路上のイデオローグ

杉浦 遊季

路上のイデオローグ

序章

一人残された女性(1)




 画面に表示されているSNSのプロフィールには、こう書かれている。



『フリーランスで活動するギター職人。修理業務の他に個人製作家として楽器を作っています。こちらでは主に作業日誌の感覚でツイートや画像をアップしています。ご質問やご相談はお気軽に』



 彼女は自身のアカウントにログインし、しばらくの間画面を眺め続けた。日々の活動を気楽に書き綴ったそのアカウントは、しかしここ二週間ほど更新されることはなかった。彼女はこうして二週間ぶりに書き込もうとするも、以前とは打って変わって指の動きは鈍く、文字を打つのが困難になっていた。視界は悲しみでぼやけ、身体はまるで冥府から這い出てきた怨霊に引きずり込まれているかのように、重たく融通が利かない。


 それでも彼女は気力を振り絞り、震える指を懸命に動かし、一文字一文字をゆっくり打ち込んでいく。



『二週間ほど音信不通となってしまい、誠に申し訳ございませんでした。勝手ではございますが、無期限の休業とさせていただきます』



 彼女は何とか六十文字程度の文章を打つことができた。そして続けて、新しい書き込みをする。



『無期限休業の理由としましては、二週間前に発生した千葉県柏市での交通事故によるものです。高齢者が運転する車での死亡事故として大々的なニュースとなり、世間を騒がせたあの出来事です。あの事故で亡くなったのが、私の』



 そこまで書いて、彼女の指が止まった。事故で亡くなった彼女のことをなんて書けばいいのだろうかと。おそらく世間一般的な関係ではなかったので、一言で言い表せられる、端的であり尚且つ適切な言葉が見つからなかった。逡巡の末、彼女は『特別な存在でした』と書き込み公開した。


 二週間前、穏やかな夕方のひと時に発生した痛ましい事故。免許返納をしたはずの九十歳の高齢者が酒を飲んだ状態で自動車を運転し、青信号の横断歩道を歩いていた十代の女性を撥ね死亡させた交通事故だった。高齢者、無免許運転、飲酒運転、信号無視。さらには目撃情報によればかなりの速度を出して暴走していたとのことで、悪質な速度超過でもあった。高齢者による運転事故は以前からあったものの、今回の常識では考えられない、あまりにも前代未聞の事故に、メディアもネットユーザーも衝撃を受け連日その事故の話題で持ち切りとなった。


 彼女は公開した書き込みの続きとして、また新しい文章を書き込む。



『彼女と私は、師弟関係でした。歳は二十も離れていますが、彼女と出会ってからのこの二年はかけがえのないものであり、独身を貫いていた私の生活に彩りをもたらしてくれました。しかしあの日唐突に、彼女は事故で亡くなりました』



 百四十字の文字制限により、彼女は文章を一旦区切った。そしてまた新しい書き込みをする。



『彼女と出会ったのは二年前。まだ彼女が十三歳だった頃です。当時の彼女は野良猫のような孤独な顔をしていて、柏駅近くの路上でギターを弾いていました。チューニングも酷く、まともに押弦さえできていない、あまりにも聞くに堪えない演奏でした。見兼ねて声をかけたのが彼女との関係の始まりでした』



 そこまで書き込み公開してから、彼女はふと我に返った。そして弁解するかのようにまた新しい文章を公開する。



『すみませんこのような場で自分語りとは。そもそも休業の告知のために呟いたのに……。でも一度書き出したら気持ちが抑えられなくなりました。しばらく彼女とのことを語らせていただきます。不快な方はミュートするなりブロックするなりして構いません。残された哀れな女の戯言として受け流してください』



 そうして彼女は一人震える手を動かし、濁流のような感情を懸命に落ち着かせながら、少女との二年間の話を書き込み始めた。



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