第16話 表出する悪意(1)




 この頃たまたま手に取って読んでみたSF小説は、どうやらフェミニストSFと呼ばれるもののようで、終わりに掲載されていた解説にその言葉が登場して初めて知ったジャンルでした。調べたところによると、科学によって激変した世界においての女性の在り方を問うたジャンルらしく、その作品も人工授精技術と人工子宮技術が発達し老若男女妊娠できる社会においての家族や恋人といったものを、女性主人公の視点で描かれていました。突飛な内容ではありましたが、しかしSFとして面白い見解を提示していたのでとても興味深かったです。ただこの小説はかなりセクシャルな内容でもあったので、未成年であるまつりにはとてもじゃないが貸せないな、と感じました。



 いつの間にか私の読書は、まつりに貸し出せるかどうか、という要素も意識するようになっていました。読破した作品を選り分けて、無垢なまつりが変に拗らせないよう検閲でもしているかのよう。そう意識が変化してしまうほどに、私の中でまつりの存在は大きくなっていました。



 私の視点から言えば、まつりはとても真面目で律儀で賢い子で、こういった子供のことをいい子と呼ぶのだろうと思います。本人は自分のことを悪い子としていますが、彼女以上にいい子がどういった子供なのか想像するのが難しいくらいです。


 しかしそんないい子のまつりが、真の意味で悪い子と化す出来事がありました。普段は表面に出てこない、SF小説によって拗らせてしまった中二病としての一面が、はっきりとしたかたちで現れたのです。



 それは、まつりの制服がブレザースタイルの冬服に変わったものの、残暑が落ち着く気配が全く感じられない十月のことでした。


「ねえ師匠。これ見て。昨日学校でね、すごいの撮れたよ」


 制服は暑いとして、一旦家に帰って涼しい恰好に着替えてから例のシャッター前に待ち伏せていたまつりは、私が現れるやいなや開口一番にスマートフォンの画面を見せてきました。どうやら画像を表示させているようで、私は彼女の身長に合わせ屈むようにしながら覗き込みます。


「これは……また凄いね」


 表示されていたのは、教室の机を映した写真でした。しかしその机は、太い油性ペンで黒く塗りつぶされ、所々の空白部分に「ビッチ」や「援交」などといった好ましくない言葉が大きく落書きされている。された本人には可哀想ですが、いかにもテンプレートないじめでありました。


「これ、わたしの机なんだ」


 一瞬、まつりがなんて言ったのか理解が遅れました。なにせまつり本人は、なんてことないかのように、朗らかに打ち明けたものですから。私は言葉の真意を確かめるために彼女の表情を窺ったところ、まつりは嬉しそうに微笑みつつも目だけは全く笑っていなかったものですから、彼女の言う通り、この酷く落書きされた机はまつりのものであることは間違いなさそうでした。


「……大丈夫?」と、さすがに心配になった私はそう尋ねましたが、まつりは「むしろあからさま過ぎて清々するくらい」と実に他人事であるかのように楽しそうでした。


「いじめられているのか?」と聞くと、まつりは笑ったまま頷きました。


「そりゃそうだよ。だってわたし異端だもん」


 と話すまつりは、そのまま事の経緯を語ってくれました。



 まつりが復学したのは六月も半ばを過ぎた頃。新学期でクラス替えが行われてから既に二ヶ月以上経過した時期でした。その時期にもなれば教室内での人間関係も落ち着いてきており、クラスでの仲良しグループやひいてはスクールカーストが形成し終えていました。スクールカーストというと大袈裟のように思えますが、要は派手で目立つ子だったり地味で大人しい子だったりといった生徒の性格がわかるようになった時期で、学生は往々にして派手で目立つ所謂イケてる子がクラスの中心人物となるのです。そうした教室内での力関係が確定した時期にきてのイレギュラーの登場です。


 復学から一ヵ月間はとくに何事もなかったようです。まつりは誰とも仲良くすることなく一人で学校生活を過ごしていました。しかしそれは、まつり以外のクラスメイトにとっては心休まるものではありません。なにせ一年生のときに金髪ギャルの格好で登校していた悪名高いまつりが、誰かと仲良くなりどこかのグループに所属した途端、それまでの教室内の人間関係が一変してしまうからです。よりわかりやすくいえば、グループの力関係が変わりスクールカーストが良くも悪くも変動してしまうのです。そしてその変化に一番敏感となったのが、教室内でのリーダー格が所属するカースト上位のグループでした。立場が上位であるグループほど今の地位から転落してしまいますし、逆に不覚にも下位となってしまった者からすれば一発逆転が可能になったわけです。


