第13話 ユウ③

 思い返してみれば、あの喧嘩は、私にとって必要なことだったのだと思う。アキラといて楽しかったのは確かだけれど、私には、一人でも歩ける力が必要だった。

 アキラが自分の力で努力して、色んなことを少しずつできるようになっていって、私は外野で適当に野次飛ばしてるだけだったのに、勘違いしていて、二人でやってるって思っていたんだろう。だから、アキラが少しずつ遠ざかっていって、ある日ぽんといなくなってしまったら、途端に何をしていいのかわからなくなった。

 これからは自分で自分の面倒をみないといけないんだから、もうアキラはいないんだよ、今まであなたは一人で何してたの? って、突然目を覚めさせられて。私は一人だってこと、私には何もないってことを、体で覚えないといけなかったから。

 でも、もっとましな方法はなかったのかな。あんなに、文字通りぶっ壊すような方法を取らなくてもよかったんじゃないかな、と思わないでもない。なんで私はいつもそうなんだろう。幼い頃、アキラが鳥の近くを通れないと言ったから、石を投げつけて追い払おうとした、ああいう短絡的な方法しか取れない。いつまでも幼いままだ。


 中学を卒業すると、親の仕事の都合で他県に引っ越した。突然、体と心を両方鍛えたいと思うようになって、高校では陸上部に入った。中学生からやっている人がほとんどだったから、今まで全然運動していなかった私がついて行くのは並大抵のことではなかったし、全然知らない町で、知らない人しかいない環境で、勉強も難しくなって、一日を乗り切るだけでへとへとになっていた。でも、変わらなきゃ、鍛えなきゃ、と思っていたので、毎日倒れる寸前まで(と自分で思ってただけで、実はたいしたことなかったかもしれないけど)頑張った。お母さんにも、「中学生のときにはずっと座ってテレビを観ているだけだったのに、三年寝太郎みたいに元気になったわね」と笑われた。

 私がずっとテレビを見ていたのは、アキラが帰ってくるのをどこかで待っていたからかもしれないと思ったこともある。でも、アキラはもはやおもちゃみたいなキーボードで練習したりはしない。部活をやっている時間帯に学校から離れることもしない、わかっていたけれども、それにしがみついていた。あの家を出て、キーボードも売ってしまって、ようやく私は何かから解放されたのかもしれなかった。

 それで終わるはずだった。陸上部に入って、それまで伸ばしていた髪をショートにして、体系も引き締まって、色もこころもち黒くなって、一時期内弁慶だった性格も直ってきたような気すらして、またはきはきと話せるようになって。自分のしたいこといっぱいするんだ、と思っていた。

 そんな中で、何を血迷ったのか、この大学に願書を出してしまった。他にもいくつか受けたけれども、なぜかここしか受からなかった。一人暮らしすることになって、親に迷惑かけることになって……。父は大反対していたけれども、母が、

「ユウは、本当はあの町にずっといたかったのよね。ごめんね、こっちに連れてきちゃって」

 と言ってくれて、どうにか収まった。

 父が長く単身赴任をしていて、本当は私が高校を終えるまで向こうにいようと思っていたけれども、母が半ば無理やり引っ越しを決めてしまったということらしい。当時は詳しい事情は知らされていなかったのだけど。

「そういえば、あの子も同じ大学らしいじゃない、彰君。由美子さんから聞いてたんだけど」

 由美子さんというのは、アキラのお母さんのことだ。母はあれからもたまに由美子さんと電話をしていたが、私はアキラのことに興味なさそうにしていたので、何も言っていなかったのだ。

「あの子は現役で入ったみたいだし学部も違うけど、また仲良くできるといいわね」

 何も知らないであろう母は、そんなことを呑気に言っている。

「ええ、そうね…」

 何故入学金を払い込むまでこのことを教えてくれなかったのだろう。今更親に借りた入学金をパーにできるほどの度胸は私にはない。

 アキラをみつけてしまったのは、入学式の日だった。様々な部活が勧誘活動をしている、にぎやかな構内。 アキラは友達と二人でギターの弾き語りをしていた。後ろに「フォークソング部」と書いた看板があった。 

 最初は、歌が上手い人だな、と思って何気なく見ていたけれども、よく見るとそれはアキラで、途中で気が付いてはっとした。似てるなくらいには思ったけれども、本人だとすぐにわからなかったのは、私の知ってるアキラだったらまずないだろうなという点がいくつか見受けられたためだった。

