第3話 アンドロイド
ぼくの部屋にアンドロイドがやってきた。一メートル四方の段ボールに梱包されて二人がかり、宅配のお兄さんがボロアパートの階段を登って、二階のここまで運び入れてくれたのだ。
「重いですねぇ、何が入っているんですか?」
苦笑いでたずねるお兄さんは、こんな貧相な部屋に住むぼくがアンドロイドを購入したなど、微塵たりとも思っていない様子だ。そりゃあそうだろう。送り主の欄には誰も知らないような会社名が書かれていたし、内容もまた「精密機械」と表記されたきりときている。それにアンドロイドといえば購入後の維持費にメンテナンス代も安くない金持ちの、それも成金のステイタスシンボルなのだから仕方ない。
「新しいパソコンです。仕事に使うための特注品で」
ぼくは誤解を解くのが面倒で、答えて受け取りのサインを済ませる。
「そうでしたか。毎度ご利用、ありがとうございました」
かぶっていたキャップを脱いだお兄さんの一礼は、一仕事終えたせいか、妙に晴れ晴れして見えていた。なんだかぼくまで満たされて、階段を降りゆくその背を見送り続ける。
いや待てよ、と我に返った。お兄さんには悪いけど、メインディッシュはこれじゃない。今しがた狭い部屋の真ん中にでん、と据え置かれたアレだ。
目がけてぼくは身を翻す。
畳なのだからつい正座してしまうけれど、今日は人生の記念日にすらなりそうなのだから、かしこまるのもちょうどだろう。そうして改め、段ボール箱を観察した。
うん。何の変哲もないごくシンプルな段ボール箱だ。静電気防止とか、衝撃緩和の何かだとか、ついている様子もない。ただ側面に社名とロゴは印刷されると、上部にガムテープが貼られて封されているだけだった。この調子なら中には洗濯機でも入っていそうで、そんなことが起きれば一大事だとぼくは一人、苦笑してみる。
ならそのときから胸は高鳴りだしたらしい。相手が人の形をしている、ということもあるだろう。アンドロイドだろうと「初対面」なら、ぼくは緊張を覚える。果たしてどんな顔をして、どんなスタイルの、どんな声を出す、どんな性格のアンドロイドなのか。期待と不安がおしくらまんじゅうで、ぼくの鼓動を早めていった。
もちろんそれら設定は、後からいくらでも好みに合わせることが可能である。けれど最初から好きに調節してしまうなんて、ぼくには乱暴で醍醐味に欠ける行為だとしか思えなかった。だからぼくは最初のうちだけでも、初期設定で楽しむことを決めている。それがまた期待と不安へ拍車をかけた。
ままに、箱へと手を伸ばす。
ガムテープの端を爪で剥がした。
つまんで一気に引き剥がす。
けたたましい音は鳴って、箱の口がわずか開いて浮き上がった。
そうそう、断っておくならぼくがアンドロイドを注文した理由にいかがわしいものは含まれていない。証拠に性別はメーカー任せだ。そんなぼくは労働力にも、話し相手にも不便していない。それでも高価なアンドロイドを購入したわけを明かすなら、「憧れ」の一言に尽きた。バイクや車、旅行にブランド物と同じだよ、と言えば分かってもらえるだろうか。手に入れるため組んだローンも、返済のため汗水たらして働くことも、ありふれた話だと思っている。
のぞき込んだ段ボール箱のフタには、そんなぼくの影が落ちていた。
払いのけるようにして、ぼくはそこへ手をかける。
いよいよだ。
意を決し、期待のまま左右へ開いた。
とたん「あ」と声は出そうになる。
髪の毛だ。
黒いそれが、詰め込まれた発泡スチロールの中にのぞいていた。つむじがあるから、頭の天辺あたりで間違いない。もう自分のものなのだから触れてもかまわないはずが、いささか抵抗を覚えてぼくは眺める。これは男のつむじなのか、女のつむじなのか、しばし考えを巡らせた。分かるはずもないなら諦めうーん、と声を上げる。
何しろここに頭が見えているということは、箱の大きさから察してアンドロイドは三角座りか、でなければ正座でもして梱包されているはずだった。ならついさっき宅配のお兄さんが二人がかりで運び入れた通り、それを一人で引っ張り出せる道理がない。
段ボール箱を切り開くしかないのか、と考える。損じて、中のアンドロイドを傷つけてしまえばもう、立ち直れそうな気がしなかった。だが他に手段は思いつかず、ぼくはナイフを取りに向かう。
