梅紫2
翌朝。僕は若干不機嫌だった。姉さんと一緒に夏祭りに行くという幸せな夢を見ていたのに、ハナビが始まる前に兄さんに叩き起こされたからだ。時計を見るとまだ四時半。寝間着のまま、僕は練習場に駆り出されたのである。
「まだまだだ!朝食まで休憩なしで打ち続けてもらうぞ!」
響く兄さんの声にさらに不機嫌になる。これが毎日続くと思うともっともっと。マイナス思考を始めるとキリがないので、少し強めに打って憂さ晴らしをすることにした。練習用の人形が黒焦げになる。すると兄さんが興奮してどんどん人形を用意してくれるので、かなりスッキリした。ああ、そろそろ終わってくんないかな。
「すごいぞジョゼフ!これならいける!父上の悲願が達成できるぞ!」
父さんの悲願?王国を自分のものにすることだろうか。まあ知りたくもないしいいか。僕たちは予定よりも早く練習を切り上げ、僕は着替えのために一度部屋に戻った。
重厚な扉を閉めた途端、ポケットに入れていた〈
『ジョゼフ、夜になったら近況報告を頼む。こちらと情報交換がしたい。』
僕は宝玉に口を近づけ、小さな声で「了解」と告げ、宝玉をしまった。
朝食は『雀の涙』で出るものより豪華だったが、味は劣っている。話しかける必要もないので、僕は無心で食べ続けた。・・・静かだ。姉さんが話さないのは分かる気がするが、父さんと兄さんはなぜだろう。召使たちがいないんだから計画の話でもすればいいのに。そんなふうに考えていると、姉さんが僕の肩をつついた。
「ジョゼフ、後で私の部屋にいらっしゃい。」
僕が頷くと、彼女は席を立って食堂を出て行った。軽く首を傾げながら、パンの最後の一切れを口に入れた。
数分後には姉さんの部屋にいた。一応実家だから、迷うことなくこれて良かったと思う。姉さんは僕が入ってきたのを見ると椅子を勧め、座るように言った。言われたとおりに座る。
「いらっしゃいジョゼフ。よく来てくれたわね。」
僕は「断る理由もないから」と書いた。姉さんは笑って、「そうね。」と言うと、一つの巻物を取り出し、広げた。
「あなたに教えたいことがあるのよ。父さんが精霊使いを捜していた理由なんだけどね、父さんはあなたを犯罪者の仲間に仕立て上げるつもりよ。彼は王国を乗っ取ろうとしている。逃げた方が良いわ。」
すでに知っている情報だった。が、わざと驚いたふりをする。姉さんが巻物の一箇所を指さし(巻物は地図だった)、計画を教えてくれた。
「父さん達はね、この領の人達も巻き込もうとしているの。彼らに嘘の情報を教えて王への不満を高め、全員で王宮を攻める。」
姉さんの指が地図のアーヴィング領と書かれたところから王宮と書かれた場所に移動した。
「騎士団が出てきたところで、領民は騎士団と戦わせ、自分たちはどさくさに紛れて宮殿内に忍び込むの。そして王の寝首をかく。ついでに王妃と王女も。王家は根絶やしにするつもりなのよ!それでねジョゼフ。あなたの役目は騎士団を精霊の力で焼き尽くすこと。父さんと兄さんは他人の命なんてこれっぽっちも気にしていない。あなたも・・・死んでしまうかもしれない。」
姉さんが悲しそうな顔をする。
「ねえジョゼフ。逃亡の手助けはするわ、あなたは逃げなきゃだめよ!」
僕は首を振った。そして笑ってみせる。〈
「どうして?」
不思議そうな顔をする姉さんに、僕は、自分が王国を救うために来たとだけ、明かした。
***
「ああー疲れたー。」
たまった疲れを小声で吐き出した。姉さんの部屋で話したあと、今日は一日中訓練があって、僕はたっぷりしごかれた。兄さんや父さんに褒められるというのも新鮮で良い気分だったが、さすがに一日中は疲れてしまう。
「明日も早いだろうから、早く寝ないと。」
僕は寝間着に着替え、〈若草〉の宝玉を取り出して近況報告をした。
『なるほどな。領民全員を巻き込むとは、考えたもんだ。人間っていうのは集団だと気が大きくなるものだからな。』
かすかにエレンの声が聞こえる。きっと「王族を根絶やしにする」という部分を聞いて憤慨しているのだろう。
『ジョゼフ、信頼しているからといって、お前の姉が父親に繋がっていないとも限らない。あくまで可能性の話だが、お前、俺達が公爵を止めるために来たって明かしたろう。もしかしたら姉貴が父親にお前は危険だって伝えているかもしれない。殺されたら計画は失敗、一巻の終わりだ。盗聴器が仕掛けられている可能性だってある。これからは十分注意して過ごせ。』
「分かりました。」
『それから、突入は二日後を予定している。それまで情報を集め、無関係者と関係者を教えてくれ。』
僕は宝玉を枕の下にしまい、布団に潜った。
***
その後、突入の日までの調査で分かったことは、姉さんは王宮を攻めるという計画を明かされてはいるが反対していること、そして召使いや女中は無関係で、計画すら知らされていないことだけだった。あまりの収穫の少なさに少し落胆するが、今日はイグナスさん達の潜入の手引きで忙しくなるため、頑張って気持ちを切り替えた。
