第3話 帰り道の遭遇(1)




 帰宅してから、仕事用のSNSに通知が来ました。アカウントがフォローされたのです。相手のアカウントを確認してみると、文字の装飾に囲まれた「まつり」というアカウント名で、フォロワー数がギリギリ二桁、書き込んでいる内容から女児だと思われました。書いてあることもアイコンも、何もかもが可愛く女の子らしかったです。


 しかしなぜ女の子がこんなギターのことしか発信しないアカウントをフォローするのだろうかと疑問に思ったところで、ふと先程出会った例の少女を思い出しました。そういえば渡した名刺にはSNSのユーザー名とQRコードが記載していました。もしかしたら名刺を見てフォローしてくれたのかもしれません。というかそれ以外に思い当たる節がないです。とりあえずお返しとして「まつり」なるアカウントをフォローし返しました。三十代の女が女児のアカウントをフォローするのはなんだか奇妙な感覚がしましたが、ただ向こうからフォローしたのだから、少なくとも不審者とは思われなかったということでしょう。好意的に捉えることにしました。


 そうして翌日。いつも通り柏の自宅から一駅先の個人工房に通って仕事をこなす。春の楽器業界は実に忙しいです。


 春先は、引っ越しシーズンの影響からか不要になった楽器が多く買い取られ中古市場に流れてきます。当然買い取った楽器はそのまま店頭に並べることはできないので、調整修理の需要が高まる。店舗で対応できればいいのですが、こういう繁忙期では店舗の処理能力を大幅に超えてしまい、結局外注頼みとなってしまう。


 四月は新入学とかなんとかで軽音部に入部した学生が楽器を求めるし、初任給をもらった新社会人が奮発して楽器を買っていき、それが過ぎれば時期的にゴールデンウィーク商戦の到来です。そしてゴールデンウィークで散財した人が金を作るために楽器を売りに来て再び中古市場が潤う。



 春の楽器業界は、人と物と金の流れが激しい。



 そして個人で働いている私もその余波を受けていました。やれ買取品の調整だ、やれ保証修理の依頼だ、やれ店頭で受け付けた客注品だ、など。得意先の楽器店からの依頼をこなす毎日。この頃は楽器店案件しかやっていないような気がします。


 そういった事情により、この時期は仕事内容が濃く毎日くたくたに疲れていました。それでも夜遅くまで残業はしません。というかできません。楽器修理は騒音がつきものなので、日が沈んだあとはさすがに近所迷惑となってしまいます。故に限られた時間を切り詰め効率的に処理しなければならず、普段以上に疲労がたまってしまいます。


 そのため夕方疲れ切った身体で柏駅を出て自宅へ向かっている最中に、下手くそな歌声が聞こえてくると盛大な溜め息をせずにはいられませんでした。


 昨日の金髪少女はその日も閉店した百貨店のシャッター前で歌っている。そう、私の帰路の途中で。


 自分勝手なお節介によりギターの音色はまともにはなったものの、歌唱力は一朝一夕でどうにかなるものではないし、同じく短期間でまともな作詞作曲ができるとは思えない。昨日に引き続き酷いパフォーマンスでした。


 そして最悪なタイミングだったようで、私が通り過ぎようとして近づいたまさにそのときに一曲歌い終え、演奏を終えて周りを一瞥した彼女は私の存在に気付き、深々とお辞儀をしてきました。こうなると大人として無視して通り過ぎるわけにもいきません。


 堅苦しくならないよう、「やあ」と、軽い調子で声をかけました。


 彼女は「今日もご清聴ありがとうございます」と礼を言ってくるものの、来たばかりなので曲の大半は聴いていない。というか子供から「ご清聴」なんて言葉を聞くとは思わなかった。やんちゃしている容姿なのに、語彙力は同年代の他の子供より優れているのではなかろうか、とこのとき思いました。


 そもそも曲を聴いていないのでまともな感想を伝えることはできません。さすがに、今日も酷いライブだった、と告げるのはスマートではないです。



 私の行動原理は、基本スマートかどうかによります。スマートというか、むしろ無難かどうか。


 他者と関わる際、こちらのことを悪い印象として相手に捉えられるのは好ましくない。それは何をもっても不利益しか生み出さないから。かといって過度に密接になろうとすると逆にうざったく感じられ引かれてしまう。それはこれまでの人生において身をもって経験している。そのため良くも悪くも無難にこなす、というのが私の処世術になります。一方で、印象さえ悪くならなければ何やってもいい、という自己中心的なのが私の本性。



