第1話 1月
明けましておめでとうございます。早速初詣に行って参りました。写真は日光に反射して見えないですが、おみくじは半吉でした。騒々しい場所を抜けて神社で束の間のやすらぎを得ることができました。この後透析です。では。
・窪川稲子「季節の随筆」萬里閣
去年読んできた木山捷平の随筆が動とするならば、この随筆は静。自然の描写が特に綺麗で読んでてうっとりした。窪川さんは後書きで拙い若い頃の感想文と紹介しているが、既に立派な随筆だと思う。かと言って重くなく、さらりとした文章だ。いい本見つけました。
早朝の真暗な公園の電灯の下で本を読んだ。その公園は14.2haの広い公園。朝は行き交う見ず知らずの方とも「おはようございます」「おはようございます」と声を掛け合う。今日は何年も公園に来ているという年配の方と少し会話した。家でじっと読むだけでなく公園でたまに歩いたりして本を読んでみよう。
今日辺りからだろうか図書館が入ってるビルが開いてた。去年末29日から全館閉館だったはず。その2階には2,3台の机がある。朝10時に行ったのに早くも学生が熱心に勉強してたり、新聞を読んでる年配の人もいた。何げない場所だけど図書館が開くまで本が落ち着いて読める唯一の場所なのだ。嬉しい。
やっと図書館が開いた。堰を切ったように流れ込む借りた本を持ってきた人々。多くの本好きが一堂に会する朝の図書館の光景を見ているとなぜだか僕は幸せになる。僕は戸川秋骨の「食後の散歩」を読み始める。
精神科デイケアへ駅前をブラブラと。行きつけの喫茶店によることにする。いつもカフェラテを注文している。例の戸川秋骨を読みゆったりと心身をリセット。帰りには図書館に予約していた曽宮一念「日曜随筆家」永井宏「マーキュリーシティ」を取りに行き、少し読んで今日は帰宅。
辛かった透析の晩はNHK第一「ラジオ深夜便」を聞きながら眠剤飲んで就寝。朝起きてまず温かい紅茶を一杯。見逃したツイートを見ながら徐々に目を覚ましていく。早朝2度。ダウンを着て公園へ向かう。「おはようございます」「おはようございます」帰り際ワンダフルワンダ ラテを飲んで一息。
朝コンクリの路地を駅前へと行く。喫茶店で一息。今日はアッサムティーを注文。読みかけの本を家に忘れたので、精神科デイケアのスタッフとの交換日記を開いて書き足す。図書館に行くと偶然にも夏葉社「冬の本」を見つけ救われた。ツイートで知った石田千の文章にも触れる。「家へ」「並木印象」など。
起床して紅茶を飲み、眠気の中ツイッターをチェック。ツイッターを見終わったけど、ウォーキングに行くのにはまだ早い。さあ何しようか。家のミニミニ古本屋(僕の書棚に並ぶ古本)を眺めていると2冊手に取りたくなる。「随筆 東京」に「一婦人作家の随想」をそれぞれ少し読む。心が和む朝のひと時。
朝は僕の魂を解放してくれる。凍てつく通りを歩いているとラジオからピエール・ポルト「Morning Dream」が。展望台のある高い丘に登り、街の灯を一望しながら両手を大きく伸ばす。家に着いてガーナチョコをひとかじり。いつもの温かい紅茶を一杯。そして一息ついて今。炬燵に温まる。
2019年8月11日
the world is a comedy to those think, a tragedy to those who feel…考える人には此世は喜劇であり、感ずる人には此世は悲劇である……嘉村磯多「來迎の姿」より
嘉村磯多の私小説の面白さは最後まで分からなかったが、去年少しずつ読み進めるうちに沁みる言葉が2つあり、うち一つを朝思い出した。昨夜は透析で帰ってからも苦しんで他にも嫌なことが色々あった。体力のもたない僕にとって夜は悪夢でしかなく、朝は前述の通り魂から解放される。ただいま。
今日の精神科デイケアでは色々と話を聞いてもらった。その帰り、NHK第一「文芸選評」の短歌を聞きながら帰宅。徒歩は疲れるけど家に近づくにつれ心は和んでいく。そしておにぎりを頬張りながら「昼のいこい」を。穏やかな土曜の正午でした。
朝、図書館が開くまで喫茶店で過ごす。カフェラテを飲みながら「漱石全集を買った日」を読み返す。この手の本は今読んでもどんどん読める。10時過ぎ図書館へ。
前から気になっていた「青春俳句をよむ」を電車で読む用に借りる。ツイッターの俳人方に影響されたのだ。入門書として読むつもり。冬の枯れ木さんに勧められ古本屋へ行くことに。最寄りの天牛書店 江坂店へ。店内で淡いチョコレートのようなあの古本の香りがする。文学棚を見て100均の棚を見ても強烈に買いたいと思うものがなかった。結果少し気になった西條八十「一握の玻璃」という詩集を買う。趣のある装幀は兒嶋喜久雄。店を出て早速本の包みを剥がし、夢中になって目次を眺める。雄鶏社発行。たばこ、小夜曲、詩感、詩作などなど……。初めて買う古本屋での詩集だ。最近、詩、俳句、短歌に興味が出てきたが、もっぱら鑑賞する方だ。十分ゆったりした気分に浸れそうなのでこれから読んでみることにする。