潜入予定は夜だ。父さんと兄さんの部屋を教え、いつ出て行ったか、いつ戻ってくるかを、宝玉を通して伝える。それぞれが出て行ったタイミングで、父さんの部屋にはイグナスさんが、兄さんの部屋にはエレンとサンドラさんが忍び込み、戻ってきたら拘束する。そういう作戦だ。僕は〈猩々緋〉で人魂っぽい物を作り、兄さんと父さんの部屋の前にある松明に忍び込ませた。僕の準備は完了。〈若草〉が運んできた二つの宝玉に霊力を込め、出て行けば黄色く、戻ってくれば赤く光るようにした。
「もう少し、もう少し・・・。落ち着け僕。イグナスさん達なら大丈夫。」
夜に近づくにつれ緊張してきた。目隠しの中で目をつむり、何度も深呼吸をする。その時、〈若草〉の宝玉からイグナスさんの声がした。
『アーヴィング邸に到着した。頼むぞ。』
「はい。兄さんの部屋は、三階の左から五番目の窓です。父さんの部屋は、四階の左から二番目から右から五番目まであるので、そのどこでも侵入できます。」
『わかった。これからそこまで行くから、着いたらまた連絡する。』
そこで会話は途切れた。僕はイグナスさんの連絡を待ちながら、〈猩々緋〉の赤い宝玉を見つめた。
『着いた。タイミングは任せる。』
「・・・はい。」
宝玉が黄色く光るのを待つ。兄さんの方が光った。
「イグナスさん、エレンとサンドラさんに突入命令を。」
『了解。』
「父さんも出ました。お願いします。」
『ああ。』
一分もかからずにイグナスさんから侵入成功の知らせが入った。これで僕の仕事は大体終わった。あとはイグナスさんたちからの報告を待つだけだ。僕は部屋から出てスーザン姉さんの部屋に行った。もちろん三つの宝玉も忘れずにだ。
「あらジョゼフ。突然どうしたの?」
僕は「気が向いたから」と書いて、椅子に座った。
「父さん達が王宮を攻めるまであと何日か知ってる?」
「二日後と聞いてます」と書く。
「そう。私は何も教えて貰えなくてね。あなたに言ったのがばれたかしら。・・・二日後かあ。」
沈黙が流れる。さっき二つの宝玉が赤く光ったから、もう父さんたちが捕まった頃かもしれない。
「ジョゼフ、絶対に生きて帰って来てね。」
僕は頷いた。姉さんは、僕が王国を救うのは父さんたちの作戦と同時進行だと思っているらしい。今すでに行われていると知ったら、どんな顔をするだろうか。
「スーザン様大変です!」
音を立てて扉が開かれ、女中が駆け込んできた。酷く慌て、怯えているようだ。
「落ち着きなさい。何があったの?」
「は、はい。領主様とアレキサンダー様のお部屋に何者かが入り込んだ模様です。」
姉さんが険しい顔をする。見えないだろうが僕もだ。イグナスさんたちに何かあったのではないだろうか。今すぐ行きたいという気持ちを抑え、僕は次の言葉を待った。
「それで?」
「領主様は確認できていませんが、アレキサンダー様は大丈夫です。族の一人を捕まえました。」
そこまで聞いて、僕は立ち上がり部屋を出た。エレンかサンドラさんのどちらかが捕まっているということだ。助けにいかなくては。
「ジョゼフ!?どこに行くの、ねえ!」
姉さんの言葉を無視して、僕は兄さんの部屋に向かった。
部屋に近づくにつれ、争っているような声がだんだん大きくなってくる。僕は全力で走り、部屋の扉を開けた。
「離してよ!離しなさいこの無礼者!」
「フン!無礼者はそちらの方だ!この嘘つきめ!」
兄さんがエレンを捕まえているのが見えた。腕を捻り上げている。サンドラさんは?
「おおジョゼフ!こいつら、俺の命を狙ってかしらぬが入り込んでおった!全くどうしてこの部屋がわかったものか!」
エレンを助けないと。でも、どうすれば?兄さんは生まれついての武人だ。僕の貧弱な体で、兄さんに勝てるわけがない!何か隙をつかないと・・・。
「・・・そういえば、お前を連れて来たのはそこに転がっている女ともう一人、男だったな。お前も仲間だな!お前が手引きしたのだろう。くそ、やはり信じなければ良かったのだ。噂を聞いたなんて怪しいこと限りない!」
サンドラさんは部屋の隅の床に横たわっていた。僕は彼女のもとに行って、呼吸を確かめた。生きている。どうやら兄さんに殴られ、気絶したみたいだ。
「この野郎・・・!」
僕は怒りがふつふつと湧き上がってくるのを感じた。
「エレンを離せ兄さん!」
「ジャック!喋っちゃダメ!」
「ジャックだと?愚弟め!帰って来た途端に迷惑をかけよる!忍び込んだと分かってはタダではすまんぞ!」
「タダで済まないのは兄さんの方だ!兄さんが今捕らえているのが、誰だかわからないのか!」
「ジャック!」
「エレン・・・なんと!エレン王女か!こいつは良い、王への脅しにぴったりだ!こいつを傷つけるとなれば、王座を簡単に渡してくれるだろう!」
なっ?!予想外だった!命が惜しくなって簡単に離してくれると思ったのに・・・!こうなったら兄さんを傷つけても構わない!エレンを解放しないと!