 このまま何もせずに立ち去るのはスマートでも無難でもありません。一方で演奏について伝えることもない。ただ無難な落としどころとして、ジュース代程度のおひねりをあげてもいいのではないかと、結論としてお金で解決することに。財布から百円玉を出し、昨日もあった白い簡素なペン立てに入れました。硬貨がプラスチック容器の中で跳ねる軽快な音が響きました。


「お金入れは透明な容器の方がいいよ」


 ふと思ったので言ってみました。彼女は言葉の意図がわからないのか、不思議そうに小首を傾げていました。


「容器にある程度自分のお金を入れておくの。そうすると前を通りかかる人が『あ、この人はお金をもらえるだけの才能があるんだ』と勝手に勘違いして、立ち止まって吟味し始める。中には財布の紐が緩む人がいるかもしれない。なにせお金が払われた前例があると錯覚するから。容器を透明なのにするのは、お金が入っていることをアピールするためよ」


「あの……それって詐欺じゃないですか?」


「営業戦略と言って。一つの商売手段だよ」


 たとえ騙されていたとしても、悪い印象にならないのであれば有効な手段になる。別にお金を巻き上げているわけではなく、演奏を視聴したうえでお金を払う価値があると判断したのは相手自身なのだから、何も悪いことはない。印象さえ悪くならなければ何やってもいい、という性格をしている私らしい発想である。


「まあ、試してみる価値はあるんじゃないかな」と言い残し、その日はそのまま立ち去りました。


 翌日も春特有の疲労のまま帰路につく。この日は少しばかり遅い時間なので、空は沈みゆく夕日の茜色と夜の紺藍色とのグラデーションになっていました。閉店した百貨店のシャッター前を通りかかると彼女は演奏しておらず、ギグケースの傍らでしゃがみ込んでいました。私に気がつくとすぐさま立ち上がってお辞儀をしたのち、ギグケースを背負って近寄ってきます。


「これを見てください!」


 そうして彼女は満面の笑みを浮かべながら両手で持っているものを突き出してきた。ジャラっと音がしたそれを注視してみると、二リットルペットボトルを切り抜いて作った簡易的な透明容器に小銭が少々入っていました。主に十円玉ばかりで、数える程度に百円玉が入っています。まるで子供の貯金箱の中身をそのまま移し替えたかのよう。


「アドバイス通りに透明な容器にお金入れて置いたらお金入れてくれました!」


 嬉々として語る彼女に対して、私は「え? いくら?」と反射的に聞き返していました。すると彼女は「五十円です!」と興奮気味に報告し、中から五十円玉を取り出して見せてきました。


 しかし、よくもあの演奏でお金を入れてくれたものだな、と率直に思いました。素直にそう疑問に思ったので「どんな人だった?」と尋ねると、「優しそうなおじいちゃんでした」と答えてくれる。加えて「ペットボトルを持っていて、通り際に入れてそのまま行ってしまいました」と言いました。それは多分演奏の出来云々ではなくて、自販機で飲み物を購入したおつりを、努力賞的な意味合いとして入れたのではなかろうか。ただそう思ったとしても、それを彼女に告げることはしなかった。告げるのはスマートでもなければ無難でもない。彼女はそれで喜んでいるのだから、それでいいではないか。


 私は彼女の溢れんばかりの喜びの感情を聞き、それとなく誉め言葉を口にして、この日も彼女と別れた。今回は演奏を聴いていないので私からのおひねりはあげませんでした。



 翌日も彼女は例のシャッター前にいて、帰宅途中の私を待ち伏せしていました。待ち伏せと言ったもののそれは本来適切な表現ではありません。これまではあくまで、たまたま私が彼女の前を通りかかっただけなのですから。しかしこの日に限ってはそうではなく、彼女は本当に私が来るのを待っていました。


 昨日と同様演奏せずしゃがみ込んでいました。しかし歓喜に満ちていた昨日と打って変わって、この日はどんより沈み込んでいたのです。というよりも泣いていたようで、しきりに目元を手で拭っていました。ギグケースも抱きかかえるようにして持っている。


 これはさすがに見過ごせない。直感としてそう思いました。


 一人路上ライブをするような逞しく度胸のある子だけど、そもそも彼女はまだあどけない少女である。それに柏の繁華街なので、もしかしたら女の子として怖い目に遭遇したのかもしれない。いくら私でもこれは心配せずにはいられません。私は疲れた身体に鞭をうち、駆け足気味で彼女に近づく。彼女も私に気付いて立ち上がり、目元をこすってから、小さな身体でギグケースを抱えて走り寄ってきます。




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