを強く叩く雫の手の下に、俺の左手も巻き込まれる形で彼女の右手の下敷きになる。

 左手を塞がれた俺は、反対側の空いている右手を前に出すが……


「神崎さんこそ帰ったら?私のほうが先に来たのだから」


 綺羅坂の手にバチンと弾かれ、掴む手を邪魔される。



「……飲み物取って来る」

 

 何度か同じように挑戦してみるものの飲み物を飲むことは叶わなかった。

 あれこれ言い合う二人を部屋に残し、俺は一度リビングに向かった。


「あれ?兄さんどうしたんですか?」


 リビングで俺を出迎えた楓は、干し終わった洗濯物を畳んでいた。

 俺は、後ろを通り過ぎる際に、畳み終わった洗濯物を一枚だけ広げるという、地味な嫌がらせをすることで、楓に八つ当たりをする。


 楓は「もうっ!」とかわいらしく頬を膨らませていたが、すぐに笑みを零し俺の広げた洗濯物を再び畳み直していた。


「……飲み物を取りに来たんだよ、俺のは二人に飲まれたからな」


「ちょっと待っててください、今コーヒー淹れますから」


 洗濯物を畳み終わった楓がお湯を沸かすためにキッチンに向かう。

 部屋に残してきた二人の話し合いも、しばらく時間が掛かるだろう。


 コーヒーが淹れ終わるまでの間、テレビの前で椅子に座り、放送されていた子供向けのアニメを無心で眺める。


「出来たよー」


「んー」


 楓が持ってきた俺専用のマグカップを受け取ると、淹れたてのコーヒーをチビチビと飲む。

 楓は昔からコーヒーが好きで、おそらくこれもこだわりを持って淹れているのだろうが、悪いが俺にはさっぱりわからん。


 俺の味覚がまだ子供なのか、それとも楓の味覚が大人なのかどちらか分からないが、ブラックコーヒーに苦みしか感じない。

 

 砂糖とミルクを入れたい気持ちを抑え、この後について一人考える。


「あ、そうだ、あいつを呼ぶか……」


 俺はスマホのアドレス帳から『スマイル製造機』という人物をタップすると、登録された番号に電話する。


「俺だけど―――」






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