〈白磁〉2

 あのあと、洋館に戻った僕たちはステラさんとイヴさんに荷物を預け、ハインリヒさんを彼の部屋のベッドに寝かせた。事情を聞いたティアたちはすぐに結界を解除してくれた。


「お医者、さん、を、連れて、来ました。」


肩を上下させたイワンさんがお医者さんを連れて戻ると、お医者さんはガロ様、グラントさんと一緒に11号室に入って行った。お医者さんが出てくるまでが異様に長い。僕は落ち着かなく何度も部屋の方を見やった。誰もがソワソワとしている。・・・もし、ハインリヒさんが助からなかったら。そしたら・・・。ティア・ブルーノとの戦いは、どうなるんだろう。


「ジャック、あの。」


突然の声に飛び上がった。振り向くと、エレンが立っていた。


「どうしたの?」

「ちょっと、不安になって。いったい何があったの?イグナスとイワンが慌てて出て行ったのは知ってるんだけど、理由を知らないの。ハインリヒは運ばれてくるし・・・。」

「買い物からの帰りで、突然倒れたんだ。胸を押さえて、苦しそうにしてた。」


彼女は息を飲み、目を部屋の方へ向けた。


「心配ね・・・。」

「・・・うん。」


僕たちにはただ、彼が無事であることを祈ることしかできなくて。それがなんとももどかしかった。


 しばらくして部屋から3人が出てくると、皆彼らに駆け寄った。真っ先にイワンさんが、


「ハインリヒは大丈夫なんですか?」

「容体は落ち着いていますよ。命に別状はありませんが、しばらくは安静にしていた方がいいでしょう。」


お医者さんのその言葉で、全員から安堵のため息が漏れた。僕とエレンも、よかったね、と言葉を交わす。


「では、私はこれで。」

「本当に、ありがとうございました・・・!」


イワンさんからのお礼に帽子を持ち上げて応え、お医者さんは診察料も受け取らずに帰って行った。


 さっきから黙っている二人の方をチラッと見て、僕は背筋が凍りついた。ガロ様が怒っている。それも、猛烈に。それに気づいた他の人たちが顔をこわばらせ、彼から離れた。霊力が溢れ出している。暖炉の炎が急に強くなり、真冬だというのに部屋の中が夏のように暑くなっていく。心なしか、ガロ様の背後に太陽が見える気がした。


「ガ、ガロ?どうか、したんですかあ?」


ルロ様がガロ様に声をかけた。珍しく怯えた表情をしている。ガロ様はそれに答えず、グラントさんを睨みつけた。


「グラント・・・貴様・・・。」

「う、な、なんで、しょう。」

「さっき、弟の不調には倒れるまで気づかなかったと言っていたな?」

「はい。医者の診断を聞くまで、あいつの病気のことは、何、も・・・。」


気圧されて、グラントさんの声がどんどん小さくなっていく。次の瞬間、部屋の温度が一気に高くなった。


「この、愚か者めが!」


怒鳴り声に空気がビリビリと震える。誰も何も言わず、いや、言えずに、ことの成り行きを見守っていた。


「生まれた時からあいつの最も近くにいたくせに、何も気付けなかったのか!お前は兄だろうが!兄であるなら、弟を最もよく見ていなければならんのだ!弟がいつ危険な状態になるか、いつ命の危機に晒されるのか、わからないんだぞ!常に気を配っていなければいけない。その義務が兄にはある!」

「ガロ、抑えろ。みんな焼け死んでしまうぞ!」


スロ様が言った通り部屋はとても暑くなっていて、とても冬着でいられる状態ではなかった。重ねて着ていた上着をいくつか脱いだが、それでも汗が滝のように流れ落ちてくる。喉もカラカラに乾いている。ガロ様が我に帰ったようにスロ様の顔を見た。


「あ、ああ・・・。すまん。」


部屋の温度がゆっくりと元に戻った。・・・寒い!暑くなる前もそれなりに暖かかったが、さっきの温度と比べてしまうと、どうしても寒い!僕は急いで脱いだ上着をもう一度着込んだ。再びグラントさんを見たガロ様は一瞬眉間にシワを寄せたが、軽く深呼吸をして気持ちを落ち着けたようだった。


「とにかく、だ、グラント。今回お前の弟は助かったが、いつもそううまくいくとは限らん。気づいた時には・・・もう助からないことだってある。それを、よく覚えておけ。」


それだけ言って、彼は姿を消した。


「あ、待ってよガロ!」

「っ!」


パロ様とルロ様もガロ様の後を追って行ってしまった。スロ様はすぐには行かず、怒鳴られたショックで呆然としているグラントさんの顔を覗き込み、


「グラント。厳しい言葉だが、ありがたく受け取っておけ。長くを生きているものからの直々の助言だ。あいつはな、お前に同じ思いをして欲しくないんだ。俺も、そう思っている。ハインリヒを大事にしてやれ。」


そう言って、『雀の涙』を去った。


 未だに全員が固まっている。まだガロ様の怒鳴り声が耳に残っている。ようやく動いたイワンさんが、グラントさんに近づいて行った。


「大丈夫ですか、グラント?」

「あ、ああ。」

「一度座りなさい。それから、ハインリヒについて話してもらいましょう。いいですね?」

「・・・はい。」


返事はしたものの動かないグラントさんを、イワンさんがソファまで引っ張っていき、無理やり座らせた。促され、僕たちもソファに腰掛ける。動いたことで、皆の緊張も幾らかほぐれたようだった。