今日のNHK「ラジオ深夜便」はハンセン病の患者さんの娘さんに当たる方のインタビューだった。厳しい差別と隔離の現実を聞きながらウォーキングへ。その途中、珍しく若者の話し声が。「おはようございます」「おはようございます」心が入れ替わった瞬間。音楽などいい気持で聴きながら公園を後にした。
ざあざあぶりの雨。早くに家を追い出されたが金がないので喫茶店にも行けない。ラジオを聴きながら文化センターの前でじっと待つ。8:30に自動扉が開くのだ。おいしい珈琲や心地よい音楽はないけど、椅子が意外と心地良い。皆そこで思い思いに時を過ごしている。僕は本を少し読みこの原稿を書いた。
寝不足のまま朝ウォーキングに。ゆっくり歩きながら徐々に身体をリフレッシュする。帰って永井宏「サンライト」を50ページほど読む。チェスをさす場所、自分の午後の居場所を探していた永井さん。駒沢公園のパルケというカフェに落ち着いたと言う。図書館が閉館している間、右往左往する自分に重ね共感。
図書館が開くまでの間、行きつけの喫茶店で永井宏「サンライト」を読む。図書館が開き、島田潤一郎「古くて新しい仕事」を予約していたのが届いたので借りに行った。もう一軒喫茶店をはしごして少し読みだす。美味しい珈琲を味わったらささっと切り上げて帰宅。家でゆっくり読むことにする。
・島田潤一郎「古くて新しい仕事」新潮社
「みんなが言ってる」でなく「こう言ってる人もいるよ」という文を読んで思った。僕は常々そう思って暮しを模索してきた。今は病気がひどくて働けないけど、僕の生活は同調圧力に抵抗して嫌がらせが今も続いている。僕は何も間違ったことはしてない。この本を読んで庄野潤三の著作が読みたくなった。庄野潤三は日々の生活を淡々と書いていたそうだが、嫌なことは一切書かなかったという。僕もそうありたい。
・復本一郎「青春俳句をよむ」岩波ジュニア新書 2003年
著者から俳句の基礎的なことを学んだ。まず季語、これは知ってます。それから俳句は切れをまず見ること。これで俳句の鑑賞の仕方が変わりました。あと俳句は季節の挨拶であるということ。日常から切り取った風景から溢れる滋味や情緒が好きだ。
今朝またしても寝不足。外は突風が吹いてるようだ。昨日の透析がひどくて時々目眩。木々が騒ぐ中ウォーキングである。ラジオ深夜便の力士さんの話を聞きながらこの一か月を振り返る。朝の日課がきもちいいこと。精神科デイケアのスタッフに助けてもらったこと。俳句、詩、版画と世界が広がったことなど。
万全の体調の中いつものウォーキング。小雨が降っているが気にならない程度だ。今日のラジオ深夜便、興味深い苔の話を聞き入りながら無心にてくてく。蟲文庫の田中さんも苔が好きなんだっけ。今日も爽快な汗をかいた。朝一番の発汗は気持ちいい。さて一息ついたら「サンライト」の続きを読むか。
・西條八十詩集「一握の玻璃」雄鶏社 昭和22年
「昔ながらの古い七五調の革囊に新しい酒を盛らうとした」と巻末の「おぼえがき」にあるように、読んでみると古い時代の詩だと分かる。俳句同様、僕は詩に関しても初心者だ。現代詩よりもこういった昔の詩の方が読んでいて落ち着く。
今朝午前3時、ペットボトル一杯分の紅茶を作っていた。どうせ飲むならウォーキングしながらがいい。急に立つとまだ立ち眩みが。ゆっくり歩きながら体調を整える。ラジオ深夜便、オランダ語翻訳者の話に聞き入る。朝一番に聴いた音楽はニニ・ロッソの「夜明けのトランペット」。歩道橋を渡って家路に。
精神科デイケアにて透析の話をした。全然自己管理ができてない自分に落ち込んだ。文化センターで「日曜随筆家」を読む。いよいよクライマックスだ。帰りのラジオは国会中継かなあ。文芸時評が聴きたいのに。道端に花は咲いてるのかなあ。自然に溶け込む一日を作りたい。
・曽宮一念「日曜随筆家」昭和37年 創文社
前半は山、火山など画家として描く風景について語る。中盤は昔の思い出、食べ物のこと。巻末の夜中に見る夢や幻?について書いた随筆が面白い。夢と現を行き交うかのような文章。「日曜画家時代がなつかしく且つその頃の気持を忘れたくない」
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