 まつり自身誰かと積極的に仲よくしようとしなかったこともありますが、しかし彼女の孤立は結果的にそうならざるを得なかったところが大きかったのです。いわば最初の一ヵ月の間クラスメイトたちは、不良で登校拒否をしていたが改心して復学したというまつりの様子を見つつ、それぞれのグループが牽制し合っていた状態だったのです。教室内でイレギュラーをどう扱うべきか探り合っていたのです。そうしてまつりが復学したことによってまつり以外の生徒が不穏な空気となり、そのまま夏休みとなってしまったのでした。


 そして夏休み明けの九月、事態は動き出しました。リーダー格の女子グループがまつりに接触してきたのです。それは他のグループに先取りされ一発逆転を許すより、自分たちのグループに引き入れて確保することで地位を盤石にしようとした結果でした。ただリーダー格女子グループの最大の誤算は、まつりとのファーストコンタクトに失敗してしまったことだったのです。


 なにせ接触してきた上位グループにとって、まつりは未知の存在だったからです。そしてまつりのことを全く知らないからこそ、話すきっかけとして万人受けする最近流行りの話題を持ち出したのでした。それは今時の女の子であれば誰もが興味を持つような話題です。ですがまつりにとって流行の話題こそが禁句だったのです。それは小学校高学年の頃、流行りの話題に共感することができなくて、母親に指定され強制された友人と馴染めなかったという苦い思い出が端を発しています。


 流行っているから享受するのではなく、優れたものだから享受する。そうした性格のまつりにとって、流行っているからという理由だけで無理やり話を合わせるということは、彼女に言わせれば、わたしがわたしでなくなるのと同義なのです。強く求めた自己と自由からかけ離れたものでしかないのです。



「ただの人間には興味がないの」



 それが、まつりが言い放った言葉でした。休み時間に自分の席で自身のバイブルである、例の白い表紙のSF小説を読んでいるときに、彼女を引き入れようとしてグループの中心人物が話しかけ、取り巻きたちが話を盛り上げようとして席を取り囲んだその状況で、まつりは真正面から拒絶したのです。ちなみにまつりが言い放った言葉は、まつりのバイブルの作中にて、孤立する少女が善意で近寄ってきたクラスメイトを拒絶したときの言葉でもあります。


 リーダー格の女子グループは、それ以上コンタクトすることができませんでした。そしてなまじ拒否してしまったことにより、上位グループの子達は顔に泥を塗られたと認識して、まつりのことを敵対視するようになったのです。奇しくもまつりは一人で、上位グループにはクラスに睨みを利かせられるほどに影響力のある生徒が複数人いたものですから、勢力としては上位グループに分がありました。


 正義とは、残念ながら多数決です。まつりが気に入っているシンガーソングライターの楽曲でも歌われている通り、物事の本質としての善悪など関係なく、支持を得た方が絶対の正義であり、マイノリティは常に悪者として扱われてしまう。それが人の社会でもあります。そういった多数派を揶揄することを、彼女の好きなアーティストは歌っています。そしてそれはまつりの現実でも同じで、彼女の自身の気持ちなど関係なく、複数人の女子生徒が不快に感じたので、彼女は悪者として標的となった。それだけの話でした。


 その出来事から、教室内ではまつりを取り込もうと牽制し合うのではなく、まつりを徹底して痛めつけようという空気が支配したのです。まつりに関わると上位女子グループが黙っていない、と言外に警告している状況でした。


 次の日から嫌がらせは発生しました。最初は些細なもので、故意にぶつかられたり、配布物が配られなかったりする程度だったそうです。まつり自身もその程度で動じるようなメンタルはしていません。髪を金髪にしてギャルとして登校したり、見知らぬ人が行き交う路上でライブをしたりするほどの度胸がある彼女にとって、思うところはあってもその程度のことは痛くも痒くもないのです。そしてまつりが全く動じないからこそ、不満が解消されないいじめっ子としては、嫌がらせをエスカレートしていくしかありませんでした。


 そうして夏休みが終わって一ヵ月が経過したこの時期、嫌がらせは彼女の机に落書きをされるまでエスカレートしたのでした。教室にて絶大な影響力のある上位女子グループの反感を買ったことにより、まつりはいじめてもいい存在だと、クラス全体がそういう雰囲気となった結果でした。



「なんて言うか、君は友達を作る才能が絶望的にないな」


 私は思ったことをそのまま口にしていました。彼女はあらゆる分野に通用しそうな才能を秘めていますが、一方で人間関係については最早天性の素質といっていいほどに不器用でした。このことに、まつりは一瞬ムッとした表情をしたものの、「確かにそうかも」とどこか納得した様子でした。




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