「ガロ様の怒ったとこ、初めて見たよ・・・。びっくりしたあ。」

「そうだな。ティアが霊力を抑えられないことがあるのにも驚いた。今が冬でよかったな。別の季節だったら、強すぎる夏の霊力で冬の霊力が弱まっていたかもしれない。」

「それ、本当!?」

「私が話を聞いていた限り、あんなに怒るようなことでもありませんでしたが・・・。何かあったんですか、グラントさん。」

「特に何もなかったはず・・・。部屋の中では、ハインリヒの診断を聞いて、あと、医者にちょっとした身の上話をしただけだ。今までにこんなことはなかったかと聞かれたから、わからない、弟が病気だったことは今日初めて知った、と。」


俯きながらステラさんの問いに答えるグラントさん。


「あの、ハインリヒさんの病気ってかなり深刻なもの、なんですか?」

「昔から心臓が弱かったらしい。本人が話していた。・・・俺に迷惑をかけないように、隠していたそうだ。」

「グラント、あまり気にしすぎないように。これから気遣ってあげればいいんです。気づかなかったものはしょうがないんですから。」

「ああ、ありがとうイワンさん。」

「何かあったら、私に言いなさい?私の〈金糸雀きんしじゃく〉で、絶対になんとかするわ。」


エレンが胸を張って言った。うん、確かに彼女ならなんとかしてくれそうだ。


「頼もしいな。」


イグナスさんがポツリと呟いた。


「そうですね。」

「皆、一度部屋に戻りましょう。各々夕食まで休んでください。特にグラントとジャック君、二人とも疲れているでしょう?」

「僕はそうでもないですけど、でも、はい。そうします。」

「グラントもいいですね?・・・では、解散ということで。」


皆がそれぞれ部屋に戻っていく。僕も部屋に入り、ベッドに寝転んだ。今までわからなかったけど、体は結構疲れていたようだ。自然とまぶたが落ちてきて。いつの間にか眠ってしまっていた。起きたのは夕食の直前で、夕食の後もまた、ぐっすり眠った。


 次の日、僕は11号室を訪れた。ハインリヒさんは起きていて、僕を見ると笑顔で手を振った。


「ジャック、来てくれたんだ!」

「ハインリヒさん、具合はどうですか?」

「いいよ。今はもう胸も痛くないし。ジャックがイワンさんたち呼んでくれたんだよね。ありがとう。」

「い、いえいえそんな!元気になったようで何よりです。一時は本当にどうなることかと・・・。」

「心配かけてごめん。俺も隠さないでちゃんとあにィに言っておけば良かったよね。」


彼は申し訳なさそうに笑った。


「なんか、昨日から調子がいいんだよ。昨日、ガロ様怒っただろ?その時に急に力が漲ってきたっていうか。お医者さんが出てった後もしばらく具合が悪かったんだけど、それが一気に無くなって。なんでだろうね?」

「あの時、ガロ様が霊力を抑えきれなくなって、部屋が一気に暑くなったりしたんです。もしかしたらガロ様の夏の霊力がこの部屋にも届いて、ハインリヒさんの力の一部になったんじゃないでしょうか。」


僕は、昨日の訓練でガロ様に聞いたことを話した。


「ガロ様の強い霊力でハインリヒさんの体の欠陥が修繕されたとしたら。」

「もっと夏の霊力を浴びれば、俺も霊力が使えるようになる・・・?」

「可能性はあると思います。あ、でも、あくまで推測なので!間違ってるかも。」

「十分だって!試してみる価値はあるでしょ。ありがとうジャック、後で提案してみるよ!」


その後しばらく話して、僕は部屋を出た。ハインリヒさんが嬉しそうでよかった・・・。うまくいくといいな。


 ハインリヒさんはあの後すぐにガロ様に提案をしてみたらしく、二日後には元気な姿で練習に現れた。いつものように別の空間で練習せず、始めから僕たちと一緒だ。


「ジャック、見ててよ?〈白磁はくじ〉!」

「わあ・・・。」


〈白磁〉はそれは綺麗な霊力だった。淡く緑色を帯びた白く細い光が、絡まりあい、徐々に形を作っていく。白鳥だ。文字の通り輝くばかりに美しい。白鳥は高く一声鳴くと、青く高い夏の空に飛んでいった。


「すごいな・・・。」

「はい、綺麗です・・・!」


クロードさんも感嘆のため息をついた。ガロ様は嬉しそうにハインリヒさんを見つめている。


「話を聞いたときは何が変わるものかと思ったが、見事に霊力を使えるようになったな。勉強になった。これで3人揃ってティアメイルの練習に取り組めるな。」

「はい!ジャックには感謝しかないですよ。命の恩人だし、霊力を使えるようにもしてくれたし。」

「え!いやいや、実際に行ったのはハインリヒさんたちですし、僕は、その・・・。」

「いいじゃないか。感謝の言葉くらい素直に受け取っておけ。」

「はい・・・。」


褒められることにはあんまり慣れてないもんだから・・・。顔がほてっているのは暑さのせいだろう、きっと。








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