「〈猩々緋〉!」
天井のカンテラの炎を大きくする。カンテラが熱くなり、天井が焼けた。カンテラも落ちて、床の絨毯に火が燃え移る。
「っ!馬鹿め!仲間もろとも燃え尽きようというのか!」
「いいや、違うよ。サンドラさんたちに炎は当たらない。当たるのは兄さんだけだ。」
僕は炎を兄さんの方に向かわせる。兄さんは青ざめた顔をして、扉に向かった。逃げられる!と思ったその時、兄さんの扉の前からいくつもの柱が伸びてきて、彼の行手を塞いだ。
「なにっ・・・!」
「逃すもんですか、大罪人め!」
「サンドラさん!」
サンドラさんが目を覚まし、〈
「自分の首を絞めたか。愚弟の仲間も愚かなことだな!っ痛!」
エレンが兄さんの手を噛んだ。兄さんが手を離した一瞬の隙をついて、僕は彼女を炎で覆った。これでもう近づけまい。
「ありがとジャック。」
「どういたしまして。」
「お前たち、無事か!?」
窓を蹴破って、イグナスさんもやって来た。〈若草〉で作ったらしき竜巻の上に、縛られた父さんが乗っている。サンドラさんが足止めしていた兄さんも同じように縛られ、竜巻に乗せられた。僕は部屋中を覆っていた炎を消し、扉を開けた。
その後、僕たちは城から出て、兄さんたちを反逆罪で兵士に受け渡した。
「くそ、ジャック、よくも!」
「恨むより感謝して欲しいよ父さん。兵士にエレンが捕まったこと、言わないであげたんだから。それにエレンが父さんと兄さんの爵位剥奪だけで許してくれるって言うし。」
「だって仲間の家族ですもの。ほんとは一回くらい死んで欲しいとこだけど、仕方ないわよね。」
彼らに与えられた罰は、重い反逆罪にも関わらず、爵位剥奪のみだ。そしてこれからアーヴィング領はどうなるかというと・・・。
「ジャック!」
「姉さん!その格好、似合ってるよ。」
「ありがとう。領主になったんだもの、これから頑張っていかなくちゃね。」
唯一の善人である姉さんがアーヴィング領領主になった。裏の赤いマントに、漆黒の軍服を着た姉さんが、なんだか遠い存在に見えて少し寂しい。
「ところでジャック、あなたのお父さんはどうして王宮を攻めようなんて言ったの?」
サンドラさんの質問だ。実を言うと、僕にもわからない。
「兄さんが悲願がどうのこうの言ってましたけど・・・。」
「父さんはね、母さんを生き返らせたかったの。」
「え?」
「王宮に生命を操る力を持っている者がいる、って言う話を何処かから聞いて来たみたいで。王宮を攻めてその人を捕まえれば、母さんを生き返らせることができると考えたみたい。」
「そうだったんだ・・・。」
母さんに会えるものなら僕も会いたいけど、だからって王宮を攻めるって話になるか?
「スーザンさん、お母様のお墓はどこかしら。」
「え、母のお墓ですか?城の裏です。ついて来てください。」
姉さんについて城の裏に行った。城の裏は墓地になっていて、今までの領主一族の墓がずらりと並んでいる。その中で一番新しい墓に、母さんの名前が彫られていた。「ヘルミオネ・アーヴィング」と。
「おいエレン、試すのか?」
「うん、もう十五年経ってるから無理かもしれないけど、やってみなきゃ。」
エレンは墓石に手をかざした。深みのある黄色の光が手から飛び出し、墓石を覆っていく。これが・・・エレンの霊力〈
「うーんやっぱりダメね。新鮮な死体じゃなくちゃ。ごめんなさいスーザンさん、期待させちゃって。」
「い、いえいえ!王女様が私たちなんかのために尽力してくださって、嬉しく思いますわ。」
うん、さっきエレンの口から変な言葉が出た気がしたけど、気のせいだな。
「じゃ、そろそろ帰るか。」
「そうね。疲れたし。」
「そうですか、ありがとうございました。次旅をするときはぜひ寄ってください。歓迎しますよ。」
「ありがとう姉さん。病気には気をつけてね。」
「あなたもねジャック。今度は素顔で来ていいからね。」
「うん!」
僕たちは〈若草〉に乗って、アーヴィング領を後にした。
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