#03 The clan of E*****

 店長が100円コーナーにあったフィルムを1つ取って箱を開く。

 彼女が店長にカメラを差し出すと、頷いてそれを受け取り、左手側の裏蓋の端のレバーを下げた。

 ぱかん、と硬い音を立てて裏蓋が開いた。あ、取り外し式じゃないのか。


「お、良かった良かった! こいつは運が良い」

「運が良い…って、何が?」

 怪訝な顔で彼女が訊ねる。

「右手側に軸があるだろう?」

「あるわ」

「でもそれ、普通あるんじゃ?」

「……ところがどっこい」

 ニヤリ、と嗤って店長はその軸を引き抜いてしまう。

「え!?」

「てな具合にね、こいつは外れちゃうんだなぁ」

「取り外し式なんだ……」

「そ。で、古い機体だと高確率でこれが無くなっている」

「あー……運が良い、って……」

「そう。またこの部品がそうそう見つからないんだなこれが」

「確かに……」

「最悪、フィルムをバラした時のスプール軸を加工すれば使えなくもないみたいだけどね」

「それめっちゃ難易度高そうなんだけど……」

「まぁね。だから純正部品があるならそれに超したことはない」

 だから、と彼女に向き直った店長は言い含めるように

「もし現像に出す場合、ウチは良いとして、余所の店では『この軸は要返却』と念押しした方がいいね」

 はぁ、と彼女はイマイチ解っていないような顔で頷いている。


 左手側にフィルムを装填、フィルム先端のベロをさっきのスプール軸に咬ませてそれを右手側に装着。

 ……スプールへの巻き方向がフィルム側と逆巻きになるのか。ややこしいな。

 ぱこん、と裏蓋を閉じると、左手側のノブを軽く巻き、次いで右手側のノブを数回巻いた。

「これでフィルムの撓みと巻き付けは問題なし、と」

 はい、とカメラを彼女に渡す。

「後は、さっきの要領で上から覗きながらレンズの細かいギザギザの…そう、そこを親指と人差し指で回してピントを合わせて――」

 彼女は上からカメラを覗き込んで、相変わらずフラフラしながらレンズに添えた右手を小刻みに動かす。

「あとはシャッターを押せば――っとと、そこじゃ無いよ、左手、左手!」

「「左手!?」」俺と彼女は同時に叫んでいた。だって――


「だって店長、その如何にもなボタン、シャッターのじゃないの?」

「あー、そう見えるよねー。残念ながらそれ、リリースボタン」

「リリース…って、巻き上げ前の、あれ?」

「そうそう。シャッターはね、左手側の前の方、レンズの上の奴」

「――これ?」

 彼女が左手の人差し指でレンズの根元上部から生えている突起をくりくりしている。

 あれは判んねーよー!! レンズのリリースボタンかと思ってたわ……。


「そう。最初は違和感あるかも知れないけど、慣れると案外使いやすいよ。昔のペトリやトプコンもそんなのあったしね」

「ぺとり? とぷ…こん?」

「昔のカメラのメーカー。俺も現物見たこと無いや」

 ふーん、と首を傾げて、彼女は唐突にそのシャッターボタンを押した。

 ジャキ!と鈍い音を立ててシャッターが切れる。

「うぉ! 急に押すなよ!」

「うん、いい顔」

 それまで無表情気味だったはしばみ色の瞳が弧を描き、悪戯っ子のようにと笑う。

「俺らなんか撮っても面白くも無いだろ」

「んーん? そうでもないよ?」


 あ、そうそう、と苦笑しつつこちらを見ていた店長が付け足した。

「左手側のノブの隣の小さいレバー、それシャッター速度の調整なんだけど、昼間なら一番上の"150"で大体問題無いから」

「あー、これシャッター……って、最速1/150って……今時コンパクトカメラでもそうそう無いんじゃ……」

「そこはそれ、30年前のカメラだからね。速度が足りない分は現代の高感度フィルムで補えばいいんだよ。レンズもそこそこ明るいし」

「そっか……」

 あ、そう言えば、とレンズを見てみると何やら前に文字が入っている。

 50mm/F2.8……ってまぁ、普通? でも俺のSPに付けてるTakumarは同じ50mmでもF2だから、ちょっと暗い? まぁ大昔のだしなぁ。

 しかし次の文字……Carl Zeiss Jena? Tessar? ……え、えーっ!?

「て、店長……このレンズって……」


「お、やっと気付いたか」

 してやったり、とちょっと意地の悪い笑みを浮かべる。

「お察しの通り。ツァイスのテッサーだね。ま、東側のだから戦前型よりは多少品質は落ちるみたいだけど」

「つぁいす? てっさー?」

「このレンズの名前。有名な奴だけど、俺も初めて見た……」

「レンズに名前なんてあったんだ。なんか可愛いね。縞々だし」

「いや、可愛いとかじゃなくて、こいつ結構な高級品――」

「まぁレンズはね。本体は所謂普及品、コンセプト的には今のコンパクトカメラにかなり近いかな」


「あ、そいうやこのカメラ、何なのさ。こんな良いレンズなのにシャッターは1/150とかなんかチグハグだし」

「本流の高級な一眼レフとシステム構成を共通化して、本体コストを抑えた普及品、ってところかな」

「あ、それでレンズとかファインダーがやたらと凝ってるんだ」

「そう。このファインダーも共通仕様で、ここをほら、こうすれば――」

 店長はそう言いつつ、軍艦部正面中央の銘板の下にある突起を下げた。

 こくん、と音がして折りたたみ式のファインダーが持ち上がる。

「――てな感じで取り外せるんだな。アイレベルタイプのもあった筈だから、そっちに換装すればそれこそ普通の一眼レフと同じ感覚で使える」

「ふぁ、ファインダー交換式って……高級機と同じ……ホントにチグハグ……」


「ところで店長さん、このカメラには名前、無いの?」

 彼女がもっともな疑問を口にする。

「……あれ!? てっきり判ってる物とばかり」

「「?」」俺と彼女は顔を見合わせる。

「あはは、こんだけ目立つ所だと逆に気付かないか。ほら、さっき僕が押した所に――」

 その言葉に軍艦部中央正面の銘板を――銘板!? あ、これが名前か!!

 そこには扇型に象られた金属板に流麗な筆記体で堂々と刻まれていた。

『εχa』――その名は、エクサ。


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『εχa』は本来はアルファベットの筆記体ですが、雰囲気重視で形の近いギリシア文字で代用しています。

カメラに詳しい方ならここでどの世代かお察しかと。

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