昔書いた散文詩のようなもの

@kumomajin

虹を啜るのに丁度よい頃合いになった(2013)

 使い古した打製石器のような八重歯は脣の内懐にぶら下がり、その鈍重な鉾先、脂色の突端を肉の蕾から垣間見る度、狂い咲く想念に身を噛み砕かれる。衣笠色の危うい満腔、仰臥する奇態なオブジェの傍に据え置かれる「顔」という名の大盃、魁偉で歪んでいるくせ稚児の饅頭肌で施釉された白磁の大得物。私はそこに一輪の切花を生ける。先に挿した眼球や鼻翼や耳朶の花、あるいは夥しい量の毛髪とは違い、この徒花は血走った糜爛の果実をまざまざ露出しない。花咲けば蕾消え、蕾は花に否定されるが、折しも脣は永遠の蕾である。肥大化した花の芽は婉曲した血の色に染まり、ただ爛漫の兆しが熱っぽく照り映える。そして夢見るような口腔はまた、肉の一味として御多分に洩れることはない。分厚く艶やかな畜肉の綴じ蓋、膨脹した二本の蛭が這い纏わるような蕾の膣内(なか)には、暗澹と貪婪の世界がしっかりと根ざしている。風せせる洞穴の今際には無様な石器がたわわに実り、件の八重歯、すなわち尖頭器だけでなく、石斧、石錐、石匙、石皿がそれぞれ唾の臭気に絆され実を結んでいる。薔薇色の歯茎の下、屹立する具象に光は届かず、観測されえぬ歯牙は石塊にも内果皮にも譬えられる。私はひとまず「顔」の淵源に潜み角礫を彫琢する蛮族の肢体を思い描き、また剽悍過ぎたる彼らの男根が如く腫れ上がる舌部が口内に凭れ掛かる違和を認識する。燃えるように赤い逸物は豪奢に聳え立たんとするが、過剰なる歯肉の梱包に阻まれて委縮する。しかし初めこそ屈従めいた嫋嫋の蛸踊りを見せていた陰部も、やがては肉の天壌を為す上脣、空を蔽う堅牢な石の穹窿、半端な柔和を以て寄り添う硬口蓋などの差障りが屈窮に感じられ、未精通の、しかし逞大な棍棒を股に引っ提げた洞人の稚児がその繊柔な上皮を捲り勃起する要領で一躍に外界へ突出する。過保護な体内から露呈した裸の塔は野太くそして煮え滾り、しかし濡れ濡った敏感な味蕾は陋劣な寒さに打ち震える。芋貝の伸ばす隠微な触手にも似た赤い舌は弧を描くように宙を切り裂いては狷介な外の空気に毒を穿ち、娟容だった頃の面影残る乾いた風を嘗めずり鼈甲色の涎を流す。やたらと肌に馴染む、粘着質の愛液は逡巡しながらも滔々と流れ、蕾の脣から溢出した後、剃り残しの和毛がディアスポラに育つ頬辺、掻き潰して痕になった幾つかの靤、鼻水を塗り固めたような半透明の瘡蓋など、穏やかな午後の野面を白黒写真で切り取ったような幼い肌質とはおよそ結びつかない惨景を上書いて滴る。愛液はたちまちに、あるいは認識できぬほど長い時間をかけて干上がり、遍路に白粉を塗すと共に痛痒と居心地悪い感覚もまた波及する。対して脣の奥底は一向に湿潤めいており、舌の根から絶え間なく呼び覚まされる唾液が膠着する歯垢を濯ぎ、水気を吸い取られ悶える赤い高楼がいやいやと首を振る最中に脣の接触面に愛撫され風船を摩擦するような音を聞いてなおのた打ち回る。がひりひりと痛むのを堪えながら、は歯の袖柵を懸命に擦り、接触は赤茶けた歯周ポケットにまで及ぶ。そうして剥ぎ取られた黄ばんだ歯糞、苔生した食物の化石を舌頭の上で転がしては、粘着質でありながらもざらついた、排泄物のような酸っぱい臭いに酩酊してしまう、嚥下する度に得も言えぬ胸焼けのする満腹の残滓をくちゃくちゃと吟味する。口臭の元凶でもあるペースト状の非常食は大凡が苦く、しかし稀に味のよく染込んだ美食の歯糞と逢着することがあり、そんなとき、たとえば昨夜平らげたスパゲティのミートソース味の大粒を捥ぎ取ったときなどは、直ちに過ぎ去った時間が巻き戻され食事風景の有体が喚起されるのだった。

 深みのあるガスが鼻を通り抜けると、不意に「顔」の縮尺が変更され、顔面が器であること、器に充たされた体液が花托を底にまで引き摺り込んでいる様態を認識する。顔に咲く花々はみな蓮のように水面から顔だけを出している。

 しかし八重歯は私の眼に零ってきた。そのとき器は割られ、かりそめの秩序は容易く崩れ去る。小ぎれいに揃えられていたは顔面の部位は体液の底に沈み、歯もまた省略される。色相も一本化され、眼と口と輪郭だけが残される。



 虹を啜るのに丁度よい頃合になった。飛礫のように降り注ぐ。意識はおもむろに打ち震え、やがて変調する。


 

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