 まずアキラはメガネが嫌いで、コンタクトレンズを使っていたはずだった。小学生のいつだったか、メガネがあまり似合ってなかったせいか、もしくは単にいじめられやすかったせいなのか、体育の授業の前にメガネを隠され、球技のボールがキャッチできずに散々な目に遭ったことがあったのだ。それ以来、あいつはメガネを毛嫌いして人前ではほとんどつけないようにしていたはずだ。なのに、あの時みたいに最も嫌いそうな黒縁メガネをかけていた。それがまず一点。

 それから、アキラは歌もあまり好きではなかった。これもまた、低学年の頃だったか、音楽の授業で他の人より上手に歌っていたら、目立ってしまっていじめられたらしく。それから下手な振りをするようになって、そのまま下手になったから歌は嫌いなんだ、と言っていたはずだった。私の前ですら歌おうとはしていなかったので、多分そのとき私は、初めてアキラが歌うのをちゃんと聴いたのだ。それが二点目。

 極めつけは、アキラはクラッシック以外の音楽にあまり興味がなかったはずだ。それが、よりにもよって、Jポップを演奏しているだなんて、驚きだった。オーケストラだとか、吹奏楽だとか、いるとしてもそういうところだろうと思っていたのだけれど。そこにいるのはアキラだったけれども、もう私が知っているアキラではないようだった。謎の人、A君だった。

 歌い終わって次のグループに順番を譲ろうとしていたときだった。わりと離れた位置から変な姿勢で見ていたのが気になったのか、A君がふと私に視線を向け、そのまま凍り付いた。

 もうだめだと思った。 何がもうだめ、だったのかはよくわからないけれども。私たちはまた会ってしまった。こうなることは、この大学に願書を出したときから薄々気づいていたことなのか。期待していたことなのか、恐れていたことなのか。

 でも、今私の目の前にいるのはアキラではなくて、須長彰という同一人物であることはたしかなのだけど、彼のことを「アキラ」と呼んでしまうのは何かが違う気がして。だから、こうして、近頃、私の中で彼のことを「A君」と呼んでいる。

 本当のことを言うと、もう一度話してみたいという気持ちがないわけでもない。

 でも、なんか嫌だ。A君は今私のことをどう思っているのか、私に気づいたはずなのに声をかけてきてもくれないのは、まだ怒っているということなんじゃないだろうか。それとも、もう興味もないから話すこともないってこと? ピアノをと別れてギターとよろしくやっているように、古い友達なんて、彼にはもう必要ないのかもしれない。

 何よりも、A君には彼女がいるから。中学校のときにも、噂になった人はいても、彼女はいなかった。話す回数が減っても、アキラにとっての一番大事な人は私だったはずだった。だけど、今のA君にとって一番大事なのはあの人なのだ、あの鈴木さんとかいう人。どんな人かよく知らないけど、今は私よりもA君の近くにいるのは確かだ。

 本当は、アキラもああいう子が好みだったのだろうか。私はたまたま親同士が仲良しで、一緒にいたから仲良くなっただけだったのだろうか。もし同じクラスになっただけとか、同じ学年にいただけとか、合コンでたまたま隣に座ったとか、それくらいのきっかけだったら、アキラは私に話しかけもしなかったかもしれない。鈴木さんは、私と違って優しそうで、おしゃれも上手で、ちゃんとA君のことを立てている様子で、それに衝動的に鳥に石を投げつけそうには見えない人だ。やっぱり彼も、普通に可愛いああいう子が好きなんだろう。

 そんなある日、掲示板の貼り紙が目に入った。他のサークルの華やかなポスターの隅で、気まずそうに小さくなっている。~タロットが教えてくれるあなたの真実~だなんて、いかにも怪しそうなキャッチフレーズが書いてある。ばっかみたい、と思っていたけれども、なんだかそれが気になって頭から離れない日が続いた。千円だし、こんなに気になるならいっそ行ってしまったほうがすっきりするような気がする。そうだ、私にも彼氏がいれば、もうA君のことなんてどうでもよくなるんじゃないか。参考までに、新しい恋が始まらないかなどと聞いてしまってみてはどうか。案外、なにかいいことあるかもしれないし? そう思うと、ちょっと楽しくなるような気がしないでもなかった。

 なんだかよくわからないけれども、今よりはましな気分になれるなら、なんでもいい。あまり深く考えず、知らない人にふらふらって寄りかかってみるのも、たまにはいいよね。 

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