はずが、泳がせた目にそれは映った。開いたふたの内側だ。予見していたように、アンドロイドの取り出し方は図解で印刷されていた。
従い箱の角から、ぼくは飛び出したビニールのヒモを見つけ出す。手順とおり下方へ引いた。ならバリバリと音はして、箱に裂け目は走ってゆく。次の瞬間フワリ、箱は四方へ展開した。中に詰め込まれていた発泡スチロールがどうっと畳へあふれ出す。案の定、アンドロイドはヒザを抱えてそこから姿を現していた。
青いプリーツスカートに、白いブラウスが清潔感たっぷりだ。部屋で開封されることを考慮してか、靴は履かされていない。うつむき加減の顔へ伸びた髪がかかっていた。そうして振り分けられた髪にうなじが白くのぞいている。
女の子だ。
これはすごいぞ。
もう興奮が押さえ切れない。ぼくは発泡スチロールをかき分ける。すぐさま彼女のそばへ這い寄った。発泡スチロールは肩や腰の辺りにまだ残っていて、掘り返すようにぼくはそれらを払いのける。おかげで落ち着きを取り戻せたようだ。そこで一度、ぼくは身を引いた。アンドロイドの全身を見回す。後ろへと回った。また前へ戻って意を決する。そうっとでないと落ち着けはしない。ぼくはアンドロイドの顔をのぞきこんだ。
やはり作り物っぽさは拭えない。けれどそれは肌の質感だけのことで、眉毛にまつ毛は本物そっくりと植えつけられていた。唇など、わずか湿ったように光ってさえいる。その上に開いた小鼻は今にも膨らみ、最初のひと息を吸い込みそうで、これは油断ならないなとぼくをなぜか警戒させた。そんなことより何より驚かされたのは、そうまで近づいたところで新品の工業製品につきものの機械臭が全くしなかったことだろう。
なんて完璧なんだ。
近づきすぎた顔をぼくは引っ込める。
それでも不自然な点を挙げるとすれば、今だ微動だにしていないことくらいだろうか。いや、それもこれも配送の都合で、確かスタートアップはお客様自身で行ってください、という文言も注文時に読んでいたはずだった。もちろん、それこそがぼくでもどうにか購入できる価格の秘密で、飲み込んだなら眺めていても始まらない、とぼくは思う。
よし、スタートアップだ。
唱えるままに、ぼくは発泡スチロールの中へ手をもぐり込ませた。指に振れた取扱説明書を拾い上げる。なら、さすがハイテクノロジー商品というべきだ。自律する予定にあるそれの説明書は、パソコンなどとは比べものにならないほども薄かった。おかげですぐにも作業へ入れそうで、意気込み勇んでぼくは表紙をめくる。
きっと本体のどこかに、スイッチはあるはずで、通電したなら各ソフトにアプリケーションをインストールさせてゆくに違いない。手順を、何の根拠もないまま想像してみる。
完了まで一体、どれくらいの時間がかかるのか。初めてのことだけに見当はつかず、もし、つきっきりで作業しなければならないのであれば今のうちアルバイト先へ休む旨を伝えておいた方がいいかもしれない、と思いついていた。だがお手入れの方法だの、水に濡れたら、なんて項目が続いたところで、肝心の起動手順は出てこない。
まさか。
ひそめた眉で、ぼくはとにかく文字を追う。だが薄いのだから、読み進める文字などあっという間に尽きていた。気づけばもう最後一枚だ。嘘だろう、と罵るままに、ぼくはその一枚を裏返す。と、それは一番下に、たった一行、書かれていた。
なお当製品は「生きている」というお客様の感情移入完了直後より、起動いたします。
だまされた、なんてぼくは思っていない。ハイテクノロジーは時に魔法を彷彿とさせるものだ、と聞いている。それほどまでにこのアンドロイドは高価でもあったのだ。
だからしてその日から、彼女へ話しかけることがぼくの日課になった。最近ではようやく彼女が人間だ、と思えてきた様子である。なぜなら彼女はときおりぼくへ、笑いかけるようになっていた。良い兆しだ。全起動の日も近い。そのためにも手抜きは敵だ。今朝も優しく話しかけてから、ぼくは仕事へと向かう。
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